石弘

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海陽王 石弘
後趙
第2代皇帝
王朝 後趙
在位期間 333年 - 334年
姓・諱 石弘
大雅
生年 嘉平3年(313年
没年 延熙元年(334年)11月
明帝
程太后
年号 延熙 : 334年

石 弘(せき こう)は、五胡十六国時代後趙の第2代皇帝。明帝石勒の次男。

生涯[編集]

五経杜嘏に、兵書を劉徴任播に、撃剣を王陽にそれぞれ学んだ。父の下で中領軍・衛将軍を務めた。趙王8年(326年)、従兄の石虎に代わりを鎮守した。建平元年(330年)に父が皇帝を称すると、皇太子に立てられた。建平3年(332年)、明帝から政務を任せられた。武人肌であった父と違って儒家と親しみ、文学に興味を示す文化人だったと言われる。そのために気が弱く、建平4年(333年)7月に父が崩御すると、帝位を中山王石虎に譲ろうとしたが、石虎が拒絶したため、即位して皇帝となった。しかし実権は石虎に握られていたため、傀儡に等しかった。延熙元年(334年)、石虎に反対する勢力も4月までに制圧され、10月に廃位されて海陽王とされた。11月、崇訓宮で弟の石宏石恢らとともに殺された。享年22。

宗室[編集]

父母[編集]

  • 父:高祖明帝(石勒

従兄弟[編集]

先代:
明帝
後趙の第2代皇帝
333年 - 334年
次代:
武帝