斎藤文彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。221.190.183.227 (会話) による 2016年3月31日 (木) 13:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

斎藤 文彦(さいとう ふみひこ、1962年1月1日 - )は、日本編集者ライターコラムニスト構成作家プロレス解説者。東京都杉並区生まれ。アメリカ合衆国オーガスバーグ大学 (Augsburg College) 教養学部卒、早稲田大学スポーツ科学研究科修士課程修了。

専修大学帝塚山学院大学大正大学などで非常勤講師として教壇に立つ(サブカルチャー論、メディア文化論)。妻は、精神科医の香山リカ(事実婚関係)[1]

来歴

  • 1984年6月 - オーガスバーグ大学教養学部卒業。在米中より月刊プロレスデラックスプロレスのアメリカ駐在記者として活躍[2]
  • 1984年 - 初の単行本「いとしのプロレスinアメリカ」(ベースボールマガジン社)を刊行。
  • 1985年 - 帰国。週刊プロレス(週プロ)のスタッフ・ライターとして、海外ものを担当する。一方で、「PRE STAGEテレビ朝日)」、「地球キャッチミー朝日放送)」など、テレビ番組の構成作家としても活動。
  • 1993年 - 「プロレス大辞典」(小学館)を刊行。
  • 1994年 - ゲームソフト「スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL」のストーリーモードを監修。週刊プロレスでのコラムをまとめた「テイキングバンプ」(ベースボールマガジン社)を刊行。
  • 1995年
    • 5月10日 - 書き下ろしの単行本「Season's Greetings」(ベースボールマガジン社)を刊行。
    • 8月1日、「週刊プロレス」「デラックスプロレス」「プロレスアルバム恒文社)」に掲載(1985年〜1994年)されたインタビュー記事を中心にまとめた「DECADE プロレスラー100人の証言集」上下巻を刊行。
  • 1998年
    • 3月20日 - 週刊プロレスでのコラムをまとめた「ボーイズはボーイズ」(梅里書房)を刊行。
    • 7月10日 - 週刊プロレス別冊「アメリカーナ」を刊行。以降、年に約4回のペースで、続刊が出版される。
  • 2002年2月 - 「現代思想」(青土社)の臨時増刊「総特集プロレス」に、寄稿。
  • 2003年9月 - 「スポーツで楽しむアメリカ英語」(岩波書店)を刊行。
  • 2005年10月20日 - プロレス史研究の入門書でもある「アメプロの教科書」(ベースボールマガジン社)を刊行。
  • 2007年8月 - 日帰り人間ドックの内視鏡検査で癌が発見され、胃の3分の2と胆のうを切除する手術を受ける。
  • 2008年10月25日 - 週刊プロレスでのコラムをまとめた「みんなのプロレス」(ミシマ社)を刊行。
  • 現在は、Turnbuckles連載、高山善廣との対談連載、インタビュー記事毎月掲載など、「ゴング復刊」に全面協力。

SPA!」(扶桑社)「週刊ポスト」(小学館)など執筆活動の場を広げている [3][4]

人物

あだ名は、「フミ・サイトー」である。WWEがまだWWF名義だった頃から、日本語版のビデオを監修していた。

土居壮アナウンサーとのコンビによる、プロレス実況は「ドイフミ解説」と呼ばれ、人気を博した。

WCWビデオシリーズ、ECW中継など、アメリカの団体の日本語版の解説も務めた。

レッスルマニアには、毎年欠かさず現地取材に行っている。

海外への観戦ツアーでは、案内人の役目も務めた。

レジー・ベネットジョン・ロウリネイティスなど、記者という立場を越えて、友人関係にある選手も多い。

大阪にて不定期開催の、トークイベント「斎藤文彦とプロレスを語る夜」に出演。

ネコ6匹&イヌ1匹を飼っている。

2011年に、週刊プロレス連載コラム「ボーイズはボーイズ」が、前身である「USAプロレスリングコラム」から数えて、1000回を突破する。同時に、2011年は、プロレス記者生活を始めて30周年の年でもあった。

2012年度末、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科での研究などをもとに、『プロレスの社会学的考察 ―『スポーツと文明化/興奮の探究』より―』[1]と題する修士論文を執筆、提出および試験の合格などにより、修士(スポーツ科学)の学位を得る。

2014年5月には、KAMINOGEvol.30にて、『そうだったのか! 学べるアメリカンプロレス since 1850s』と題した対談が掲載される。

「ボーイズはボーイズ」終了に関しては、2014年7月30日のニコニコ生放送に斎藤氏自身が出演して見解を話した[5]

『佐藤編集長から「ぼく(編集長)に対する態度が無礼だから」という理由で年内いっぱい(2014年12月)での打ち切りを通告されるが、その状態で5ヶ月続けたくないとのことで、その場で週プロを辞めた。』とのことであった。

「ボーイズはボーイズ」は「USAプロレスリングコラム」から通算して1173回続く連載であった。

週刊プロレスにおけるコラム連載終了後は、2014年8月5日から日刊SPA!にて「フミ斎藤のプロレス講座」の連載が開始。

2014年9月9日に復刊の第1号「ゴング復刊」(徳間書店)でも連載開始[6]

2015年週刊ポスト5月22日号からは、「我が青春のプロレス ~馬場と猪木の50年戦記~」を連載開始。

主な著書

  • いとしのプロレスinアメリカ ― 米マット界レポート (ベースボール・マガジン社) (1984/01)
  • プロレス大事典 (小学館) (1993/12)
  • Taking Bumps テイキング・バンプ ― とっておきのプロレスリング・コラム (ベースボールマガジン社) (1994/05)
  • Season's Greetings シーズンズ・グリーティングス ザ・プロレス本 (ベースボールマガジン社) (1995/04)
  • DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻) (ベースボールマガジン社) (1995/07)
  • BOY ARE BOYS ―ボーイズはボーイズ― とっておきのプロレスリング・コラム (梅里書房) (1998/03)
  • ちゃんと元気なトーキョー・ピープル コラム30 (文芸社) (1999/2) ISBN 4-887-37223-X
  • スポーツで楽しむアメリカ英語 (岩波アクティブ新書) (2003/9) ISBN 4-007-00085-9
  • レジェンド100―アメリカン・プロレス伝説の男たち(ベースボールマガジン社) (2005/02) ISBN 4-583-03836-4
  • みんなのプロレス(ミシマ社) (2008/10) ISBN 4-903-90809-7
  • 覚悟 ― 人生60年、覚悟が生死をわけた! ― [DVD付](ビジネス社) (2010/3) ISBN 4-828-41568-8 [7]

脚注

  1. ^ 香山リカ『「だましだまし生きる」のも悪くない』光文社、2011年。ISBN 4334036066 
  2. ^ 『みんなのプロレス』(ミシマ社)参照
  3. ^ フミ斎藤のプロレス講座”. 2014年8月5日閲覧。
  4. ^ amazon 斎藤文彦の著書”. 2010年3月5日閲覧。
  5. ^ 香山リカtwitter2014年7月22日
  6. ^ 『ゴング』復刊号、コンテンツ紹介金沢克彦オフィシャルブログ 2014年9月4日
  7. ^ 藤原喜明を追いかけたノンフィクション。海外レスラーを綴ることが多い斎藤の著作の中では異色作。

外部リンク