東丘いずひ

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ひがしおか いずひ
東丘 いずひ
本名 太田千恵子
別名義 太田美緒
東丘出陽
生年月日 (1949-02-17) 1949年2月17日
没年月日 (2019-05-01) 2019年5月1日(70歳没)
出生地 日本の旗 日本長野県安曇野市
身長 162cm
職業 女優
シャンソン歌手、抽象画家
事務所 オフィス・ビッグバン
公式サイト 東丘いずひ - ウェイバックマシン(2016年2月1日アーカイブ分)
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東丘 いずひ(ひがしおか いずひ、1949年2月17日 - 2019年5月1日)は、日本の女優。本名は、太田 千恵子[1]

来歴[編集]

長野県安曇野市出身。駒澤大学卒業後、文学座付属研究所第15期生、文学座サヴァーグループ。『いでゆアラカルト』(TBSテレビ)でデビューする。

芸名は「東の丘から日(ひ、太陽)出(いず)る」に由来する。

1986年に劇団夢屋を旗揚げ。日本で最初の慰安婦を題材にした舞台を同年11月22日から3日間公演し、その後「消された戦史・従軍慰安婦」シリーズを3部作として舞台公演した[2]

声優ナレーターとしても活躍していた。

2019年5月1日、急逝。

エピソード[編集]

慰安婦の舞台を公演した後、1980年代後半に慰安婦を慰霊するための支援活動を行っていた。しかし、挺隊協の初代代表で現:名誉共同代表である尹貞玉と会って行く過程で、本人と参議院議員会館にて面談の際、「慰霊碑建設の署名は要るが、募金は要らない」と言われ、日本社会党委員長土井たか子の秘書が札束の入った謝礼を渡していた事を目撃し、その後、尹から電話にて慰霊の支援活動を断られた。1992年10月14日に尹が再び来日時に成田空港へ迎えに行った際、東京へ向かう成田エクスプレス客室内で本人から断った理由を問い「日本政府が支援したから(署名、募金も)貰えない」と返答された。その後、支援活動から距離を取った。その後、1992年10月22日付で尹本人から「清水澄子議員、本岡昭次議員と会わなければならず、事前に伝えておらず(迎え後の)アポを反故にして申し訳ない。また、日本政府からの支援には反対の意思を表明する」と謝罪の手紙を貰った。しかしその後、アジア女性基金が設立され、日本からの41億円と一般市民募金の6億円が行方不明となる。

2015年ニコニコ動画において本人によって今までの自分の浅はかさを吐露する動画をあげる。その中で慰安婦問題は朝鮮による日本の戦後補償詐欺問題と激白する。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東丘 いずひ”. キャロットハウス. 2004年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月5日閲覧。
  2. ^ 従軍慰安婦の実態伝える 「女子挺身隊」の悲劇 劇団夢屋第三作 1987年8月14日 読売新聞夕刊

外部リンク[編集]