水野佐平

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みずの さへい

水野 佐平
前列左から水野佐平、宮城道雄岡田利兵衞
生誕 松浦佐吉
1891年明治24年)5月7日
徳島県勝浦郡棚野村坂本
死没 1972年昭和47年)
兵庫県伊丹市伊丹字宮ノ下
国籍 日本の旗 日本
教育 棚野村坂本尋常小学校卒業
影響を受けたもの 水野松太郎、河村勝太郎
配偶者 水野きく
子供 水野善太郎、道子
松浦菅蔵、サト
受賞 勲六等単光旭日章
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水野 佐平(みずの さへい、1891年明治24年)5月7日 - 1972年昭和47年))は日本の製作者・和楽器収集家。徳島県勝浦郡出身。大阪市の和楽器店に奉公して2代目を継ぎ、昭和恐慌の際伊丹市に移転した。戦時中に楽器の収集を始め、戦後丹水会館に日本初の楽器展示施設を開いたほか、国内外にコレクションを寄贈し、武蔵野音楽大学に楽器博物館、大阪音楽大学楽器資料室を開設させた。

生涯[編集]

箏製作へ[編集]

1891年(明治24年)5月7日徳島県勝浦郡棚野村坂本(勝浦町坂本)に松浦菅蔵の次男として生まれた[1]。幼名は佐吉[1]。幼少期から音の出る玩具を好み、枝切れや竹棹に糸を張り、音を鳴らして遊んだ[1]。坂本尋常小学校を卒業する際、教諭東条某に楽器製作の道を勧められ、村長新居彦太郎の斡旋で大阪市西区江戸堀北通二丁目の水野琴商に奉公した[1]。奉公初日に和楽器の中からを選び、店主水野松太郎、職人河村勝太郎康春の下で箏の製作に励む傍ら、13歳から12年間松下岡乃勾当に演奏も学んだ[1]

1922年(大正11年)三味線業者石村政之助と共に大阪三越百貨店に邦楽器部を開設した[2]

1931年(昭和6年)昭和恐慌により経営が悪化する中、宝塚歌劇から宝塚付近にあれば取引を継続してもよいと言い渡され、3月21日伊丹市宮之前の水野楽器現在地に転居した[2]

戦時中[編集]

1939年(昭和14年)2月特務機関の依頼で第4師団篠山連隊に属し、中支軍慰問所で蓄音機や楽器の修理に従事しながら、南京に開いた支店で尺八を販売した[2]。一時帰国の後、1939年(昭和14年)10月尺八奏者大藪秀嶺・筝奏者菊井松音・その介助者幸子と4名で邦楽慰問団を結成し、上海蘇州・南京・九江徐州等を歴訪しながら古楽器を収集し、11月帰国した[2]

戦時中は和楽器製作の仕事がなく、チェロ・ヴィオラ・コントラバス・ピアノ・フルート・ヴァイオリン等の洋楽器を収集し、分解して構造を研究した[3]。コレクションは空襲から守るため山中・畑中の小屋に疎開させた[2]

終戦直後、伊丹字宮ノ下に転居した[2]。戦後、店では駐留軍の求めに応じてギター等の洋楽器も扱うようになった[4]。1946年(昭和21年)西宮市辰馬夘一郎夫人の仲介で藤田伝三郎から古楽器11面を買い取るなど、旧地主・経営者層が売りに出した楽器を積極的に収集し、コレクションを増やした[2]

丹水会館の建設[編集]

1950年(昭和25年)9月猪名野神社東側屋敷内に演奏所を建設し[3]、「伊丹」と「水野」から一字ずつ取って丹水会館と名付けた[5]。1951年(昭和26年)4月杮落としとして宮城道雄の演奏会を開催し[6]、国文学者岡田利兵衞に依頼して会館歌「伊丹賛歌」を作曲した[7]。会館では週2回の講習会や伊丹市教育委員会主催の教養講座を行い、ギター・ヴァイオリン・ハーモニカ・箏・三味線・尺八等が指導された[8]。宮城道雄の演奏会も何度か再開催され、盛況の余り隣の水菜畑が踏み潰され、弁償したこともあった[5]

1956年(昭和31年)宮城道雄が事故死すると、1957年(昭和32年)6月25日一回忌に当たり[6]、会館内に邦楽器参考品展観所を設け、コレクションを展示した[5]。これは日本初の楽器専門の恒常的展示施設とされる[9]

なお、丹水会館は1995年(平成7年)阪神・淡路大震災に被災して閉館となり、2007年(平成19年)柿衞文庫敷地内に会館歌碑が再設置された[10]

コレクションの寄贈[編集]

和楽器の普及、商圏拡大のため、国内外へコレクションを積極的に寄贈した[11]。1961年(昭和36年)5月セルヌスキ博物館フランス語版副館長ルネイヴォン・ルフェーブル・ダルジャンセ(神戸総領事夫人とも[5])の来訪を受けた際、太助作の筝に関心を示したため、寄贈を申し出、1962年(昭和37年)1月4日作品は発送された[12]、5月25日自己負担での渡仏を申し出るも、為替管理法の関係で拒否されたことが朝日新聞で報道されると、1963年(昭和38年)6月大阪フランス友好協会の尽力で渡仏が実現し、27日国立パリ音楽院付属楽器博物館で贈呈式、7月17日パリ日本館で同伴者柴田貴美子による演奏会に出席し、イタリアスイスイギリスを回って帰国した[12]

