コンテンツにスキップ

中村弘道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 弘道
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県伊勢市
生年月日 (1961-11-01) 1961年11月1日(62歳)
身長
体重
172 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト2位
初出場 1986年6月21日
最終出場 1989年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中村 弘道(なかむら ひろみち、1961年11月1日 - )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

[編集]

宇治山田商業高では、2年生の時にエースとして1978年夏の甲子園に出場。1回戦で南陽工業高津田恒美と投げ合うが完封負け[1]。翌1979年春季中部大会に進むが、1回戦で静岡学園高に敗退。同年夏は県予選準々決勝で上野高に敗れ、甲子園には出場できなかった。高校時代に完全試合を2度経験している。

高校卒業後は、社会人野球北海道拓殖銀行に入社。1984年都市対抗野球では高校先輩の竹内昭文(のち法大シダックス監督)とバッテリーを組む。1回戦では四国銀行から6連続三振を奪い、竹内の満塁本塁打もあって快勝。2回戦でも先発し川崎製鉄水島を降す。準決勝では日産自動車久保恭久と投げ合うが惜敗した[2]

1985年のプロ野球ドラフト会議南海ホークスから2位指名を受け入団[3]

プロ1年目の1986年から中継ぎとして14試合に登板し、翌1987年も中継ぎで10試合に登板する。1988年は一軍登板機会がなく、翌1989年6月に白井孝幸と共に西村英嗣江本晃一との交換で中日ドラゴンズに移籍する。しかし、あまり登板機会に恵まれず、同年限りで現役を引退した。

全日本大学野球連盟学生野球指導登録者[4]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1986 南海 14 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 74 17 17 4 8 1 0 10 1 0 12 12 6.35 1.47
1987 10 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 42 7.2 14 2 4 0 1 1 0 0 9 8 9.39 2.35
1989 中日 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 0.2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 3.00
通算:3年 26 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 120 25.1 33 6 12 1 1 11 1 0 21 20 7.11 1.78

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 10 (1986年 - 1989年途中)
  • 42 (1989年途中 - 同年終了)

脚注

[編集]
  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ 宇治山田商業高等学校 2004年
  4. ^ プロ野球OB 学生野球指導登録者一覧 2015/07/15 閲覧 - 全日本大学野球連盟

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]