カーティス・パーチ

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カーティス・パーチ
Curtis Partch
レッズ時代(2013年6月25日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州マーセド郡マーセド
生年月日 (1987-02-13) 1987年2月13日(37歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 MLBドラフト26巡目(全体799位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 2013年6月9日 セントルイス・カージナルス
最終出場 2016年8月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

カーティス・パーチCurtis Partch, 1987年2月13日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州マーセド郡マーセド出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

2005年MLBドラフト49巡目(全体1468位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名されたが、この時は入団せずマーセド・カレッジへ進学した。

プロ入りとレッズ時代[編集]

2007年MLBドラフト26巡目(全体799位)でシンシナティ・レッズから指名され、6月12日に契約。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッズでプロデビュー。5試合に登板して0勝0敗2セーブ、防御率1.29、4奪三振を記録した。7月からパイオニアリーグのルーキー級ビリングス・マスタングス英語版でプレー。12試合(先発1試合)に登板して1勝0敗1セーブ、防御率3.29、22奪三振を記録した。

2008年はA級デイトン・ドラゴンズで33試合(先発17試合)に登板して5勝11敗1セーブ、防御率5.00、74奪三振を記録した。

2009年はA級デイトンで開幕を迎え、5月30日にAA級カロライナ・マドキャッツへ昇格。1試合に登板後、6月にA級デイトンへ降格。A級デイトンでは19試合に先発登板して8勝7敗、防御率4.67、77奪三振を記録した。8月にA+級サラソタ・レッズへ昇格。7試合に先発登板して3勝2敗、防御率4.35、25奪三振を記録した。

2010年はA+級リンチバーグ・ヒルキャッツ[1]とAA級カロライナでプレー。A+級リンチバーグでは28試合(先発24試合)に登板して7勝11敗、防御率4.98、96奪三振を記録した。

2011年はA+級ベーカーズフィールド・ブレイズ英語版[2]で21試合に登板して6勝11敗、防御率5.25、93奪三振を記録した。8月にAA級カロライナへ昇格。7試合に先発登板して2勝2敗、防御率6.92、33奪三振を記録した。

2012年はAA級ペンサコーラ・ブルーワフーズ[3]とA+級ベーカーズフィールドでプレー。AA級ペンサコーラでは45試合(先発4試合)に登板して7勝4敗6セーブ、防御率4.73、64奪三振を記録した。オフの11月20日にレッズとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[4]

2013年3月16日にAAA級ルイビル・バッツへ配属され、そのまま開幕を迎えた。6月8日にメジャーへ昇格し[5]、翌9日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビュー。6点ビハインドの10回表2死から登板したが、一人目のマット・ホリデイから本塁打を打たれ、0.1回を1安打1失点だった[6]8月3日にAAA級ルイビルへ降格[7]の後、ロースター拡大により9月1日に再昇格した[8]。この年は14試合に登板して0勝1敗、防御率6.17、16奪三振を記録した。

2014年3月14日にAAA級ルイビルへ異動[9]3月30日にメジャーへ昇格し、開幕ロースター入りした[10]。開幕後は3試合に登板し、4月19日にAAA級ルイビルへ降格[11]5月1日にメジャーへ再昇格した。その後は何度も昇格と降格を繰り返した。この年は6試合に登板して1勝0敗、防御率0.00、6奪三振を記録した。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった。

ジャイアンツ傘下時代[編集]

2015年1月14日にジャイアンツとマイナー契約を結んだ[12]。シーズンではメジャーでの登板は無く、傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで48試合に登板して1勝3敗1セーブ、防御率3.53、奪三振を記録した。オフの11月6日にFAとなった。

パイレーツ時代[編集]

2015年11月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、2016年スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。

2016年の開幕は傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスで迎えた。6月4日にメジャー契約を結んで25人枠入りしたが、この時は登板機会が無く、8日にAAA級インディアナポリスへ降格した[12]。その後6月18日に再昇格して翌19日のシカゴ・カブス戦で2年ぶりにメジャー登板するも[13]、1死も取れずに3失点を喫した。6月26日DFAとなり、7月3日に40人枠を外れる形でAAA級インディアナポリスへ配属された。8月6日に再びメジャー契約を結んだが9月6日にDFA、9月9日に40人枠を外れる形でAAA級インディアナポリスへ配属された。その後、10月3日にFAとなった[12]

独立リーグ時代[編集]

2017年4月5日独立リーグアトランティックリーグヨーク・レボリューションと契約した[14]。シーズン終了後に退団し、この年限りで現役を引退した。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2013 CIN 14 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 106 23.1 17 8 17 1 4 16 0 0 16 16 6.17 1.46
2014 6 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 30 7.0 2 0 7 0 0 6 0 0 0 0 0.00 1.29
2016 PIT 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 6 0.2 2 0 2 0 0 0 1 0 3 3 40.50 6.00
MLB:3年 22 0 0 0 0 1 1 0 0 .500 142 31.0 21 8 26 1 4 22 1 0 19 19 5.52 1.52

背番号[編集]

  • 46(2013年 - 2014年、2016年 - 同年途中)
  • 52(2016年途中 - 同年途中)

脚注[編集]

  1. ^ 2010年のみレッズ傘下
  2. ^ 2011年から2014年までレッズ傘下
  3. ^ カロライナ・マドキャッツから球団名変更
  4. ^ Mark Sheldon (2012年11月20日). “Corcino among six added to Reds' 40-man roster” (英語). MLB.com. 2016年9月13日閲覧。
  5. ^ Tony Meale (2013年6月8日). “Ondrusek optioned; Partch recalled” (英語). MLB.com. 2016年9月13日閲覧。
  6. ^ Scores for Jun 9, 2013” (英語). ESPN MLB (2013年6月9日). 2014年5月5日閲覧。
  7. ^ Jeremy Warnemuende (2013年8月3日). “Reds send down Partch, call up Villarreal” (英語). MLB.com. 2016年9月13日閲覧。
  8. ^ Owen Perkins (2013年9月1日). “Reds expand roster with three September callups” (英語). MLB.com. 2016年9月13日閲覧。
  9. ^ Mark Sheldon (2014年3月15日). “Barnhart, Partch optioned to Triple-A”. MLB.com. 2016年9月13日閲覧。
  10. ^ "Reds 2014 Opening Day roster" (Press release) (英語). MLB.com (Cincinnati Reds). 30 March 2014. 2016年9月13日閲覧
  11. ^ Joe Popely (2014年4月19日). “Marshall activated, Partch optioned to Triple-A”. MLB.com. 2016年9月13日閲覧。
  12. ^ a b c MLB公式プロフィール参照。2017年2月2日閲覧。
  13. ^ Pirates place Juan Nicasio on restricted list, swap out relievers”. 2016年6月20日閲覧。
  14. ^ http://alpb.bbstats.pointstreak.com/transactions.html?leagueid=174

関連項目[編集]

外部リンク[編集]