セルジオ・メンデス
セルジオ・メンデス | |
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2008年、クラブ・ノキアでのセルジオ・メンデス | |
基本情報 | |
出生名 | Sérgio Santos Mendes |
生誕 |
1941年2月11日(83歳) ブラジル リオデジャネイロ州 ニテロイ |
ジャンル | ボサノヴァ、ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ヴォーカル、ピアノ |
活動期間 | 1950年代- |
共同作業者 | セルジオ・メンデス&ブラジル'66、カルロス・リラ、ウィル・アイ・アム、スティーヴィー・ワンダー |
旧メンバー | 「ヴォサ・リオ・セクステット」 |
セルジオ・サントス・メンデス(Sérgio Santos Mendes、IPA: [ˈsɛɣʒiu ˈsɐ̃tus ˈmẽˈdʒis]、1941年2月11日 - )は、ブラジルのミュージシャン。
「マシュ・ケ・ナダ」などの楽曲で知られる。
プロフィール
生い立ち
ブラジル南部、リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市近郊のニテロイで生まれる。幼少の頃からリオ市内の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を身に着ける。しかし、その後はクラシックの道へと進まなかった。
ボサノヴァ
1950年代後半にジャズ、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの影響を受けボサノヴァに移行し、彼らを誘って国内外で活躍するようになる。
1962年に「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成。1965年にはアメリカに活動の場を移し、ジョビンやジルベルトとともに、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役を務める。
1966年に発表した「Sergio Mendes & Brasil '66」とその中に収められた「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」のアレンジ[1]が世界的大ヒットし、日本を含む世界中にその名を轟かす。
その後も、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」や「デイ・トリッパー」といった曲をボサノヴァ風にアレンジしたカヴァーなど、欧米の音楽市場にとって親しみやすいボサノヴァをつくり、世界中での支持につながった。1970年の大阪万国博覧会でのライブなど、来日公演の経験も多数ある。近年では、2006年と2008年に来日公演を行っている。
近年
2006年に発表されたアルバム「Timeless」では、スティーヴィー・ワンダーやブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アム、ジル・スコットら大御所とのコラボレーションを実現し、世界的なヒットで話題を呼んだ。
家族
妻はグラシーニャ・レポラーセである。
アルバム作品(一部)
- Timeless
- Definite Collection
- Best Of Sergio Mendes
- Swinger From Rio
- Fool On The Hill
- Bossa Nova York
- Look Around/恋のおもかげ
- Live At The Expo 70
- Equinox
- Great Arrival / Beat Of Brazil
- Brasileiro
- Minha Historia
- Look Around
- Vintage '74
- Mas Que Nada
- Pure Bossa Nova
受賞歴
その他
- アルバム「Brasileiro」は彼名義のアルバムであるが、実際はカルニーニョス・ブラウンやギンガといった、当時ブラジルの新進気鋭のミュージシャンと彼らの作品・演奏を集めてプロデュースしたものである。そのため、彼の従来のアルバムとはまったく違い、ステレオタイプなイメージのボサノヴァやサンバに収まらない異色作となっている。なお、オープニング・ナンバーの「Fanfarra - ファンファーハ」は100名を越えるバテリア(打楽器隊)による典型的なサンバ・バトゥカーダであり、特にイントロダクションのコール&レスポンス(打楽器の掛け合い演奏)は、日本の「浅草サンバカーニバル」などに出場するサンバチームが練習する定番のパターンとなっている。
脚注
- ^ 作曲はジョルジ・ベン(ジョルジ・ベンジョール)
関連項目
- カーネギーホール
- ピンキーとキラーズ(いずみたくが、日本のセルジオ・メンデスとしようと考えてデビューさせた)
- 世界最強タッグ決定リーグ戦 - テーマ曲として「オリンピア」が使用されている。
- 平田隆夫 - セルジオ・メンデスを目指し、「平田隆夫とセルスターズ」を結成。
- リー・リトナー - 1973年にセルジオ・メンデスとブラジル'77に加入し、ツアーに参加。彼のブラジル音楽への傾倒のルーツは、メンデスとの関わりで分かる通り、ソロアルバム「イン・リオ」やグラミー受賞作「ハーレクイン」以前の、キャリア最初期からのものである。