ザ・ヘッドハンターズ (プロレス)

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ザ・ヘッドハンターズ
タッグチーム
メンバー ヘッドハンターA
ヘッドハンターB
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ
(1968-08-11) 1968年8月11日(55歳)

ザ・ヘッドハンターズThe Headhunters)は、プロレスタッグチーム

概要[編集]

ヘッドハンターA(本名 マヌエル・サンチアゴManuel Santiago)とヘッドハンターB(本名 ヴィクトル・サンチアゴVictor Santiago)の双子黒人プロレスラーで構成されている。全盛時の体格は180センチ、150キロ。日本プエルトリコで活動していた。両者とも似たコスチュームを着用して、ファイトスタイルも似ているため、見分けるのが難しい。巨体の割に身軽な動きもできたため、人気を集めていた。

来歴[編集]

1987年にデビュー。1991年、W★INGプロモーションに参戦で初来日。早速W★ING認定世界タッグ王座を獲得し第一線に躍り出る。同団体の崩壊まで活動。1993年にはECWにも参戦し、同団体のタッグ王座も獲得した。

1992年2月9日に松永光弘後楽園ホールのバルコニーからダイブした際、対戦相手として階下で受け止めたことでも知られる。

1995年にはビクター・キニョネスが創設したI.W.A.JAPANに転戦。同団体のデスマッチ戦線で大きな活躍を遂げた。世界初のガラスデスマッチで中牧昭二小野浩志組と戦ったのもヘッドハンターズである。IWA世界タッグ王座も獲得した。

1996年にはFMWに移り、ここでも世界ブラスナックルタッグ王座、世界ストリートファイト6人タッグ王座を獲得した。

このようにインディーズの世界ではタッグ試合のエキスパートとして活躍したものの、WWF1996年ロイヤルランブル1997年)、全日本プロレス1998年世界最強タッグ決定リーグ戦出場)といったメジャー団体では特筆すべき成績を挙げていない。

2000年代には両者ともコンディションを崩したため(松永によれば糖尿病とのこと)、メキシコやアメリカのインディー団体への散発的な参戦に留まっているが、2007年にはハッスルに参戦した。また2015年には超戦闘プロレスFMWに参戦した。

2022年、マヌエル(A)が集中治療を受けていることが、松永のブログで明らかになった[1]

得意技[編集]

ムーンサルト・プレス
ヘッドハンターAのみが使用。巨体から繰り出すため大変な迫力があった。観客が双子の両者を見分ける唯一の方法であった(実際はヘッドハンターBが少し小さいのだが見た目はほとんど変わりなかった)。
ダイビング・ボディ・プレス
ダイビング・エルボー・ドロップ

タイトル歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ https://twitter.com/mrdangerdanger/status/1548209666588819457”. Twitter. 2022年7月16日閲覧。