九錫

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九錫(きゅうしゃく)とは、中国漢朝晋朝南北朝時代等で皇帝より臣下に下賜された、9種類の最高の恩賞。に通じる。前漢王莽に下賜された「九命の錫」が原型とされている[1]

九錫の内容[編集]

韓詩外伝』巻8によると、これらのものは通常は天子にのみ使用が許されたものであり、これらの使用を有徳の諸侯に許可することで恩賞とした。この恩典は天子である皇帝に準ずるものであり、禅譲の前段階であると考えられていた[1]

  • 一錫の車馬
    • たい(金車のこと)、じゅう(兵車のこと)、黄馬八匹。
  • 再錫の衣服
    • 王者の服。朱のくつたること。袞冕赤舃こんべんせきせき
  • 三錫の虎賁 
    • 虎賁とは天子に直属する護衛兵のことで、権臣に付されたもの。九錫制度が確立してからは300人に固定化されたが、公孫淵孫権より受けたのが100人だったなどの変化もある[1]
  • 四錫の楽器
    • 軒懸の楽、堂下の楽。昇降必ず楽を奏す。
  • 五錫ののうへい
    • きざはしとは台階のこと、ちょうへいを登る自由のこと。
  • 六錫の朱戸
    • 朱戸とは朱漆で塗った大門のこと。
  • 七錫の弓矢
    • とうきゅう一、とう百、きゅう十、千。朱弓・黒弓こっきゅうなり。
  • 八錫のえつ
    • えつ各々一、おのはすなわち金斧・銀斧のこと。軍権を象徴している。
  • 九錫のきょちょう
    • 秬鬯きょちょうとは黒で醸造した香酒のこと。祭祀を行うための酒。

後漢書』献帝紀章懐太子注には九錫「一曰車馬、二曰衣服、三曰楽器、四曰朱戸、五曰納陛、六曰虎賁、七曰鈇鉞、八曰弓矢、九曰秬鬯」と異なる順序での記載もある。梁冀董卓など九錫の一部を恩典として受ける例もあった[2]

九錫対象者[編集]

  1. 王莽[1]前漢平帝より下賜、後にを建国。
  2. 曹操[1]:213年、後漢献帝より下賜、子の曹丕が後に曹魏を建国。
  3. 孫権[1]:221年、名目上曹魏に投降し、曹丕より下賜。数年後にの皇帝を称す。
  4. 司馬昭[1]:263年、曹魏の元帝より下賜、子の司馬炎が後に西晋を建国。
  5. 司馬倫:西晋の恵帝より下賜。帝位にのぼるが間もなく殺害される。
  6. 司馬冏:西晋の恵帝より下賜。司馬倫を除いた功によるが、間もなく殺害される。
  7. 司馬越:西晋の懐帝より下賜。
  8. 陳敏永嘉の乱の際に自称。間もなく殺害される。
  9. 石勒前趙劉曜より下賜。後に劉曜と対立し後趙を建国。
  10. 張茂:前趙の劉曜より下賜。事実上の独立国である前涼の国主で、前趙に帰順した功によるが、実際は東晋と前趙への両属状態をとっていた。
    • 子の張駿は、後趙の石勒より五錫(もしくは九錫)を下賜された。
  11. 石虎:後趙の石弘により下賜。後に石弘を殺害して帝位にのぼる。
  12. 譙縦後秦姚興より下賜され、後蜀の王となる。東晋によって滅ぼされる。
  13. 桓玄:東晋の安帝より下賜、後に皇帝を称し桓楚を建国したが間もなく劉裕に滅ぼされる。
  14. 劉裕[1]:416年、東晋の恭帝より下賜。後に南朝宋を建国。
  15. 蕭道成[1]:479年、南朝宋の順帝より下賜。後に南朝斉を建国。
  16. 蕭衍[1]:502年、南朝斉の和帝より下賜。後に南朝梁を建国。
  17. 侯景:南朝梁の蕭棟より下賜。後に漢を建国したが、間もなく王僧弁陳霸先らに滅ぼされる。
  18. 陳霸先[1]:557年、南朝梁の敬帝より下賜。後にを建国。
  19. 爾朱栄北魏節閔帝より没後追贈。
  20. 元澄:北魏の孝明帝より没後追贈。
  21. 高洋東魏孝静帝より下賜。後に北斉を建国。
  22. 楊堅[1]:581年、北周静帝より下賜。後にを建国。
  23. 李淵[1]:618年、隋の恭帝侑より下賜。後にを建国。
  24. 王世充:隋の恭帝侗より下賜、鄭を建国するが、間もなく唐によって滅ぼされる。

九錫を受けなかった例[編集]

後漢の権臣であった梁冀は九錫賜与を希望し、九錫賜与の建議を配下に行わせたが、司空黄瓊の反対によって受けることができなかった[3]

一方で九錫下賜を辞退した例も見られる。249年には司馬懿曹芳より九錫を受けるよう命があったが辞退している[4]において李厳諸葛亮に対し九錫を受けてはどうかと勧めたことがあったが、諸葛亮が曹魏を滅亡させた後になら、九錫どころか十錫でも受けると回答している[5]。また公孫淵は223年に孫権によって九錫を授けられたが[1]、その使者を殺害し、曹魏に差し出している。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 石井仁 2001, p. 719.
  2. ^ 石井仁 2001, p. 721.
  3. ^ 石井仁, p. 740.
  4. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:晉書/卷001
  5. ^ 三国志』蜀書・李厳伝の中に「今討賊未効、知己未答、而方寵斉・晋、坐自貴大、非其義也。若滅魏、斬叡、帝還故居、与諸子并昇、雖十命可受、況于九邪!」の記述がある。

参考文献[編集]

  • 石井仁「虎賁班劍考 : 漢六朝の恩賜・殊禮と故事」(PDF)『東洋史研究』59(4)、東洋史研究會、2001年、710-742頁、NAID 110000284617 

関連項目[編集]