ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ

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ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ

ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ(Galeazzo Maria Sforza, 1444年1月24日 - 1476年12月26日)は、ミラノ公。

フランチェスコ・スフォルツァビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの長男として、フェルモで生まれた。残忍な圧制者として知られ、のち3人の貴族によりミラノのサント・ステファノ教会内で暗殺された。

最初の妻ドロテア・ゴンザーガとは結婚してすぐに死別したため、ボナ・ディ・サヴォイアと再婚。ジャン・ガレアッツォビアンカ・マリアアンナ・マリーアフェラーラアルフォンソ1世・デステの妻)らが生まれた。他に、庶子としてカテリーナがいた。

彼は音楽のパトロンとして知られた。彼は多くのフランドル楽派フランス系の歌手・作曲家を宮廷に招き、ミサ曲モテットを作曲させた。彼の宮廷に招聘されたので知られるのは、アレクサンダー・アグリコラヨハネス・マルティーニロイゼ・コンペールガスパル・ファン・ヴェールベケである。ガレアッツォの殺害後、この音楽家たちはミラノを去り、エステ家に招かれたため、フェラーラが新しい音楽の中心地となった。

妻子[編集]

2番目の妻ボナ・ディ・サヴォイア(Bona di Savoia, 1449年8月10日 - 1503年11月23日)との間に4人の嫡出子をもうけた。

ルクレーツィア・ランドリアーニ(Lucrezia Landriani)との庶子。

先代:
フランチェスコ1世
ミラノ公
1466 - 1476
次代:
ジャン・ガレアッツォ