岸田理生

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岸田 理生(きしだ りお、女性、1946年1月3日 - 2003年6月28日)は、日本の劇作家演出家シナリオ作家小説家翻訳家長野県岡谷市出身。中央大学法学部卒業。本名、林 寛美

経歴

1974年寺山修司が選考委員を務めていた第1回新書館フォアレディース賞を、『不眠症の猫』で受賞。それをきっかけに劇団天井桟敷に参加[1]。寺山との共作で、戯曲『身毒丸』や映画『草迷宮』『ボクサー』などを手掛けた。一方で、早稲田大学演劇研究会と「哥以劇場」を旗揚げし、独自の戯曲を書く[1]

1983年からは岸田事務所+楽天団を主宰し[1]、同年に上演した『糸地獄』で第29回岸田國士戯曲賞を受賞[1]小劇場運動の旗手の一人と目された。

1988年には『終の栖仮の宿』で第23回紀伊國屋演劇賞を受賞。怪奇幻想的な作風で、小説も書いたほか、テレビドラマのシナリオを多数執筆した。

1993年より「岸田理生カンパニー」を主宰するが、難病に倒れ、長い闘病の末、2003年に大腸癌で死去。2005年には岸田理生カンパニーのメンバーを中心とした「演劇集団 ユニットR」が結成された。また、「理生さんを偲ぶ会」主催の「岸田理生アバンギャルドフェスティヴァル(リオフェス)」が、2007年より毎年6〜7月にこまばアゴラ劇場で開催されている。

著作

  • 臘月記 戯曲集 出帆新社 1982
  • 糸地獄 第二戯曲集 出版新社、1984
  • 私の吸血学 白水社 1985
  • 忘れな草 ベデキント「ルル」による 而立書房 1986.9
  • 最後の子 光風社出版 1986 のち角川ホラー文庫
  • 幻想遊戯 演劇エッセイ集 而立書房 1987
  • 水妖記 光風社出版 1988 のち角川ホラー文庫
  • 恋 3部作 而立書房 1992
  • 1999年の夏休み 角川ルビー文庫 1992
  • 身毒丸・草迷宮 戯曲集 劇書房 1997
  • 終の栖・仮の宿 川島芳子伝 而立書房 2002
  • 岸田理生戯曲集 而立書房 2004
  1. 捨子物語
  2. 糸地獄
  3. 鳥よ鳥よ青い鳥よ

翻訳

脚注

  1. ^ a b c d 岸田理生”. 日本劇作家協会 戯曲デジタルアーカイブ. 日本劇作家協会. 2022年4月29日閲覧。

参考文献

外部リンク