中村英一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kanjybot (会話 | 投稿記録) による 2015年7月12日 (日) 15:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTREQ 天才バカボン_(アニメ) 分割対応)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

中村 英一(なかむら えいいち、1947年3月2日 - )は、日本の元アニメーターキャラクターデザイナー東京都出身。元シンエイ動画所属。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。

略歴

少年時代より劇画が好きで、将来は漫画家を目指していた。高校卒業後に就職をしていたが、新聞広告でAプロダクション(現:シンエイ動画)のアニメーター募集を知り応募。1966年、第一期生として入社した。当時は、百数十名の応募に対して、合格は4人という狭き門だった。同期には須田正己など(但し須田は研修を受けたのみ)。楠部大吉郎など東映動画出身のベテランアニメーターから技術を吸収して、多数のアニメで原画を担当した。

その後、1976年9月にAプロダクションがシンエイ動画に改組された際も、多くのスタッフが独立した中で、中村はシンエイ動画に留まって、2007年まではシンエイ動画の作画部長を務めた。シンエイ動画を代表するスタッフの一人であり、シンエイ動画に所属するアニメーターの大塚正実渡辺歩2011年、退社)らに多大な影響を与えた人物。また、原恵一が『ドラえもん』で各話演出を担当していた頃、彼の演出に難色を示した作画スタッフが原と対立した事があり、その時に両者の仲裁をした事もあった。

テレビアニメドラえもん』ではパイロット版「勉強べやのつりぼり」のキャラクターデザイン・作画監督として参加し、それから2005年のリニューアルまで同作品のキャラクターデザイン・総作画監督を務めていた。リニューアル後も引き続き各話の作画監督を担当していたものの、富永貞義とほぼ同時期(2007年上半期)に降板した(富永は2008年4月に渡辺歩と共同でキャラクターデザインとして再登板し、2014年より単独で担当している)。

現在は長年勤めたシンエイ動画を定年退職し、アニメーターから一線を退いた。

主な参加作品

テレビアニメ

劇場映画

関連項目