ブライアン・マイヤーズ
ブライアン・マイヤーズ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ブライアン・マイヤーズ カート・ホーキンス ブライアン・メジャー |
本名 | ブライアン・マイヤーズ |
ニックネーム | プリンス・オブ・クイーンズ |
身長 | 185cm |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1985年4月15日(39歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州グレンコーヴ |
トレーナー |
マイキー・ウィップレック ノーマン・スマイリー |
デビュー | 2004年 |
ブライアン・マイヤーズ(Brian Myers、1985年4月15日 - )はアメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州グレンコーヴ出身[1]。
来歴
キャリア初期
ECWで活躍した事で知られるマイキー・ウィップレックがニューヨーク州にて主宰するインディー団体であるNYWC(New York Wrestling Connection)が運営するNYWCトレーニングセンターにてトレーニングを積む。
WWE
2006年、WWEと契約を交わして入団。傘下団体であるDSWに所属し、2007年にOVWに移籍。5月1日のWWEのECWでブレット・メジャーとメジャー・ブラザーズを結成し、ブライアン・メジャーのリングネームでデビュー。このデビュー戦でマット・ストライカーとマーキス・コー・ヴァンのタッグから勝利を飾っている。6月の追加ドラフトでパートナーのブレット・メジャーと共にSmackDown!へ移籍する。11月7日にはMVP & マット・ハーディーが保持するWWEタッグ王座に挑戦するも敗れている。12月のArmageddonでエッジの変装をして乱入する形で勝利をアシストしヒールターンした。
翌週のSmackDown!でリングネームをカート・ホーキンス(Curt Hawkins)と改名する。その後チーム名もジ・エッジヘッズに改めエッジの手下として活動する。2008年7月20日に行われたGreat American Bashでのフェイタル4ウェイ形式のWWEタッグ王座戦に勝利し、WWEタッグ王座を獲得する。しかし、一度も防衛することなく9月26日のSmackdown!でカリート & プリモに敗れ王座を失う。 その後はザック・ライダー共々ザ・グレート・カリに瞬殺されるなどジョバー的な役回りが多くなり、レッスルマニア25で行われたタッグ王座統一戦にランバージャック要員として登場したのがジ・エッジヘッズとしての最後の出番になった。
2009年4月のドラフトでパートナーのザック・ライダーはECWへ移籍、ホーキンス本人はSmackdown!に残留となったが直後にFCWでの再調整を命じられた。(ただしWWE公式ホームページではSmackdown!所属のまま掲載されていた。) FCWではデュード・バスターズ(ケイレン・クロフト & トレント・バレッタによるタッグチーム)に加入し、3人合同でFCWフロリダタッグチーム王座を獲得したが、ジョー・ヘニング & ブレット・デビアスとの王座戦でホーキンスがフォールを取られたため陥落している。その後はヴァンス・アーチャー & ジャクソン・アンドリュースとユニットを結成した。
2010年5月13日放送のWWEスーパースターズでヴァンス・アーチャーとタッグを組んで登場。ジョバー2人に圧勝しおよそ1年ぶりにWWEへの復帰を果たした。 その後タッグ名をゲート・クラッシャーズとし、クリスチャン、MVPとの抗争が組まれるがうやむやのまま短期間で終了し、その後はWWEスーパースターズを中心にデュード・バスターズとの3回にわたっての抗争を繰り広げるも1勝2敗と負け越している(なお2敗ともアーチャーがピンフォールを奪われたものである)。その後Smackdown!でビッグ・ショーとのハンディ戦の際にショーのキャメルクラッチに捕まったアーチャーを救出しないなど仲間割れの兆候が見え始める。そして10月7日放送のWWEスーパースターズにおいてクリス・マスターズとのシングルマッチに挑むアーチャーに勢い余ってクローズラインを誤爆されたことに怒りが爆発し足をつかんで妨害したうえに、敗れたアーチャーに試合後も暴行を加えてタッグを解消した。
10月14日のWWEスーパースターズで入場曲をジ・エッジヘッズ時代のものに戻し、トレント・バレッタに勝利してシングルプレイヤーに転向した。その後、毎週バレッタとの対戦がスーパースターズで組まれ、両者ともに高いレスリングセンスを披露するが決着がはっきりしないまま抗争終了。タイラー・レックスとヒール同士の抗争が組まれるなど迷走し以後はジョバーとしての登場機会が多くなる。
