中原恵司

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中原 恵司
ソフトバンク時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県大府市
生年月日 (1987-07-10) 1987年7月10日(36歳)
身長
体重
183 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 ドラフト4位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

中原 恵司(なかはら けいじ、旧姓:下平(しもひら)、1987年7月10日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

愛知県大府市出身。小学2年から投手捕手として野球をはじめ、中学時代は投手兼外野手。

武蔵工大二高(現:東京都市大塩尻高)では1年春からベンチ入り、秋にはエースとなるが2年秋には遊撃手に転向。強肩強打の大型遊撃手として注目された。2学年下には菊池涼介がいた。

進学した亜細亜大学でも1年春からベンチ入り。3年春(2008年)に外野手のレギュラーを掴むと、3季連続でベストナインに選出された。東都大学リーグ通算61試合出場、186打数42安打、打率.226、9本塁打、24打点。

2009年第37回日米大学野球選手権では同窓の中田亮二日本代表の4番・5番を張り、中原は全5試合で安打を放ち6打点を挙げ日本の連覇に貢献。MVPに選出された。

2009年10月29日プロ野球ドラフト会議福岡ソフトバンクホークスの4位指名を受け入団。2012年までは一軍昇格はなかった。

2013年は春季キャンプ、オープン戦と一軍に帯同し、3月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では加賀美希昇から本塁打を放つなどしたが、開幕直前に二軍降格。結局プロ入り後4年間で一度も一軍公式戦出場のないまま、同年10月7日に球団から戦力外通告を受けた[1]。同年末には語学留学を兼ねてプエルトリコのウィンターリーグに参加(ヒガンテス・デ・カロリーナに所属)するなどしていたが、この年限りで現役を引退。

その後、2014年6月12日福岡県福岡市中央区大名に自身が店主を務める「世直し居酒屋 ええじゃないか」をオープン。ホークスの選手や親しい関係者なども度々訪れていたが、のちに居酒屋は閉店[1]。以降はホークスジュニアアカデミーでコーチを務める[2]

人物[編集]

先述のように元々は「下平」姓であったが、3姉妹である母方の名字「中原」を途絶えさせないため、2009年2月に祖母と養子縁組をして「下平」から姓を変更した。次男である中原に姓を継がせることは、中原が幼い時に亡くなった母方の祖父の遺言であったという[3]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 10(2010年 - 2013年)

脚注[編集]

  1. ^ 来季契約についてソフトバンク球団公式サイト2013年10月7日配信
  2. ^ コーチ紹介 ホークスジュニアアカデミーHP
  3. ^ 中原選手、本塁打王の歴史に「中原」の名を残すことを誓った ニッカンスポーツ(福岡ソフトバンクホークス公式サイトのアーカイブ)、2016年6月3日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]