和帝 (南朝斉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
和帝 蕭宝融
第7代皇帝
王朝
在位期間 501年 - 502年
姓・諱 蕭宝融
智昭
諡号 和皇帝(武帝による)
生年 永明6年(488年
没年 天監元年4月10日
502年5月2日
明帝
敬皇后
皇后 王蕣華
陵墓 恭安陵
年号 中興 : 501年 - 502年

和帝(わてい)は、南朝(南斉)の第7代(最後の)皇帝。明帝の三男。

生涯[編集]

同母兄の皇帝蕭宝巻に対して蕭衍が挙兵した際に擁立され、蕭宝巻が殺害されると皇帝に即位した。しかしその治世は蕭衍が実権を掌握し、帝位禅譲を目的に即位させられたにすぎなかった。翌年3月には蕭衍への禅譲が行われ、斉に代わってが成立した。禅譲後の蕭宝融は武帝蕭衍から巴陵王に封じられて斉の正朔を許されたが、その翌月に武帝によって殺害された。

先代:
廃帝東昏侯
の第7代皇帝
501年 - 502年
次代:
滅亡