ブレシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。桂鷺淵 (会話 | 投稿記録) による 2016年2月19日 (金) 14:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ブレシア
Brescia
ブレシアの風景
ブレシア城からの眺望
行政
イタリアの旗 イタリア
ロンバルディア州の旗 ロンバルディア
県/大都市 ブレシア
CAP(郵便番号) 25100
市外局番 030
ISTATコード 017029
識別コード B157
分離集落 Fornaci (フォルナチ), Sant'Eufemia (サンーテウフェミャ), San Polo (サン・ポロ)
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 189,085 [1](2012-01-01)
人口密度 2085.2 人/km2
文化
住民の呼称 bresciani (ブレシアニ)
守護聖人 Santi Faustino e Giovita (聖人ファウスティーノと聖人ジョヴィータ)
祝祭日 2月15日
地理
座標 北緯45度32分0秒 東経10度14分0秒 / 北緯45.53333度 東経10.23333度 / 45.53333; 10.23333座標: 北緯45度32分0秒 東経10度14分0秒 / 北緯45.53333度 東経10.23333度 / 45.53333; 10.23333
標高 149 (104 - 874) [2] m
面積 90.68 [3] km2
ブレシアの位置(イタリア内)
ブレシア
ブレシアの位置
ブレシア県におけるコムーネの領域
ブレシア県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
テンプレートを表示

ブレシア: Brescia ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ロンバルディア州にある都市で、その周辺地域を含む人口約19万人の基礎自治体コムーネ)。ブレシア県県都であり、ロンバルディア州では2番目に人口の多い都市である。ブレーシャなどとも表記される。

ローマ時代にはブリクシアと呼ばれ、アルプス以北との交易で栄えた歴史を持つ。市内には古代から中世にかけての遺跡や歴史的建築物が多く残っており、ランゴバルド王国が遺した修道院はユネスコ世界遺産に登録されている。また、ブレシアはイタリア有数の工業地帯の中心都市であり、機械工業や製鉄業が盛んである。中世以来の金属加工と武器製造の伝統を有し、兵器生産地としても知られる。

名称

Brescia[ˈbreʃʃa] または [ˈbrɛʃʃa] [4]と発音される。日本語文献では「ブレシア」[5][6][7]のほか、「ブレーシャ[8]、「ブレッシア[6]、「ブレシャ[9]、「ブレッシャ」などとも表記される。

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

地理

ブレシア県概略図

位置・広がり

ブレシア県南部のコムーネである。ブレシアの市街は、ベルガモから東南東へ45km、クレモナから北北東へ48km、ヴェローナから西へ62km、州都ミラノから東へ80kmの距離にある[11]

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

地勢

ポー平原の都市である。ヴァル・トロンピア (it:Val Trompiaの出口、マッダレーナ山 (it:Monte Maddalenaの麓に位置しており、メッラ川 (it:Mella (fiume) とナヴィリオ運河  (it:Naviglio di Bresciaに挟まれている。

主要な市街

ブレシアの旧市街地は四角形で、道路は直交している。これは、ローマ時代の都市計画を受け継いだものである。中世には、ローマ時代の都市よりやや広い範囲が城壁で囲まれた。現在の"Centro storico"と呼ばれる地域の北東部を占める。

歴史

ローマ時代以前に起源を持つ。ローマ時代にはブリクシア (it:Brixiaの名で呼ばれ、アルプス以北との交易で栄えた[5]

568年(または569年)、ブレシアはランゴバルド王国の支配下に入った。その後、774年にフランク王国カール大帝に征服された。

12世紀初頭に自治都市となり、その後は農村地帯まで支配の拡大を図った。そのため、周辺の都市ベルガモクレモナと対立した。クレモナとは二度の戦争を起こし、いずれも勝利を収めた。

なお、1769年には、聖ナザロ教会の通廊に保管されていた80トンの火薬が落雷により引火、街の2割弱が吹き飛ばされる大損害を受けている。そのため、教会に避雷針を設置することを許可するようになったきっかけが、この事件という説もある。

1849年春には、オーストリアの支配に対する反乱が発生した(ブレシアの10日英語版)。この時のブレシア市民の戦いから、ブレシアの街は「イタリアの雌獅子(Leonessa d'Italia)」の美称で呼ばれる。

