フィリベルト1世・ディ・サヴォイア

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フィリベルト1世

フィリベルト1世・ディ・サヴォイア(Filiberto I di Savoia, 1465年8月7日シャンベリ - 1482年9月22日リヨン)は、サヴォイア公ピエモンテ公アオスタ伯、モーリエンヌ伯、ニース伯(在位:1472年 - 1482年)。アメデーオ9世とその妻ヨランド(フランス王シャルル7世の娘)の間の息子。イル・カッチャトーレ(il Cacciatore:狩人)の異名で呼ばれる。フランス語名フィリベール1世・ド・サヴォワ(Philibert Ier de Savoie)。

1476年に、ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと叔母ボナ・ディ・サヴォイアの娘で従妹にあたるビアンカ・マリーア・スフォルツァと結婚した。

1482年、フィリベルトは17歳で死去し、幼くして未亡人となったビアンカ・マリーアはその後神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と再婚した。