保護貿易

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保護貿易(ほごぼうえき、trade protection)とは、国内取引と国外取引の間に関税などの交易障壁を設けた状態における貿易のこと。

対義語は自由貿易

概要

政策的な目的などにより、国内産業を外国産業との競争から保護するために関税を設け、外国産業の輸出にハンデを負わせるのが保護貿易である。

関税の決定権は通常、中央政府にあるが中央政府の体制次第では国内産業の主張を反映せざるを得ない場合がある。競争力の弱い国内産業の場合、競合する輸入品の制限を求めることが多い。このときに、中央政府は、当該産業との競合品に関して高率の関税をかけるなどして輸入を制限する。これによって、当該産業は保護され市場シェアと利益を確保できる。

また、中央政府が特定の産業を国内で育成する目的を持って主体的に関税を設ける場合もある。

これらの、意図で形成される貿易体制が保護貿易である。

一般に、関税は当該商品の購入者に対する間接的課税となり、本質的な被害は国内にもたらされる。

特性

保護貿易はいくつかの特性を持っている。

ゲーム理論からのアプローチ

自由貿易の体制の中、一カ国が保護貿易体制を敷いたとする。この場合、保護貿易国では貿易収支が改善される。逆に自由貿易国は貿易収支が悪化するため、保護貿易への転換を選択する。このため、保護貿易が広がり全体的な効率性が低下する(ナッシュ均衡)(合成の誤謬)。

変動相場制からのアプローチ

資本移動が無い、あるいは一定の場合を想定する。このとき、為替相場変動の要因は貿易額変動のみになる。特定の産業を保護するために関税をかけると、保護された産業の市場で外国勢のシェアが落ち輸入額が減少する。輸入額の減少は自国通貨高をもたらすために、保護されていない産業は競合品の輸入が拡大しシェアを落とす。また、自国通貨高により輸出産業が打撃をこうむる。このように、ある産業が保護されると、保護されていない産業は損害をこうむる。

歴史

17世紀のイギリスでは、重商主義が隆盛を極め、保護貿易により欧州の貨幣的富を一手にした。この政策姿勢はイギリスの繁栄の礎を築いた。一方、経済学的論争へつながり、後の古典派経済学による重商主義批判をもたらす。

19世紀半ば、イギリスでは穀物保護貿易による賃金高止まりへの批判から、穀物法が撤廃された。保護貿易によって資本蓄積したイギリスは、産業発展の過程で自由貿易へ転向したのである。

19世紀半ば、アメリカでは綿花輸出で栄える自由貿易派の南部と、工業育成を図る保護貿易派の北部との間で対立が抜き差しならないものとなり、南北戦争が勃発した。北部は勝利し、保護貿易によりアメリカ国内の産業は拡大発展した。一方、超大国となった第二次世界大戦後は自由貿易へ転向している。

日本では、明治初期頃から帝国主義的な覇権競争の中で日本の利益をいかに保護するかという目的で、福澤諭吉の論説などに見られるようになった(『明六雑誌』第26号)。明治中期頃からは田口卯吉徳富蘇峰は政府の保護貿易政策を批判して自由貿易を唱えたが、それを批判して河上肇の農業重視論などが登場した。

第二次世界大戦前夜、先進工業諸国はブロック経済を形成し保護貿易の度合いを深めていた。この体制は各国の経済的効率性を著しく損ない、大戦勃発の要因となった。

関連項目