ソヴェルシェーンヌイ (駆逐艦・初代)

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ベスストラーシュヌイ
ソヴェルシェーンヌイ
艦歴
ベスストラーシュヌイ
Бесстрашный
起工 1936年8月17日 第200工場
再起工 1938年3月3日
進水 1939年2月25日
ソヴェルシェーンヌイ
Совершенный
改称 1940年9月25日
所属 赤色海軍黒海艦隊
解体 1945年10月28日
要目
艦型 7U号計画型
艦種 駆逐艦
工場番号 1073
排水量 基準排水量 1850 t
通常排水量 2150 t
満載排水量 2400 t
全長 112.5 m
全幅 10.2 m
喫水 4.2 m
機関 蒸気タービンGTZA-24 2 基
60000 馬力
ボイラー 4 基
速力 最大速度 39.6 kn
巡航速度 20 kn
航続距離 1400 /20 kn
乗員 士官 15 名
水兵 192 名
武装 50口径130 mm単装B-13-2 4 基
55口径76 mm単装高角砲34K 3 基
46口径45 mm単装高角砲21K 3 基
12.7 mm連装機銃DShK 4 基
533 mm3連装魚雷発射管1-N 2 基(53-38魚雷を使用)
大型爆雷B-1 10 個
小型爆雷M-1 20 個
爆雷投射機BMB-1 2 基
機雷 KB:58 個
または1926年型:62 個
パラヴェーン 4 基
装甲 なし

ソヴェルシェーンヌイ(ロシア語:Совершенныйサヴィルシェーンヌィイ)は、ソ連で建造された駆逐艦(艦隊水雷艇эскадренный миноносец)である。艦名は、「申し分のない、まったくの」といった意味のロシア語の形容詞である。

概要[編集]

建造[編集]

ソヴェルシェーンヌイは、7号計画によって建造される駆逐艦の1 隻として、1936年8月17日ニコラーエフの第200工場(現在の61コムナール記念造船工場)で起工された。工場番号では第1073艦、当初の名称は「豪胆な」という意味のベスストラーシュヌイ(Бесстрашныйビスストラーシュヌィイ)であった。

しかしながら、7号計画にはトップヘビーなどの性能上の重大な欠陥があり、改設計を経た7U号計画型として再度起工され直すことが決定された。その結果、プロゾルリーヴイは7U号計画型駆逐艦の15番艦として1938年に再起工、1939年2月25日進水した。1940年9月25日には、艦名はソヴェルシェーンヌイに改められた。進水後、艦は完成作業のためセヴァストーポリへ曳航された。大祖国戦争の開戦した1941年6月22日の時点で、工程の90 %が完成していた。

大祖国戦争[編集]

しかし、ソヴェルシェーンヌイが正式に黒海艦隊に配備されることはついになかった。1941年9月30日には、セヴァストーポリにて行われていた赤軍機雷試験で暴発事故がおき、ソヴェルシェーンヌイは損傷を負った。そのため、10月2日には乾ドックへ曳航され、そこで修理に入った。

11月12日には、ドックにてドイツ空軍爆撃機爆撃を受け、激しい損傷を負った。12月には武装解除された。ソヴェルシェーンヌイの主砲であった130 mmは、マラホフ・クルガンで編成された第111砲兵隊に装備された。

1942年4月には事実上修繕され、完成作業のためにドックから出された。しかしながら、6月15日にはセヴァストーポリを包囲したドイツ軍の砲撃により撃沈された。

戦後、1945年10月28日には浮揚され、解体された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]