デヴィッド・カーニー
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名前 | ||||||
本名 | デヴィッド・レイモンド・カーニー | |||||
ラテン文字 | David Carney | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1983年11月30日(40歳) | |||||
出身地 |
ニューサウスウェールズ州 シドニー | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC | |||||
ポジション | MF (左SH), DF (左SB) | |||||
背番号 | 23 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴2 | ||||||
2003 | オーストラリア U-20 | 2 | (0) | |||
2006- | オーストラリア | 48 | (6) | |||
2. 2014年2月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
デヴィッド・レイモンド・カーニー(David Raymond Carney, 1983年11月30日 - )は、オーストラリア・シドニー出身のサッカー選手。オーストラリア代表。名前は「デビッド」、「デイヴィッド」とも表記される。
経歴
16歳の時にエヴァートンFCの下部組織に入団。そこではウェイン・ルーニーと一緒にプレーした。トップチームに昇格したものの出番がなかったカーニーは2003年に退団。その後、数チーム渡り歩くも出番はあまりなく、2005年3月にオーストラリアに戻りシドニーFCと契約した。初年度から主力として優勝に貢献。その活躍からルーマニアやドイツのクラブから注目を集めた。その後はイングランドに戻り、シェフィールド・ユナイテッド、ノリッジ・シティFCでプレーした。2009年8月27日、オランダのFCトゥウェンテに移籍。2010年9月、プレミアリーグ昇格を果たしたブラックプールFCへ移籍。
その後、スペインのADアルコルコンを経て、2012年はウズベキスタンの強豪FCブニョドコルへ移籍。
AFCアジアカップ2011決勝で自身のミスでフリーにしてしまい李忠成に決勝ゴールを決められ優勝を逃した。このミスは、オーストラリア紙に今後のキャリアに一生つきまとうだろうと報じられ[1] 当時、監督だったホルガー・オジェックは「失点の場面は、この試合で唯一ともいえる位置取りのミスだった」と発言した。[2]
代表では左サイドバックとしてプレーしている。
所属クラブ
- エヴァートンFC 2002-2003
- オールダム・アスレティックAFC 2003-2004
- ハリファクス・タウンAFC 2004
- ハミルトン・アカデミカルFC 2004-2005
- シドニーFC 2005-2007
- シェフィールド・ユナイテッドFC 2007-2009
- → ノリッジ・シティFC 2009
- FCトゥウェンテ 2009-2010
- ブラックプールFC 2010-2011
- ADアルコルコン 2011-2012
- FCブニョドコル 2012
- ニューヨーク・レッドブルズ 2013
- ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC 2014-
代表歴
- U-20 オーストラリア代表
- オーストラリア代表
- 2006年2月22日 - A代表初出場 - バーレーン戦
- 2007年 アジアカップ2007 (ベスト8)
- 2008年 北京オリンピック (オーバーエイジ枠) (グループリーグ敗退)
- 2010年 ワールドカップ2010 (グループリーグ敗退)
- 2011年 アジアカップ2011 (準優勝)