松山三四六

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三四六(さんしろう、1970年7月9日 - )は、日本のものまねタレントラジオパーソナリティ長野大学社会福祉学部客員准教授JVCエンタテインメント所属。

本名は、秦 光秀(はた みつひで)。旧芸名は、松山 三四郎(まつやま さんしろう)、三四郎東京都生まれ。明治大学法学部卒業。妻は女優の網浜直子

来歴・人物

小学生の頃から柔道をやっていて、明大中野中学の時に第16回全国中学校柔道大会78kg以下級で優勝(決勝の相手は後の世界チャンピオンの中村佳央)し、今でも特技としている。

芸名の三四六は柔道の姿三四郎にちなむとされており、現在の所属事務所移籍時に松山三四郎から改名している。ちなみにこの松山は松山千春から千春の物真似の実力を認められ直々に命名されたものだった。

大学在学中の1994年日本テレビの「史上最強ものまねバトル大賞」の素人選手権で優勝し、芸能界デビュー。同年に「オールナイトニッポン」のパーソナリティをつとめ、同時にラジオパーソナリティとしてもデビューするが、ブレイクするのは1998年。同年4月にスタートしたTOKYO FMの「エモーショナルビート」のパーソナリティを任され人気番組に押し上げたのである。2000年9月に番組が終了すると活躍の場を長野県に求め、2001年4月からスタートしたFM長野の「346 GROOVE FRIDAY」のメインパーソナリティを務め、以来活動の主軸を長野県において芸能活動をしている。もちろん東京での活動も続けていて2002年4月から2003年9月まではTOKYO FMで初の全国ネットのラジオレギュラー番組、「J-PHONE BLUESKY PROJECT」を担当した他、現在では スカイパーフェクTV!のチャンネルでも活躍中、また柔道の国内主要大会においてレポーターとして登場するなど、その活躍の場は多岐に渡る。

1998年に「ものまねバトル大賞」で共演した女優の網浜直子と結婚。また、長野県限定ながら歌手デビューも果たしていてシングルを2枚、アルバムを3枚製作。執筆活動やコンサートツアーも行っている。

松山千春のON THE RADIO(FM NACK5)では2008年7月6日、7月13日の2回、同年6月25日に不安定狭心症で倒れた松山千春の代役を務めた。2009年4月から2010年4月まで、文化放送でレギュラーラジオ番組「三四六・吉井歌奈子 TOKYO CHEERS」を担当した。

2012年4月よりFM NACK5で松山三四六 NUTS5のパーソナリティとして出演中。

長野県での活躍

  • FM長野の番組で「税金は誰しもが払う義務があります。例え身体の具合が悪い人も通院や薬を控えても払わなきゃいけないのです。」と言っていた。
  • 上記番組以外では『346 Bar』(信越放送)にも出演していた。長野県のテレビ局やFMラジオ局を中心とし、現在でも多方面で活躍中。
  • また「信州ラーメン博」や「ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)」の開幕試合等々の総合司会などイベントなどでも活躍。「BCリーグ」に参戦中の地元長野県を拠点とする「信濃グランセローズ」に対してはその公式応援歌「戦場のカモシカ」を提供するなど、応援団長という肩書きの元に親密な関係も構築している。

インターネットでの活躍

  • 株式会社カレッジリーグの運営する大学生向けSNSサイト「e-college」で、毎年春の新入生入学シーズンに『キャンパスハッピーライフの伝道師』として、期間限定でインターネット動画に登場し、自身の大学時代(柔道部在籍)を語っている。
  • 「346 GROOVE FRIDAY」にリンクした三四六の公式ブログ、「三四六語録」も展開していたが、諸般の事情により、一時休止していた。その後、ヤプログ!からダイヤモンドブログに移転、2009年4月16日より更新を再開した。

ラジオ

FM長野

FM NACK5

映画

脚注

  1. ^ ニュース&トピックス”. 長野大学. 2008年12月4日閲覧。

外部リンク