日比谷野外音楽堂
日比谷野外音楽堂 Hibiya Open-Air Concert Hall | |
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情報 | |
通称 | 日比谷野音、野音 |
正式名称 | 日比谷公園大音楽堂 |
完成 | 1923年7月 |
収容人員 | 3,053人 |
客席数 |
大音楽堂 椅子 2,653席、立見 385席、車椅子対応 15席 小音楽堂 1,075席 |
用途 | コンサート、集会 |
運営 |
東京都指定管理者 日比谷公会堂・大音楽堂管理事務所 |
所在地 | 東京都千代田区日比谷公園1-5 |
位置 | 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度座標: 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度 |
アクセス | 地下鉄霞ケ関駅下車 |
外部リンク | 日比谷公会堂/日比谷野音 公式HP |
日比谷野外音楽堂(ひびややがいおんがくどう、Hibiya Open-Air Concert Hall)は、東京都千代田区の日比谷公園内にある野外音楽堂である。大・小の2つがあり客席数・使用用途も異なっている。
明治時代に小音楽堂が開設されたのち、大正時代に大音楽堂が開設された。小音楽堂は日本最古の野外音楽堂である。
大音楽堂
一般には、『野音(やおん)』の名で親しまれている。野音といえばこの大音楽堂を指し、野外音楽堂の代名詞的存在である。客席数は椅子2,653席、立見385席、車椅子対応15席[1]。
東京23区内に野外でライブを開けて、しかもお客が3500人以上入るような会場自体はあまりなく[2]、さまざまなアーティストのコンサートに使われるほか、毎年5月1日のメーデーや、市民団体の集会なども行われる。周囲への騒音等を考慮し、コンサートは土曜と休日に限定されている。
初代の大音楽堂は1923年(大正12年)7月に開設され[3][4]、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年(昭和18年)から一時休館する。戦後はGHQに接収されたが、接収解除後の1954年(昭和29年)8月に改築の上、2代目大音楽堂として再開した[3]。老朽化が進行して1982年(昭和57年)から全面改築工事を行い、1983年(昭和58年)8月に3代目大音楽堂として完成し、現在に至る[3]。
2006年(平成18年)4月1日から、日比谷公会堂とともに、東京都の指定管理者が管理している。
- 降雨時の傘の使用は禁止で、雨合羽はここのイベントでは必需品である(ほとんどの催事が「雨天決行、荒天中止」となっている)。
- 席はベンチ型で固い。
- かつては客席内で煙草が吸える唯一の会場であったが、現在は禁煙である。飲食は可能で、酒類も販売される。
主な公演
- 成毛滋の呼びかけによる10円コンサート[4]
- キャロルの解散コンサート炎上事件[3][4][2][5][6]
- キャンディーズの解散宣言[3][4][5]
- 尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件[4][5]
- 岡林信康のライブ
- Johnny, Louis & Charが無料コンサートを行い、1万4千人を動員した。
- 1987年4月19日にLAUGHIN' NOSEのライブ中に、ステージへ詰め掛けたファンが将棋倒しとなり死傷者が出る事故が発生し(ラフィンノーズ公演雑踏事故)、LAUGHIN' NOSEは責任からしばらく活動を停止した。
- 1987年からSHOW-YAの提唱により、女性ミュージシャンのみによるフェス「NAONのYAON」も開催されている[4]。
- 2代目音楽堂の最終催事は萩原健一のコンサートだった。
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昭和初期の大音楽堂(中央)
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恩地孝四郎『日比谷音楽堂』(1930年)
小音楽堂
日本初の野外音楽堂として1905年(明治38年)に完成した。1923年(大正12年)9月の関東大震災で倒壊したが後日再築された。1983年(昭和58年)に大音楽堂と同時期に改築されて現在に至る(北緯35度40分26.2秒 東経139度45分25.2秒 / 北緯35.673944度 東経139.757000度)。客席数は1,075。最大の特徴はすべての催事が無料で、基本的に有料公演には貸し出さない。
完成時から軍楽隊の定期演奏会などが行われていた。関東大震災以降の中断期間を経て、1949年(昭和24年)ごろから再開した。現在は警視庁音楽隊・東京消防庁音楽隊などが演奏している。
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1907年(明治40年)発行の案内図
運動場の上の赤い八角形が音楽堂 -
1909年(明治42年)頃の小音楽堂
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1923年、関東大震災で倒壊した音楽堂(震災の被害を伝える絵葉書より)
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海上保安庁音楽隊の演奏(2009年)
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警視庁水曜コンサート(2012年)
出典
- ^ “大音楽堂(野音):座席表” (PDF). 2022年5月5日閲覧。
- ^ a b 伝説の日比谷野音公演、岡林信康と矢沢永吉のライブアルバムを振り返る
- ^ a b c d e 山内哲夫 (2013年1月21日). “日比谷野音が90周年、伝説のイベント再び 秋元康、南こうせつ、道重さゆみらが思い語る”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. p. 2. 2013年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e f ガモウ ユウイチ (2018年10月10日). “日比谷公園大音楽堂の伝説 いつの時代も"野音"は燃えていた......”. 東京エキマチVol.21. 交通新聞社. 2020年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
- ^ a b c 阿部公輔 (2022年7月5日). “ドサ回りで開いた扉 ロックスター矢沢永吉は日比谷野音で誕生した”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年7月5日時点におけるアーカイブ。 2022年7月7日閲覧。
- ^ “放送内容 今夜の嵐にしやがれは…日本ロック界の帝王! ★矢沢永吉が降臨!…”. 嵐にしやがれ. 日本テレビ (2019年8月31日). 2021年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。内田裕也、よみがえった伝説の野音でトリ! | 日テレNEWS24(Internet Archive)