愚乱・浪花
愚乱・浪花 | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
愚乱・浪花 木村吉公 もみじ饅頭郎 |
本名 | 木村 吉公 |
ニックネーム | コテコテかに道楽 |
身長 | 177cm |
体重 | 97kg |
誕生日 | 1977年2月15日 |
死亡日 | 2010年10月6日(33歳没) |
出身地 | 栃木県下都賀郡 |
所属 | フリーランス |
トレーナー | スペル・デルフィン |
デビュー | 1993年 |
愚乱・浪花(ぐらん・なにわ、1977年2月15日 - 2010年10月6日)は、日本のプロレスラー。本名は木村 吉公(きむら よしくに)。名前の読みは、「よしきみ」と間違えやすいが、「よしくに」が正しい。「浪花」というリングネーム、カニをモチーフとした覆面に、入場コスチュームを阪神タイガース応援ハッピ、入場曲を「かにの網元」(かに道楽CMソング)とするなど、大阪色を前面に押し出した覆面レスラーだが、出身は栃木県下都賀郡である。
経歴
- 1992年、ユニバーサル・プロレスリングに入団。練習生のままみちのくプロレスへ移籍。
- 1993年3月16日、本名でバトルロイヤルに参戦。プレデビュー。
- 1994年、TAKAみちのくの軍団入りに抗議、TAKAとの抗争が勃発。後に和解。
- 1995年8月、第1回ふく面ワールドリーグ戦出場。ザ・グレート・サスケを破る金星。
- 12月、スーパーJカップ初出場。
- 1997年、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場。高岩竜一から勝利をとる。
- 1998年6月5日、全日本プロレスに初参戦。
- 1999年1月、デルフィンたちとみちプロを離脱を発表するが、みちのく預かりとなる。
- 8月、第2回ふく面ワールドリーグ戦出場。熱戦の末、サスケから勝利するも骨折し欠場してしまう。
- 2000年8月、正式にフリーへ転向。
- 広島大会限定で「もみじ饅頭郎」に扮する。
- 2001年、全日本プロレスに参戦し主戦場とする。
- 2003年、みちのくプロレス参戦。
- 5月20日、左腕を骨折し長期欠場。以降、リングから姿を消す。
- 2005年12月31日、インディーサミットにて突如乱入 数年ぶりにファンに姿を見せた。
- 2007年、キングスロードを主戦場に、WRESTLE LANDなどに参戦。
- 以降、出場していた2団体が消滅し、イベント系の興行に参加する程度の活躍となる。
- 2010年10月6日、心筋梗塞により死去。33歳没[1]。
リングネーム
これまでデルフィンが名付けたリングネーム。
- 愚乱・浪花
- もみじ饅頭郎
得意技
- 旋回式ドクターボム
- 浪花のフィニッシュ・ホールド。通常のシットダウン式ではなく膝着地式で落とすのが特徴。
- カニ歩きエルボー
- ピースサインを両手で作り、上下に振りながらセカンドロープを綱渡りのように横移動して、飛び降りざまにエルボー・ドロップを見舞う独特の代名詞的な技。
- コテコテ・クラッチ
- リバース・ネルソン・デスロックと同型。相手の脚をインディアン・デスロックに固めて、上半身をリバース・フルネルソンで極める複合関節技。
- スイング式DDT
- 師であるデルフィンの技を受け継いだもの。
- 雪崩式フランケンシュタイナー
- 第1回ふく面ワールドリーグ戦では、ザ・グレート・サスケを場外に放ったこともある。
追悼試合
- 2010年12月25日、KAIENTAI-DOJO・後楽園ホール大会にてメモリアルマッチが行われた。
■第2試合 愚乱・浪花メモリアルマッチ1 〜みちのく・ザ・ベスト6人タッグマッチ | ||
ザ・グレート・サスケ 獅龍 ×TAKAみちのく |
10分30秒 デルフィン・クラッチ |
スペル・デルフィン○ 新崎人生 ヨネ原人 |
■第6試合 愚乱・浪花メモリアルマッチ2 〜海援隊★DXファイナルカウントダウン3 | ||
MEN'Sテイオー カズ・ハヤシ FUNAKI ○TAKAみちのく |
10分55秒 みちのくドライバーII |
ザ・グレート・サスケ 気仙沼二郎× 藤田ミノル 湯浅和也 |
※当初、第6試合は10人タッグだったが、ディック東郷の負傷欠場により、新崎人生が抜け8人タッグへ。
脚注
- ^ ““かに道楽レスラー”愚乱・浪花さん、33歳で急死”. MSN産経ニュース (2010年11月22日). 2014年6月7日閲覧。