2011年4月末に行われた追加ドラフトでRAWに移籍することが決定した。そして5月12日のWWE・スーパースターズで元パートナーであるザック・ライダーの勝利をアシストする役回りで登場し、タッグを再結成した。翌週のスーパースターズでライダーとのタッグでサンティーノ・マレラ&ウラジミール・コズロフ組と対戦するも敗戦、そのうえライダーがベビーフェイスに転向したため再びタッグは自然消滅した。その後しばらく本放送から姿を消すが、9月8日のスーパースターズで以前抗争していたタイラー・レックスとタッグを結成、タイタス・オニール、パーシー・ワトソン組と対戦し勝利した。そして9月27日のNXTにおいて、メイン戦に勝利した直後のジミー・ウーソ&ジェイ・ウーソを襲撃し抗争を開始した。しかし10月11日放送のNXTでのウーソズとの試合でレックスの誤爆攻撃を受けてリング下に転落した際に観客席のフェンスに足を強打し負傷。翌週から「骨折した」という台本が組まれたため杖を持ち歩くようになった。回復後も杖を持ち歩くギミックは継続され、リング下から指示を出すための指示棒代わりに使ったり、試合中に凶器として用いている。その後、NXTを取り仕切っているマット・ストライカー、ウィリアム・リーガルに反発する姿勢を取り始め、ストライカーを拉致監禁するという行動に出た。そのことでリーガルの怒りを買いレックスとの敗者追放戦を組まれてタッグは崩壊、試合にも敗れたためNXTから追放された(この脚本に伴ってWWEの公式ページからもプロフィールが一時期削除されている)。しかし、レックスとすぐさま和解、共にチケットを購入しNXTの会場に潜入するなど裏工作を続けた。ついにはジョン・ロウリネイティスの支持を得ることに成功しNXTに復帰した。
ローリネイティス失脚後も、ギミック上彼の復帰を信じているとし、ローリネイティスの現役時代のコスチュームを模したタイツを着用。8月にはレックスとともに男性ストリップダンサーギミックに転向しタッグ戦線に復帰するかと思われたが、その直後レックスの退団によりギミックチェンジは取りやめとなった上、膝十字靭帯の損傷が発覚し欠場に追い込まれた。
2013年1月、リングコスチュームの柄とヘアスタイルを変更したうえでロイヤルランブル直前の乱闘に参加して本放送に復帰した。2月9日放送のWWE・サタデー・モーニング・スラムではジャスティン・ガブリエルと対戦し敗れた。その後は番組にはあまり登場せず、出ても負けてしまうことが多かったが、NXTではサミ・ゼイン相手に接戦を繰り広げた。2014年6月、WWEの公式サイトにて退団することが発表された。
インディー団体
WWE解雇後、2013年6月13日、ニュージャージー州を拠点とするインディー団体であるJCW(Jersey Championship Wrestling)に参戦。バル・ビーナスと組んでダニー・デマント & エリック・アンドレッティとタッグマッチを行い勝利した。同月22日、ビヨンド・レスリングにてARフォックスとシングルマッチを行うが敗戦した。
2014年9月20日、PWS(Pro Wrestling Syndicate)の All Fired Upに参戦。元WWE所属のケビン・マシューズと対戦して敗戦。試合後にはマシューズとWWEから解雇された思い出を語り合い椅子を使って交互に叩きつけるが、マシューズが油断していたところをレスラーとしての活動に終止符を打ったはずの元相棒であるレックスが襲撃した[2]。これをきっかけに抗争へと展開。10月31日、PWS 10/31にてレックスとのヒートシーカーズ(The Heatseekers)を復活。マシューズは元WWE所属のランス・ホイットを助っ人として呼び寄せて対戦するが勝利した[3]。
GFW / TNA
2015年7月24日、ジェフ・ジャレットが主宰するGFW・Ampedに参戦。初代GFWグローバル王座争奪トーナメントに出場し、1回戦でクリス・モルデツキーと対戦するが敗戦した[4]。8月12日、TNA・iMPACT WrestlingにてTNA vs GFWの団体抗争戦でジャレット率いるGFWの一員として登場。トレバー・リーと組んでTNA世界タッグ王者チームであるザ・ウルブズ( エディ・エドワーズ & デイビー・リチャーズ)と対戦するが最後にリーがザ・ウルブズの合体技であるフォース・オブ・ネイチャーを喰らい敗戦[5]。9月2日のiMPACT Wrestlingにて、GFWによるキャッシュケースを使用したいつでも王座を挑戦できる権利を使いザ・ウルブズに挑戦。GFW全メンバー揃ってリングを取り囲んだ中で試合を行い勝利してTNA世界タッグ王座を奪取した[6]。