社会

経済・産業

イタリア有数の工業地帯の中心都市であり、機械工業や自動車エンジニアリング、工作機械工業が盛んである。多くの工場は家族経営の中小企業である。

中世以来の武器製造の伝統を有し[6]、現代においてもブレシアはイタリアの代表的な兵器生産地である[12]。ブレシアとその周辺には、ベレッタ(本社: ガルドーネ・ヴァル・トロンピア)、ブレーダ・メッカニカ・ブレシャーナ(本社: ブレシア)など多くの銃器メーカーが本拠を置いている。ブレシアでは毎年兵器の見本市が開催されている[12]

金融業もさかんである。また、ガルダ湖やイゼーオ湖、アルプス山脈に向かう観光客を相手にした産業でも潤っている。

文化・観光

観光地

カピトリウム神殿の遺跡
ローマ時代の劇場遺跡

フォロ広場 (it:Piazza del Foroは、ローマ時代のフォルムの跡である。広場の北側、 Colle Cidneo の丘には、カピトリウム (it:Capitolium (Brescia)と呼ばれるコリント式の神殿がある(1823年に再発見された)。この神殿の複合体のうち、小さいものは共和政時代にさかのぼり、大きなものはウェスパシアヌス帝によって西暦73年に建設されたと考えられている。1826年の発掘で、カピトリウム内からニケの素晴らしい銅像が発見された。古代後期、この都市を見舞った様々な災厄から守るために隠されていたものと考えられている。

カピトリウムは、ブレシア・ローマン博物館として使用されていたが、博物館はサンタ・ジュリア女子修道院の近くに移転している。サンタ・ジュリア女子修道院 (it:Monastero di Santa Giuliaはかつて有力な女子修道院であり、ロンバルディア王国の時代にはデシデリウス王 (Desideriusの王女であるアンセルペルガ (Anselpergaが修道院を率いていた。「サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院建造物群を含む記念建造物地域」は、ユネスコの世界遺産「イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)」の一部を構成している。

カピトリウムの東にはローマ劇場の遺跡がある。ルネサンス期に Colle Cidneo の丘の斜面に宮殿が建設されたために、劇場の遺跡で残っているのは一部だけである。

中世の代表的な建築物としては、ブレシア城 (it:Castello di Bresciaがある。

スポーツ

サッカー

プロサッカークラブチームとして、ブレシア・カルチョが本拠を置く。ホームスタジアムはスタディオ・マリオ・リガモンティ

姉妹都市

交通

道路

高速道路
国道

鉄道

ブレシア駅

空港

郊外のモンティキアーリブレシア空港 (Brescia Airport(ブレシア=モンティキアーリ空港、あるいはガブリエーレ・ダンヌンツィオ空港)がある。

人物

著名な出身者

脚注

「※」印を付したものは翻訳元に挙げられていた出典であり、訳出に際し直接参照してはおりません。

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2012 by sex and marital status” (英語). 2013年3月26日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Brescia (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月26日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Brescia (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月26日閲覧。
  4. ^ DiPI Online - Dizionario di Pronuncia Italiana”. 2013年3月30日閲覧。
  5. ^ a b 萩原愛一. “ブレシア”. 世界大百科事典 第2版. コトバンク. 2013年3月30日閲覧。
  6. ^ a b c ブレシア”. デジタル大辞泉. コトバンク. 2013年3月30日閲覧。
  7. ^ google map”. 2013年3月30日閲覧。
  8. ^ 芸術都市 ブレーシャ県Brescia”. ロンバルディア州政府公式ページ. 2012年3月30日閲覧。
  9. ^ イタリア北部ユネスコ世界遺産”. イタリア政府観光局. 2012年4月20日閲覧。
  10. ^ AA.VV. (1996). Dizionario di toponomastica. Storia e significato dei nomi geografici italiani. Milano: GARZANTI. p. 180 
  11. ^ 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年2月19日閲覧。
  12. ^ a b 小型兵器の輸出規制法守ろう 兵器生産の町で市民1万人がデモ”. しんぶん赤旗 (2002年4月28日). 2013年3月31日閲覧。

外部リンク