ヴァニラウェア
種類 | 特例有限会社 |
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本社所在地 |
541-0052 大阪府大阪市中央区安土町3-2-14 サンキュウビルディング12F |
設立 | 2002年2月8日 |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 2120002061662 |
事業内容 | ゲームソフトウェアの開発 |
代表者 | 代表取締役 神谷 盛治 |
資本金 | 3,000,000円 |
従業員数 | 23名(2010年1月末日現在) |
外部リンク | http://vanillaware.co.jp/ |
ヴァニラウェア有限会社(英: VANILLAWARE.Ltd)は日本のコンピュータゲーム開発会社。本社は大阪市中央区。2002年2月8日設立。
概要
主にオリジナルの中世西欧風ファンタジー世界によるアクションRPG作品を制作している。2Dグラフィックスやドット絵によるアニメーションに拘りを持ったデザイナーが多数在籍しており、絵本がそのまま動いているかのような滑らかで美しい世界を展開している。ソフトクリームのような頭の「ヴァニラ坊や」がヴァニラウェア公式ツイッターのイメージイラストになっている。
『ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオン』の開発の為に、ディレクターだった神谷盛治が東京で開発者を集めて法人化した「プラグル」という会社が母体となっている。後に同作から離れる事になった神谷盛治は『オーディンスフィア』の開発が決まった時点で彼の元に残っていた五名と共に大阪へ移転し、社名を「ヴァニラウェア」と変更しての再出発となった[1]。
代表取締役の神谷盛治は「在籍者全員がアーティスト」と語っており、ファンタジー色の強い作風については「それが目的のような会社」と述べている。社名はお菓子のソフトクリームから取られており「定番となる商品を生み出せたら」という意思が込められている[2]。
開発タイトル
発売日 | タイトル | プラットフォーム | 発売元 |
---|---|---|---|
2006年2月23日 | ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオン | Microsoft Windows | スクウェア・エニックス |
2007年4月12日 | グリムグリモア | PlayStation 2 | 日本一ソフトウェア |
2007年5月17日 | オーディンスフィア | アトラス | |
2008年9月25日 | くまたんち | ニンテンドーDS | ディンプル |
2009年4月9日 | 朧村正 | Wii | マーベラスエンターテイメント |
2011年9月1日 | グランナイツヒストリー | PlayStation Portable | |
2013年3月28日 | 朧村正 | PlayStation Vita | |
2013年7月25日 | ドラゴンズクラウン | PlayStation 3,PlayStation Vita | アトラス |
2016年1月14日 | オーディンスフィア レイヴスラシル | PlayStation 4,PlayStation 3,PlayStation Vita | |
発売日未定 | 十三機兵防衛圏 | PlayStation 4,PlayStation Vita |
在籍者
- 神谷盛治
- ヴァニラウェア有限会社の代表取締役。広島県出身。本名はGeorge(ジョージ)だが姓名判断で画数のいい『盛治』と漢字を当てて名乗っている。[3]
- PC-88版『ザ・ブラックオニキス』で北欧神話のファンタジー作品に触れ感銘を受ける。学生時代にゲーム制作下請け会社にアルバイトとして従事し、グラフィック制作からプログラムまで幅広く経験を積む。カプコンに新卒プランナーとして入社するも数作品に関わった後に退社。以後はアトラス、ソニー・コンピュータエンタテインメント、ラクジン、スクウェア・エニックス他数社のゲーム企画開発に参加した後にヴァニラウェアを設立し現在に至る[2][4][5]。
- 絶妙にディフォルメの利いたキャラクターデザインで主に剣と魔法の中世西洋ファンタジー世界を描いている。しかしカプコン時代には同期にBENGUSが、先輩にはあきまんや西村キヌといった優秀なデザイナーが既に多数居た為に「自分が絵を描いても仕方ない」と判断しプランナー職に専念する道を選んでいた。「絵に対する意識はこの頃に相当改めさせられた」と語っている[2]。
- 2008年時点での作画環境はフルデジタルで使用ツールはペインターを、ペンタブレットは初代インテュオスを愛用する。レイヤー機能を使わずバックグラウンドへ厚塗りで殴り描きをする為に、線画は必要が有る場合以外は残さず塗りで跡形も無く消えてしまうという。この手順について「非効率的で人には見せられない、一段落したら勉強したい」と語っている[2]。
- インタビュー記事では「作りたい作品の構想が頭の中に多数あるが手数が足りていない」、「続編や焼き直しよりも新作に労力を割きたい」、「死ぬまでゲーム制作に係り構想を少しでも多く実現させる為に努めたい」という旨を度々語っている[2][4][5]。
- 関連作品
タイトル | プラットフォーム | 発売元 | 担当 | |
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1991年 | アドバンスト・ダンジョン&ドラゴンズ ヒルズファー | ファミリーコンピュータ | ポニーキャニオン | グラフィック |
1993年 | マッスルボマー | アーケード | カプコン | プランナー |
1994年 | ダンジョンズ&ドラゴンズ タワーオブドゥーム | サブプランナー | ||
1996年 | 美少女レスラー列伝 ブリザードYuki乱入!! | スーパーファミコン | ケイエスエス | キャラクターアクション |
1997年 | プリンセスクラウン | セガサターン | アトラス | キャラクターデザイン、ディレクター |
2006年 | ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオン | Microsoft Windows | スクウェア・エニックス | |
2007年 | グリムグリモア | PlayStation 2 | 日本一ソフトウェア | キャラクター原案、ディレクター、シナリオ |
2007年 | オーディンスフィア | アトラス | キャラクターデザイン、ディレクター | |
2009年 | 朧村正 | Wii | マーベラスエンターテイメント | |
2013年 | ドラゴンズクラウン | PlayStation 3 | アトラス | |
2016年 | オーディンスフィア レイヴスラシル | PlayStation 4,PlayStation 3,PlayStation Vita | プロデューサー |
脚注
- ^ ファンタジーアースとの係りについては長く語られなかったが、『季刊エス』2008年1月号にて上記の経緯やネットゲーム製作のリベンジについて語られ、2009年夏には海外メディアのGamasutraによるインタビュー記事にて遺恨を残したままファンタジーアースから離れた事や、今後の展望として小規模な2Dグラフィックスのオンラインゲームを制作した後にMMO作品に取り組む事について語られている。
- ^ a b c d e 飛鳥新社『季刊エス』2008年1月号
- ^ 岡ちゃん本舗 オカモト日記(2007年7月23日)
- ^ a b マイクロマガジン社『GAME SIDE』2009年08月号
- ^ a b Gamasutra King of 2D: Vanillaware's George Kamitani(2009年8月3日)