得意技
- WWE復帰後のフィニッシュホールド
- テイスト・ザ・ペイン[7]
- スイング式ネックブリーカーの体勢から自らの体と相手の体を元の方向に回転させて相手を顔面からマットに叩きつける技。過去にSmackdown!で一度だけ使用し、ピンフォールを奪っている。その後長期間使わなかったが、11月25日放送のWWE・スーパースターズから再び使用するようになった。
- ボディスラムの一種で、抱え上げた後に反動をつけて投げ下ろす独特のフォームが特徴。みちのくドライバーのようにシットダウン式で繰り出すこともある。FCW時代のトレーナーであるノーマン・スマイリーから継承した技。
- スーサイド・ソリューション
- 相手の腕を捻ってロックし、相手の左足を自分の首に引っ掛けて後ろへ投げ飛ばす勢いで一回転させて顔面からマットに叩き付ける大技。TNAのスーサイドが使用しているスーサイド・ソリューションとほぼ同じ形。シングル転向後に使用し始めた。
- ラフ・ライオット
- エッジが使用するエッジキューションと同じ形のインプラント式DDT。FCWで再調整していた時期にフィニッシャーとして使用していたが、WWEでも2012年2月15日のタイソン・キッド戦からつなぎ技として使用している。
- ネックブリーカー&パワースラム
- タイラー・レックスとのツープラトン技で正式名称は不詳。レックスが相手をスクープスラムの体勢で持ち上げた後、ホーキンスが相手にネックブリーカーを仕掛けつつレックスが投げ下ろす。
- 足払い
- ロープリバウンドを試みた相手の後を追い、ロープ下から場外へスライディングした勢いを用いて手で相手の足を掴んで転倒させる。
獲得タイトル
- TNA
- TNA世界タッグ王座 : 1回
- w / トレバー・リー
- WWE
- WWEタッグ王座 : 1回
- w / ザック・ライダー
- FCW
- FCWフロリダタッグ王座:1回
入場曲
- In the Middle of it Now
- Outcome(FCWで使用)
- Black Fury(ゲート・クラッシャーズ時代に使用)
その他
- WWE.com内の番組「ダート・シート」に出演した際には自身のことを「The Youngest WWE Tag Team Champion」と自己紹介していたが、2004年にレネ・デュプリーが満20歳で獲得しているため、この場合の「Youngest」はタッグの合計年齢を指すものである(レネ・デュプリーとケンゾー・スズキの合計年齢は50歳、一方、ホーキンスとザック・ライダーの合計年齢は46歳である)。また世界タッグ王座の合計年齢の最年少はケニーとマイキーの合計42歳である。
- YouTubeに自身のアカウントを所有している。
脚注
- ^ “Curt Hawkins”. Online World of Wrestling. 2015年8月21日閲覧。
- ^ “PWS “All Fired Up” Results (9/20): RVD, Brodus Clay, Ricardo Rodriguez Appear, Plus, the Latest Monday Night Mayhem Video feat. Low Ki vs Rhino”. Wrestlezone.com. 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Pro Wrestling Syndicate Ten/Thirty One Results (10/31): Abyss, The Wolves In-Action, Harlem Heat, Superfly Snuka Appear & Much More”. Wrestlezone.com. 2014年10月31日閲覧。
- ^ “Global Force Wrestling Spoilers – July 24th, 2015”. RingsideNews.com. 2015年7月25日閲覧。
- ^ “TNA Impact Wrestling Results - 8/12/15 (TNA vs. GFW)”. Wrestleview.com. 2015年8月12日閲覧。
- ^ “TNA Impact Wrestling Results - 9/2/15 (EC3 vs. Hardy)”. Wrestleview.com. 2015年9月2日閲覧。
- ^ “Taste the Pain is the neckbreaker-facebuster.”. 2011年5月19日閲覧。