ガルニャーノ

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ガルニャーノ
Gargnano
ガルニャーノの風景
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Lombardy.svg ロンバルディア
Blank.png ブレシア
CAP(郵便番号) 25084
市外局番 0365
ISTATコード 017076
識別コード D924
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 3,013 [1](2012-01-01)
人口密度 38.5 人/km2
文化
住民の呼称 Gargnanesi
守護聖人 聖マルティーノ
(San Martino)
祝祭日 11月11日
地理
座標 北緯45度41分0秒 東経10度40分0秒 / 北緯45.68333度 東経10.66667度 / 45.68333; 10.66667座標: 北緯45度41分0秒 東経10度40分0秒 / 北緯45.68333度 東経10.66667度 / 45.68333; 10.66667
標高 66 (65 - 1497) [2] m
面積 78.28 [3] km2
ガルニャーノの位置(イタリア内)
ガルニャーノ
ガルニャーノの位置
ブレシア県におけるコムーネの領域
ブレシア県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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ガルニャーノイタリア語: Gargnano)は、イタリア共和国ロンバルディア州ブレシア県にある、人口約3000人の基礎自治体(コムーネ)。ガルダ湖畔に位置する。

名称[編集]

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ブレシア県北東部、ガルダ湖畔のコムーネ。サロの北東約14km、県都ブレシアの東北東約38km、ヴェローナの北西約38km、トレントの南西55km、州都ミラノの東北東約118kmに位置する。

コムーネはアルト・ガルダ・ブレシアーノ州立公園 (it:Parco regionale dell'Alto Garda Brescianoに含まれる。1962年にトスコラーノ川 (it:Toscolano (torrente)を堰き止めて作られたヴァルヴェスティーノ湖 (it:Lago di Valvestinoを含む。

ブレシア県概略図

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。VRはヴェローナ県所属。

ヴェローナ県のコムーネはガルダ湖対岸にあたる。

歴史[編集]

中世[編集]

この町は、937年の文献に Garniano として現れる。この地名はおそらくラテン語の人名 Garenius から派生したものである。ティトゥス・リウィウスの記録や墓碑銘から、この地にはエトルリア人ケルト人ケノマニ人 (Cenomaniローマ人が暮らしていたことがわかる[5]

ガルニャーノを含む、サロを中心とするマグニフィカ・パトリア(Magnifica Patria)の一帯は、1350年から1426年にかけてヴィスコンティ家の所領となり、その後ヴェネツィア共和国の支配下に置かれている。

近代[編集]

フランス革命戦争からイタリア統一まで[編集]

1797年にヴェネツィア共和国が消滅すると、ナポレオンの作った衛星共和国の一つ・ブレシア共和国 (it:Repubblica brescianaの領土となった。ブレシア共和国は、その後チザルピーナ共和国イタリア共和国イタリア王国と変遷する。

ナポレオン没落後は、ロンバルド=ヴェネト王国オーストリア帝国の一部)の領土となり、ハプスブルク家による支配を受けた。

1859年に第二次イタリア独立戦争によってサルデーニャ王国(1861年にイタリア王国となる)に編入された[6]

イタリア統一以後[編集]

近代、ミラノを拠点に財閥を形成したフェルトリネッリ家はガルニャーノにルーツを持つ。19世紀末、フェルトリネッリ家の別荘としてガルダ湖畔にヴィッラ・フェルトリネッリが建設された。第二次世界大戦後期のイタリア社会共和国(いわゆるサロ共和国)の時期、ヴィッラ・フェルトリネッリにはベニート・ムッソリーニが滞在した。

行政[編集]

行政区画[編集]

ガルニャーノには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Bogliaco, Costa, Fornico, Formaga, Liano, Musaga, Muslone, Navazzo, Sasso, Villa, Villavetro, Zuino

そのほか、以下の集落(Località)がある。

  • Briano, San Giacomo, Casagiovanni

社会[編集]

人口[編集]

人口推移[編集]

文化・観光[編集]

ヴィッラ・フェルトリネッリ[編集]

ヴィッラ・フェルトリネッリ

パラッツォ・フェルトリネッリPalazzo Feltrinelli)、あるいはヴィッラ・フェルトリネッリVilla Feltrinelli)は、ガルニャーノにルーツを持つ富豪フェルトリネッリ家によって1898年から1899年にかけて建設された邸宅である。第二次世界大戦後期(イタリア社会共和国期)にはベニート・ムッソリーニが滞在した。

この建物はミラノ大学に寄贈されており、夏季(7月から8月第一週まで)はミラノ大学のイタリア語学・文化研究センター(Centro d'Ateneo per la promozione della lingua e cultura italiana, 略称: CALCIF)として、3月から10月には大学の会議施設として利用されている。大学で利用しない時期にはホテルとして営業している。

人物[編集]

著名な出身者[編集]

ミラノの富豪フェルトリネッリ家 (it:Feltrinelli (famiglia)は、ガルニャーノをルーツに持つ。フェルトネッリ家は材木交易から出発し、イタリアの統一および資本主義の成長とともに財閥を形成した。第二次世界大戦後の1952年、当主ジャンジャコモ・フェルトリネッリ (it:Giangiacomo Feltrinelliはフェルトリネッリ出版 (it:Giangiacomo Feltrinelli Editoreを創業している。

脚注[編集]

「※」印を付したものは翻訳元に挙げられていた出典であり、訳出に際し直接参照してはおりません。

外部リンク[編集]