大宮盆栽村

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盆栽村のかえで通り(2012年2月)

盆栽村(ぼんさいむら)は、埼玉県さいたま市北区盆栽町に、盆栽業者が集団移住して形成された集落を指す呼称。

概要

盆栽業者と盆栽愛好家が集まる村を目指して作られた。日本屈指の盆栽郷とされ、海外の盆栽愛好家にも知られる地区である。日本国内のみならず海外からの観光客も多く訪れている。閑静で緑豊かであることから、埼玉県内でも屈指の高級住宅地としても知られており、埼玉県の特別風致地区に選定された。また1997年平成9年)に建設省(現・国土交通省)選定の都市景観100選を受賞した。

造園業・植木業・園芸農家が存在しないことも特色である。なお、行政上は盆栽園は宅地とみなされており、緑豊かで静かな環境を作り上げたことは、住宅地としての価値を押し上げ、不動産価格・地価が上昇している。このため高級住宅地となっている反面、盆栽園は高額の固定資産税に悩まされ続けている。

歴史

1923年大正12年)の関東大震災で被災した東京小石川周辺の盆栽業者が移住して形成された地区である。盆栽業者たちは東京の壊滅を機に、煤煙などで汚染された都心を離れて、盆栽栽培に適した広く、清涼な水・空気のある土地に移ることにした。目をつけたのが関東ローム層の良質な赤土に恵まれた、草深い武蔵野の山林地帯であった北足立郡大宮町大砂土村の町村境付近(現在のさいたま市北区盆栽町の南東部)であり、土地一帯を購入して、東京の先進都市を参考に街づくりをはじめた[1]

近い将来、自動車が普及することを考えて、当時の住宅地としては過剰に広い区画道路を碁盤の目に整備した[2]。道の両側にはさくら、もみじ、かえで、けやきなどの木々が植えられた。また業者と愛好家のための街づくりを趣旨として、移住者に対して、盆栽を十鉢以上保有(たてまえ)、平屋に限る、生垣にする、門戸は開け放つ、などの条件をつけた。当時、何もない場所に民間人が一から町を作り上げた点で、非常に珍しい存在であった。

1925年(大正14年)ごろ、東京から初めの数件が移り住んで盆栽育成に努力すると、地元の業者や愛好者も刺激されて移り住むようになり、1929年(昭和4年)の総武鉄道開業で大宮公園駅至近となり、開村後20年足らずで盆栽村と周辺あわせて30軒もの盆栽園が開かれた。1940年(昭和15年)11月の町村合併に伴う旧大宮市成立により、それまで大宮・土手宿・西本郷・土呂に分かれていた盆栽村一帯をこれらの地域から分離して、全国的にも例がない「盆栽町(ぼんさいちょう)」とし、以後正式な住居表示として使用されている。

1940年代第二次世界大戦が勃発すると、戦時統制の下、盆栽は贅沢品とされてや周辺町村から嫌われて圧力がかかり、また村内の若い業者や愛好家の兵役・徴集によって廃業が相次いだ[1]。村は有力盆栽業者を、徴集を避けるために自治会長に据え、たまたま村を訪れた陸軍元帥寺内寿一の庇護によって圧力をかわしながら細々と盆栽園の営業を続け、終戦を迎えた[2]

戦後にも、沿道の樹木が燃料として伐採されるなど冷遇されたが、アメリカ軍の爆撃調査団が大宮を訪れた際に村に立ち寄り、盆栽の芸術性を高く評価してアメリカに紹介すると、海外から注目されて外国人が訪れるようになった[1]。また戦後復興とともに盆栽愛好家が再び増加し、経済成長によって観光客の来村も増え、活気を取り戻した。また国際行事の際には日本文化・日本芸術としての盆栽を展示または寄贈する習慣もできあがり、世界的な盆栽普及に貢献した。

1965年(昭和40年)に日本盆栽協会が発足した際、村内の道路には植えられた樹木ごとに「さくら通り」「やなぎ通り」「かえで通り」「けやき通り」「もみじ通り」「しで通り」の名前がつけられた。

2008年平成20年)には「大宮の盆栽」がさいたま市の伝統産業に指定された。

施設

2009年現在、盆栽村と呼ばれる地区内には以下の盆栽園が営業している。

  • 芙蓉園
  • 松濤園
  • 九霞園
  • 藤樹園
  • 寛楽園
  • 清香園 - 人気盆栽家の山田香織が当主。
  • 蔓青園
盆栽四季の家

このほか、旧大宮市域では大成(北区)や片柳、染谷(見沼区)にも盆栽園がある。その他、盆栽村地区内には下記の施設がある。

  • さいたま市立漫画会館 - 晩年を盆栽村で過ごした日本近代漫画の先駆者北澤楽天の邸宅・「楽天居」跡に建てられた記念館。楽天の作品・遺品が展示されている。入館無料。1966年(昭和41年)開館。
  • 盆栽四季の家 - 観光客が盆栽村で休憩するための施設で、無料で利用できる。他に茶会や会合に使える有料予約制の和室がある。1984年(昭和59年)開館。
  • 盆栽緑地公園
  • 盆栽中央緑地公園

また、村の北側(土呂町2丁目、埼玉県自治人材開発センターの南側)に、さいたま市が 高木盆栽美術館から約5億円で購入した盆栽・盆器・関連美術工芸品を収蔵、展示する「 さいたま市大宮盆栽美術館」が2010年(平成22年)3月28日に開館した。その他に、市立公園「市民の森」(JR土呂駅東口から徒歩10分)に盆栽展示場がある。

行事

1984年(昭和59年)より毎年5月3日から5日まで「大宮大盆栽まつり」が開催されている。

交通

  • 東武野田線大宮公園駅から徒歩3分。駅の北側一帯が盆栽村であるが、南側にしか改札がないので、駅西側の踏切を渡る。
  • JR東日本宇都宮線東北本線土呂駅東口から徒歩10分。埼玉県自治人材開発センター・さいたま市大宮盆栽美術館方向へ歩き、盆栽美術館を過ぎた先が盆栽町になる。
  • 東武バスウエスト大47系統(大宮駅東口 - 吉野町車庫)「盆栽入口」停留所から徒歩3分だが、本数が非常に少ないので利便性は皆無。バス利用の場合は、大42系統(大宮駅東口 - 宮原駅東口)「盆栽踏切」停留所を利用した方がよい。
  • 産業道路から程近いが、道の狭い住宅街なので公共交通を利用するのがよい。「四季の家」の駐車場が利用できる。

脚注

  1. ^ a b c 盆栽村80年のあゆみ - 九霞園
  2. ^ a b 大宮盆栽村 - 九霞園

関連項目

外部リンク

 ●特集「さいたま市長と共に若手盆栽家たちが語る21世紀の盆栽」(2011)タウン誌 AcoreおおみやNO・09          http://acore.moover.jp/ebook/v9/_SWF_Window.html?mode=1062