南有馬町

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南有馬町
廃止日 2006年3月31日
廃止理由 新設合併
加津佐町口之津町南有馬町北有馬町
西有家町有家町布津町深江町南島原市
現在の自治体 南島原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南高来郡
市町村コード 42371-8
面積 23.26 km2
総人口 5,924
(2005年5月1日)
隣接自治体 北有馬町口之津町
加津佐町雲仙市
町の木 マキ
町の花 スイセン
南有馬町役場
所在地 859-2412
長崎県南高来郡南有馬町乙1023番地
外部リンク 南有馬町
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南有馬町(みなみありまちょう)は、長崎県島原半島にあった

2006年3月31日、周辺7町と対等合併し、南島原市となり消滅した。

地理

島原半島の南部に位置し、島原湾に面する。

隣接市町村

歴史

原城跡

1496年明応5年)、有馬貴純が現在の町域に原城を築城し、以後戦国時代から江戸時代初期にかけて、町名の由来ともなっている有馬氏による統治が行われる。キリシタン大名である有馬義貞とその子有馬晴信の時代にキリスト教信者が増加したが、晴信の子有馬直純は幕府の命により棄教し、キリスト教を迫害。1614年慶長19年)に有馬氏は転封し松倉重政松倉勝家による圧政が行われる。また一国一城令により原城は廃城となり放棄された。1637年寛永14年)に勃発した島原の乱の際、一揆軍は放置されていた原城跡に籠城し抵抗を行ったが、幕府軍に鎮圧された。

島原の乱後、島原藩を統治し復興に取り組んだ高力忠房の政策により、現在の町域には小豆島から島民が移住してきたといわれている。

近現代

  • 1932年1月1日 南有馬村が町制施行。南有馬町となる。
  • 2006年3月31日、加津佐町・口之津町・北有馬町・西有家町・有家町・布津町・深江町と合併して南島原市となる。

行政

  • 町長:松尾義博

姉妹都市・提携都市

国内

※上述の小豆島島内の自治体の1つ。
加賀一向一揆の最後の戦が行われた場所。宗教抗争の最後の戦闘が行われた地という点で南有馬町と共通性を持つ。

地域

地名

  • 甲/吉川名
  • 乙/大江名
  • 丙/白木野名
  • 丁/浦田名
  • 戊/北岡名
  • 己/古園名

教育

高等学校

中学校

町立
  • 南有馬中学校

小学校

町立

交通

鉄道

中心駅は原城駅。

バス路線

一般路線バス

  • 島原鉄道バス

道路

一般国道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 原城跡(国の史跡
  • 西望公園・西望記念館
  • 原城温泉「真砂」(温泉施設)
  • 古野いこいの広場
  • 棚田(日本の棚田100選)

南有馬町出身の著名人

外部リンク