原爆の子 (映画)

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原爆の子
監督 新藤兼人
脚本 新藤兼人
製作 吉村公三郎
山田典吾
出演者 乙羽信子
細川ちか子
清水将夫
滝沢修
宇野重吉
殿山泰司
北林谷栄
東野英治郎
下元勉
小夜福子
音楽 伊福部昭
撮影 伊藤武夫
配給 近代映画協会=劇団民藝
公開 1952年8月6日日本の旗
1954年3月3日フランスの旗
1954年12月1日スウェーデンの旗
上映時間 97分
製作国 日本
言語 日本語
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原爆の子』(げんばくのこ)は、長田新が編纂した作文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店刊)を基に新藤兼人が監督した、乙羽信子主演の1952年制作の日本映画である。

本作は、戦後に初めて原爆を直接取り上げた映画とされている。

1953年カンヌ国際映画祭に出品されるも、米国がこの作品に圧力をかけ、受賞妨害に外務省が工作を試みた。また西ドイツでは反戦映画として軍当局に没収されるなど[要出典]、各国で物議を醸したが"原爆許すまじ"という世界の声に合致し各国で大きな反響を呼び、1954年には第8回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭平和賞、1956年に第10回英国アカデミー賞国連平和賞やポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受賞し、世界に於いて反核映画の第1号となった。現在もこの映画はヨーロッパで度々上映されている。アメリカでは1995年にカリフォルニア州の大学の博物館で上映、2011年ニューヨークブルックリン区で上映されることとなった[1]

主な出演者

物語

1945年8月6日、広島に原爆が投下され、当時広島に住んでいた石川孝子(乙羽信子)は家族の中でたった一人生き残ったのである。戦後瀬戸内海の小島で小学校の教師をしていたが、原爆被災の頃に勤務していた幼稚園の園児達の近況について、消息を確認したいと思い、小学校の夏休みを利用して、久しぶりに故郷広島を訪れる。

そして、園児達の今を知るべく、彼らを訪ね歩くのだが…。

主な賞歴

脚注

  1. ^ 「原爆の子」NYで初上映 新藤監督99歳の誕生日に”. 共同通信 (2011年3月26日). 2011年3月26日閲覧。

関連項目