1966年(昭和41年)夏、武蔵野音楽大学楽器陳列室を訪れて和楽器の寄贈を申し出、1967年(昭和42年)10月大学側はこれを契機に独立棟として楽器博物館を開館した[13]。1966年(昭和41年)11月には大阪音楽大学に邦楽器64点を寄贈し、1967年(昭和42年)4月楽器資料室、短期大学第1部・第2部音楽専攻に筝科が設けられた[8]。同年相愛大学にもコレクションを寄贈した[14]

1966年(昭和41年)武蔵野音楽大学学長福井直弘を通じて西ドイツオーストリア両大使から筝の購入を打診され、1968年(昭和43年)7月自作筝2点を寄贈し、それぞれベルリン楽器博物館ドイツ語版ウィーン民族博物館ドイツ語版に納められた[11]

1968年(昭和43年)勲六等単光旭日章を受章した[5]。1972年(昭和47年)死去した[15]

寄贈品[編集]

武蔵野音楽大学[編集]

大阪音楽大学[編集]

海外[編集]

ベルリン楽器博物館所蔵

親族[編集]

  • 父:松浦菅蔵 - 徳島県勝浦郡棚野村坂本(勝浦町坂本)の農家[1][1]
  • 母:サト[1]
  • 兄:岡蔵 – 7歳上[1]
  • 養父:水野松太郎 – 1890年(明治23年)大阪で楽器店を創業した[32]。1932年(昭和7年)4月19日71歳で没[2]
  • 養母 – 1945年(昭和20年)77歳で没[2]
  • 妻:きく – 1914年(大正3年)3月結婚した[2]
  • 長男:善太郎 – 1944年(昭和19年)4月29日脳性小児麻痺で死去した[2]
  • 長女:道子 – 1921年(大正10年)12月6日生[33]
  • 甥:水野壮介 – 太平洋戦争から復員後養子に入り、楽器店を継いだ[4]

水野楽器店は1990年(平成2年)9月6日[34]3代目の甥白石英樹が脱サラして4代目を継ぎ、現在も伊丹市宮ノ前二丁目2番5号で営業を続ける[32]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 守重 2009, p. 242.
  2. ^ a b c d e f g h i j k 守重 2009, p. 243.
  3. ^ a b 守重 2009, p. 244.
  4. ^ a b 淡交社 1992, p. 33.
  5. ^ a b c d e 淡交社 1992, p. 34.
  6. ^ a b 守重 2009, p. 245.
  7. ^ 森本 2007, pp. 12–13.
  8. ^ a b 守重 2009, p. 249.
  9. ^ 守重 2009, p. 241.
  10. ^ かきもりトピックス』(プレスリリース)柿衞文庫、2007年11月3日http://www.kakimori.jp/2007/09/2007921.php2018年7月28日閲覧 
  11. ^ a b 守重 2009, p. 248.
  12. ^ a b 守重 2009, p. 246.
  13. ^ 武蔵野音楽大学 1996, pp. 6–7.
  14. ^ 守重 2009, p. 247.
  15. ^ 淡交社 1992, p. 35.
  16. ^ 武蔵野音楽大学 1996, pp. 67–66.
  17. ^ 脇谷 2011, pp. 240–242.
  18. ^ 脇谷 2011, p. 241.
  19. ^ 笙  銘 節摺”. WEB楽器博物館. 武蔵野音楽大学. 2018年7月28日閲覧。
  20. ^ ”. WEB楽器博物館. 武蔵野音楽大学. 2018年7月28日閲覧。
  21. ^ 筝  銘 福寿”. WEB楽器博物館. 武蔵野音楽大学. 2018年7月28日閲覧。
  22. ^ 武蔵野音楽大学 1996, p. 71.
  23. ^ 武蔵野音楽大学 1996, p. 73.
  24. ^ 短箏”. 大阪音楽大学付属図書館. 2018年7月28日閲覧。
  25. ^ 箏(生田流)”. 大阪音楽大学付属図書館. 2018年7月28日閲覧。
  26. ^ 箏(生田流)”. 大阪音楽大学付属図書館. 2018年7月28日閲覧。
  27. ^ 三味線(地歌)”. 大阪音楽大学付属図書館. 2018年7月28日閲覧。
  28. ^ 三味線(地歌)”. 大阪音楽大学付属図書館. 2018年7月28日閲覧。
  29. ^ 平家琵琶”. 大阪音楽大学付属図書館. 2018年7月28日閲覧。
  30. ^ ZITHER KOTO”. Éduthèque. Philharmonie de Paris. 2018年7月28日閲覧。
  31. ^ Koto (Heterochorde Halbröhrenzither)”. Online-Datenbank der Sammlungen. Staatliche Museen zu Berlin. 2018年7月28日閲覧。
  32. ^ a b 豊田 2016, p. 3.
  33. ^ 守重 2009, p. 24.
  34. ^ 元見 2003, p. 23.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]