林道温泉
林道温泉 | |
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林道温泉・観光荘 | |
温泉情報 | |
所在地 | 富山県南砺市林道 |
座標 | 北緯36度29分35.2秒 東経136度54分43.9秒 / 北緯36.493111度 東経136.912194度座標: 北緯36度29分35.2秒 東経136度54分43.9秒 / 北緯36.493111度 東経136.912194度 |
交通 |
鉄道:城端線城端駅よりタクシーで約5分 自動車:東海北陸自動車道福光インターチェンジで降りる |
泉質 | 単純二酸化炭素泉 |
泉温(摂氏) | 10.5 °C |
宿泊施設数 | 0(全て廃業) |
林道温泉(りんどうおんせん)は、かつて富山県南砺市林道にあった温泉。1475年(文明7年)に連如上人により発見され、難病に効果があると説いたのが始まりとされている[1]。
泉質
林道温泉には、1号井(南砺市林道字大林)、2号井(南砺市林道山下島)、3号井(南砺市林道字大林)の計3本の源泉が存在する[2]。
林道温泉には旅館から約400m離れた谷あいに計3本の源泉が存在し、うち1本は単純二酸化炭素冷鉱泉、残り2本は遊離二酸化炭素量による温泉法上の温泉である。夏には炭酸のような味になることから『サイダー温泉とも』呼ばれていた[3]。
近くで河川の護岸工事が行われてからは炭酸の含有量が減っている。
神経痛、心臓病、痔に特効があるとされていた[4]。
温泉街
かつては『林道温泉観光荘』『加賀屋』『酒池観光ホテル』の3軒が存在していた。日帰り入浴施設はなく、『加賀屋』無きあとの日帰り入浴は『林道温泉観光荘』が利用されていた。現在はいずれも廃業している。
- 観光荘
- 1956年に、昭和28年台風第13号により岩石で埋まった源泉を再整備して開業[4]。1961年には高清水山の山裾に当たる現在地にて一軒宿が完成[3]。後述の加賀屋と酒池観光ホテルの中間に位置し[5]、裏庭はかつての荒木山スキー場の敷地を使用していた[6]。源泉から引いた湯を薪を燃やして加温していた[3]。
- ひなびた建物であるが、逆にそれがノスタルジーを醸し出して魅力となり、晴れた日の浴室からの散居村の眺望も絶佳であった。
- 加賀屋
- 江戸期刊行の紀行集『北国巡杖記』に記されている源泉[7]を使用し、明治初年代に『踊松鉱泉』として開湯。1933年に当時の経営者だった石川県津幡町出身者により権利を譲り受けて『加賀屋』と改称した[8]。
- その後1999年を以って廃業し、長らく廃墟となっていたが、2015年夏に建物が解体された。なお、敷地内に存在したラウンジ「SALASA」の建物は取り壊されずに現存している。
- 酒池観光ホテル
- 1737年刊行の『越中産物志』に記載されている源泉を使用して、明治20年代に天台宗の僧、覚仙が「すみ酒」に引泉して鉱泉宿を開き、創業[10]。その後ホテルに改組するが、1982年9月2日に改装工事中の浴槽付近から出火、水の便が悪く消火出来ず全焼[11]し、その後廃業となった。
アクセス
- 鉄道:城端線城端駅が最寄り駅である。
- 自動車:東海北陸自動車道福光インターチェンジで降りる。
脚注
- ^ a b 『北日本新聞』1990年1月23日付朝刊5面『加賀屋4月に再出発 城端林道温泉 3年計画で3階建て』より。
- ^ a b c d e “2.(2)源泉一覧表”. 富山県. 2021年11月13日閲覧。
- ^ a b c d 『富山お湯道楽ふるこ~す』(2004年4月7日増補発行、北日本新聞社)184頁。
- ^ a b 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)275頁。
- ^ 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)274頁。
- ^ 『富山のいで湯』(1977年10月18日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)171頁。
- ^ 『富山のいで湯』(1977年10月18日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)27 - 28頁。
- ^ 『富山のいで湯』(1977年10月18日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)27頁。
- ^ 『北日本新聞』1991年5月12日付朝刊6面『城端の林道温泉「加賀屋」 あす新装オープン』より。
- ^ 『富山のいで湯』(1977年10月18日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)105頁。
- ^ 『北日本新聞』1982年9月3日付1面『城端 林道温泉 酒池観光ホテル全焼 本館かど2730平方メートル 宿泊客ら無事』より。
関連項目
- 赤祖父石灰華生成地 - 炭酸泉が地形の形成に関連。