レイチェル・カーソン
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レイチェル・カーソン | |
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1940年の肖像 合衆国魚類野生生物局に勤務 | |
誕生 |
レイチェル・ルイーズ・カーソン 1907年5月27日 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 スプリングデール |
死没 |
1964年4月14日(56歳没) アメリカ合衆国 メリーランド州 シルバースプリング[1] |
職業 | 生物学者、作家 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
最終学歴 |
チャタム大学 ジョンズ・ホプキンス大学 |
活動期間 | 1937年 - 1964年 |
ジャンル | ネイチャーライティング |
主題 | 生物海洋学、生態学、農薬 |
代表作 | 『沈黙の春』 |
ウィキポータル 文学 |
レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson、1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野生生物局の水産生物学者として自然科学を研究した。
農薬として使う化学物質の危険性を取り上げた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、アメリカにおいて半年間で50万部も売り上げ、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなり[要出典]、人類史上において、環境問題そのものに人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなった[要説明]。没後1980年に、当時のアメリカ合衆国大統領であったジミー・カーターから大統領自由勲章の授与を受けた[要出典]。
来歴
幼少時は作家を志しており高校の成績も極めて優秀であった。ペンシルベニア女子大学では英文学を希望していたが、生物学の授業を受けたことで生物学分野の科学者を志望するようになった[要出典]。
ジョンズ・ホプキンス大学の修士課程で遺伝学を学ぶ。当時、女性が一生働ける職業は少なく、特に理系の分野においては看護師か教員しか就ける仕事がなかった。そのため科学者という選択は非常に珍しいことであった。大学院でも男子学生の中に紅一点という状況であった[要出典]。
修士課程修了後はアメリカ連邦漁業局に勤務[要出典]。1941年『潮風の下で』、1951年『海辺』、1962年『沈黙の春』などの作品を発表。当時まだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招くことなどの啓蒙活動に取り組んだ。
特に『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書としてこれを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた[要出典]。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が広がった。尚、カーソンの死後の研究では、「DDTの危険性」には疑問の余地もあるという意見もある[要出典]。
晩年
『沈黙の春』の執筆中に癌宣告を受け病と戦いながら執筆活動を続け、1964年4月14日に癌により死去。生涯独身だったが、1957年に肺炎で亡くなった姪マージョリーの息子ロジャーを養子にしている[2]。
遺作『センス・オブ・ワンダー』はアメリカで2008年に映画化され、日本公開は2011年2月であった(『レイチェル・カーソンの感性の森』[3])。
DDT禁止に関する議論
カーソンはアメリカの保守層から批判を受けているが、特に標的となったのがDDT禁止問題である。この問題については1980年代にレーガン、ブッシュ(父)と続いた共和党政権時代から政治学者チャールズ・ルービン(Charles Rubin)らによって継続的にカーソンへの批判がなされてきたが[どうやって?][要出典]、2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で[要出典]、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされている[要出典]。しかし、実際にはカーソンはマラリア予防目的であればDDT使用禁止を主張していない[4]。カーソンが実際に主張したことは、農薬利用などマラリア予防以外の目的でのDDTの利用を禁止することにより、マラリア蚊がDDT耐性を持つのを遅らせるべきだという内容だった[要出典]。
一方で安価な殺虫剤であるDDTは途上国では田畑での農薬として使用され、最近までほとんど減少しなかった[要出典]。このため猛禽類や水棲生物の減少による生態系破壊はそのままで、DDTに耐性を持つ蚊の増加をふやす結果となっている[要出典]。
主な著作
日本語訳
原題を丸カッコに補った。
- 『潮風の下で』(Under the Sea Wind)
- 『われらをめぐる海』(The Sea Around Us)。全米図書賞受賞
- 『センス・オブ・ワンダー』(The Sense of Wonder)、小冊子
- 上遠恵子訳、新潮社、1996年(新版)。〈新潮文庫〉、2021年
- 『海辺』(The Edge of the Sea)
- 『沈黙の春』(Silent Spring)
- リンダ・リア編『失われた森 遺稿集』(Lost Woods)
主な伝記
- ポール・ブルックス 『レイチェル・カーソン』、著者はカーソンの友人
- 上遠恵子訳、新潮社、1992年、新版2004年。〈新潮文庫〉(上下)、2007年
- リンダ・リア 『レイチェル 「沈黙の春」の生涯』
- 上遠恵子訳、東京書籍、2002年。大著の伝記
- 上岡克己・上遠恵子・原強編『レイチェル・カーソン』 ミネルヴァ書房、2007年
- 上遠恵子『レイチェル・カーソン いまに生きる言葉』 翔泳社、2014年
- アーリーン・クオラティエロ『レイチェル・カーソン 自然への愛』 今井清一訳、鳥影社、2006年
- マーティー・ジェザー『運命の海に出会って レイチェル・カーソン』 山口和代訳、ほるぷ出版、新版2015年
- 太田哲男 『レイチェル=カーソン 人と思想』 清水書院(新書)、1997年、新版2016年
- ヤングアダルト向け
- 小手鞠るい 『科学者レイチェル・カーソン こんな生き方がしたい』理論社、1997年
- ジンジャー・ワズワース 『レイチェル・カーソン 「沈黙の春」で地球の叫びを伝えた科学者』 上遠恵子訳、偕成社、1999年
- 上遠恵子 『レイチェル・カーソン いのちと地球を愛した人』 日本キリスト教団出版局、2013年
- 『レイチェル・カーソン ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉』 筑摩書房、2014年。巻末エッセイ福岡伸一
- 多田満 『レイチェル・カーソンはこう考えた』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2015年
関連資料
- レイチェル・カーソン日本協会編、
- フランク・グレアム・ジュニア『サイレント・スプリングの行くえ』 同文書院、1971年(絶版)
- 田村三郎・上遠恵子訳
- G・J・マルコほか編『「サイレント・スプリング」再訪』科学同人、1991年
- 波田野博行監訳
- 『「沈黙の春」を読む』 かもがわ出版、1992年
- レイチェル・カーソン日本協会編
- ポール・ブルックス『自然保護の夜明け』新思索社、2006年
- 上遠恵子・北沢久美訳
- 多田満『レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題』東京大学出版会 、2011年
- 『センス・オブ・ワンダーへのまなざし レイチェル・カーソンの感性』東京大学出版会、2014年
脚注
出典
- ^ “Rachel Carson biography”. Women In History. 2012年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月13日閲覧。
- ^ カーソン 『沈黙の春』が語る生命への愛(丸善株式会社)[要ページ番号]
- ^ “20011年2月26日(土)渋谷アップリンクほか、全国順次公開”. www.uplink.co.jp. 映画『レイチェル・カーソンの感性の森』公式サイト. 2022年4月26日閲覧。
- ^ Tim Lambert (2005年6月26日). “Facts on DDT and malaria”. Deltoid. 2012年1月9日閲覧。
参考文献
- Lytle, Mark Hamilton. The Gentle Subversive: Rachel Carson, Silent Spring, and the Rise of the Environmental Movement. New York: Oxford University Press, 2007 ISBN 0-19-517246-9
- 岡島成行『アメリカの環境保護運動』岩波書店、1990、ISBN 4004301424 第6章「自然保護から環境保護へ」
関連項目
外部リンク
- Carson, Rachel Louise (英語) - Encyclopedia of Earth「レイチェル・カーソン」の項目。
- Rachel Carson's environmental ethics (英語) - 同「レイチェル・カーソンの環境倫理」の項目。
- RachelCarson.org
- The Rachel Carson Homestead
- Silent Spring Institute
- レイチェル・カーソン日本協会