吉江喜一

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吉江 喜一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長野県塩尻市
生年月日 (1948-06-14) 1948年6月14日
没年月日 (2018-08-29) 2018年8月29日(70歳没)
身長
体重
174 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1966年 第1次ドラフト2位
初出場 1967年10月14日
最終出場 同上
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 2018年8月29日[1])は、長野県塩尻市出身のプロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物[編集]

塚原高校では1966年夏の甲子園に出場。1回戦で松山商西本明和投手と投げ合い、延長11回の投手戦の末、0-1xでサヨナラ負けした。松山商はこの大会に準優勝。1966年第1次ドラフト会議サンケイアトムズから2位指名を受け入団。

がっちりとした体つきで、速球とカーブ、シュートを武器に真向から勝負していくピッチングが持味。しかし、一軍では1年目終盤の1試合だけの登板に留まり、この試合では山内一弘に史上2人目の2000本安打を打たれている。翌1968年に僅か2年で引退した。

2018年8月29日に70歳で死去したと、9月1日の信濃毎日新聞に報じられた。その記事では、名前の読みが「よしえ きいち」となっていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1967 サンケイ 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 13 3.0 2 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0.00 2.00
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 13 3.0 2 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0.00 2.00

記録[編集]

背番号[編集]

  • 21 (1967年 - 1968年)

脚注[編集]

  1. ^ OB NEWS Vol.81” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2019年3月). 2020年6月21日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]