シップレイ・ベイ (護衛空母)
艦歴 | |
---|---|
発注: | |
起工: | 1943年11月22日 |
進水: | 1944年2月12日 |
就役: | 1944年3月21日 |
退役: | 1946年6月28日 |
その後: | 1959年10月2日にスクラップとして売却 |
除籍: | 1959年3月1日 |
性能諸元 | |
排水量: | 7,800 トン |
全長: | 512.3 ft (156 m) |
全幅: | 108.1 ft (33 m) |
吃水: | 22.5 ft (6.9 m) |
機関: | 3段膨張式蒸気機関2基2軸、9,000馬力 |
最大速: | 19ノット |
航続距離: | 10,240カイリ(15ノット/時) |
兵員: | 士官、兵員860名 |
兵装: | 38口径5インチ砲1基 40ミリ機関砲16基 |
搭載機: | 28機 |
シップレイ・ベイ(USS Shipley Bay, CVE-85)は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の31番艦。
艦歴
シップレイ・ベイは1943年11月22日に海事委任契約の下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。1944年2月12日にL・B・リチャードソン夫人によって進水し、1944年3月21日にエドガー・T・ニール艦長の指揮下就役する。
シップレイ・ベイはサンディエゴとサンペドロ湾の中間海域で5月3日まで処女航海を行った後、南太平洋方面へ航空機とパイロットを輸送する任務に就き、10月まで西海岸と真珠湾、マジュロ、ガダルカナル島およびツラギ島との間を往復し、合計496機の航空機を輸送した。
輸送任務を終えたシップレイ・ベイは、次に第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)に合流し、三度の任務で中核の空母にパイロット、航空機およそ100機、および弾薬を補給する任務に就いた。10月17日から29日にかけてはサマール島東方150マイルの洋上で補給を行い、12月10日から24日にかけてはルソン島東方450マイル洋上にて会合。12月26日から1945年1月12日までの三度目の任務では、ルソン島の北東350マイルの洋上で会合した。補給任務を終えたシップレイ・ベイは真珠湾に戻り、訓練用空母として3ヵ月間活動した。
4月22日、シップレイ・ベイは沖縄戦の戦場に向かうため真珠湾を出撃した。グアムを経由して沖縄島近海に到着したシップレイ・ベイは5月7日から16日までの間、航空機を352回出撃させて日本軍の砲台、レーダー施設、洞窟などを攻撃していった。しかし、5月16日に給油艦キャッシュ (USS Cache, AO-67) から航空ガソリンを補給中、航空ガソリン用のタンクが破損。シップレイ・ベイは修理のためグアムアプラ港に下がった。
修理を終えたシップレイ・ベイは、6月9日に沖縄沖で他の護衛空母5隻と合同。6月14日から16日まで石垣島と宮古島の航空基地に対する攻撃を行った。シップレイ・ベイの航空機は6月18日から22日にかけても再度の攻撃を行い、沖縄沖を去っていった。シップレイ・ベイはアメリカ本国に回航され、終戦のときはサンディエゴにてオーバーホール中であった。
9月26日、シップレイ・ベイはマジック・カーペット作戦に参加してサンディエゴを出港。真珠湾、沖縄およびクェゼリン環礁からの約1,000名の復員兵をサンフランシスコまで輸送した。任務終了後の1946年2月、シップレイ・ベイは東海岸に向かった。3月9日にボストンに到着し、不活性化工事を施行後6月28日に退役して大西洋予備役艦隊に配属された。その後、1959年3月1日に除籍され、10月2日にスクラップとして売却された。
シップレイ・ベイは第二次世界大戦の戦功で2つの従軍星章を受章した。
関連項目
外部リンク
- NavSource Online
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。