おおすみ型輸送艦 (初代)
おおすみ型輸送艦 | |
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LST-4003 しれとこ | |
基本情報 | |
種別 | 揚陸艦(1971年以降は輸送艦) |
命名基準 | 日本の半島 |
運用者 | 海上自衛隊 |
就役期間 | 1961年 - 1976年 |
同型艦 | 3隻 |
次級 |
みうら型 あつみ型 |
要目 | |
基準排水量 | 1,650トン |
満載排水量 | 4,080トン |
全長 | 100.0 m |
最大幅 | 15.2 m |
深さ | 8.6 m |
吃水 | 3.4 m |
主機 | ディーゼルエンジン(900PS)×2基 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
出力 | 1,800馬力 |
速力 | 最大11ノット |
乗員 | 個艦乗員110名+揚陸部隊120名 |
兵装 |
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おおすみ型輸送艦(英語: Ōsumi-class tank landing ship)は、海上自衛隊が運用していた輸送艦の艦級。アメリカ海軍からLST-542級戦車揚陸艦(LST-1級最後期型)3隻の供与を受けて再就役させたものである。
なお供与当初は揚陸艦と類別されていたが、1971年4月1日に艦種呼称は変更された[1]。
概要
海上自衛隊の輸送・揚陸艦艇部隊は、1955年(昭和30年)、MSA協定に基づいてアメリカ海軍より供与された汎用揚陸艇(LCU)6隻(域外調達により日本で建造)、機動揚陸艇(LCM)29隻によって舟艇隊を設置したことを端緒とする。しかし、これらはいずれも小型で輸送・揚陸能力は限定的であり、また航洋性も欠いていた。このことから、MSA協定に基づき、アメリカ合衆国でモスボールにされていたLST-542級戦車揚陸艦3隻の供与が行われることとなった[1]。
LST-542級は、LST-1級戦車揚陸艦の最後期建造型であり、前期型をもとに艦橋を1層増設するとともに機銃を増備したことで排水量が増大し、また後期型と比して造水能力強化によって載貨量が1,900トンに減少したものとなっている[2]。なお、「おおすみ」には機動揚陸艇(LCM)や車両人員揚陸艇(LCVP)など上陸用舟艇を搭載できるダビットが両舷に3基ずつ設置されていたが、「しれとこ」では艦橋構造物両脇の1基ずつのみとなっている[1]。
1961年(昭和36年)4月1日、オレゴン州アストリア海軍基地で3隻の引渡式が行われ、同日付で第1揚陸隊(1971年4月1日、第1輸送隊に改称)を編成し、日本に回航された。日本回航途中のパールハーバーに寄港時、アメリカ海軍から旧日本海軍の特殊潜航艇(甲標的)1隻を受領した。この艇は真珠湾攻撃に参加し撃沈されたものを米海軍が引き揚げたもので「しれとこ」の上甲板に搭載し、日本に輸送した[1][注 1]。第1揚陸隊は、1962年の三宅島噴火、1965年の大島大火への人道援助・災害派遣に活躍したほか、1972年には沖縄返還に伴う米ドルから日本円への通貨切替に対応するための現金輸送にも用いられた[1]。
また「しれとこ」は、1962年には上甲板を補強し、南極地域観測隊用のS-61Aヘリコプターの訓練に供されたほか、1967年には、さらにヘリコプター搭載護衛艦に装備予定であったカナダ製の着艦支援・拘束装置であるベアトラップ・システムを搭載して試験を行った。この実績が評価されて、同システムは以後のヘリコプター搭載護衛艦の標準装備となった[1]。
同型艦
アメリカ海軍 | 海上自衛隊 | その後 | ||||||||
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# | 艦名 | 建造 | 起工 | 就役 | 除籍 | # | 艦名 | 供与 | 除籍 | |
LST-689 | ダゲット・カウンティ USS Daggett County |
ジェファーソンビル ・ボート機械 |
1944年 1月11日 |
1944年 5月2日 |
1946年 3月 |
LST-4001 | おおすみ | 1961年 4月1日 |
1974年 3月30日 |
アメリカへ返還後、 フィリピン海軍へ供与 |
LST-835 | ヒルズデール・カウンティ USS Hillsdale County |
アメリカン橋梁 | 1944年 9月6日 |
1944年 11月20日 |
1946年 1月 |
LST-4002 | しもきた | 1975年 3月31日 | ||
LST-1064 | ナンスモンド・カウンティ USS Nansemond County |
ベスレヘム製鋼 ヒンガム造船所 |
1945年 1月9日 |
1945年 3月12日 |
1946年 8月21日 |
LST-4003 | しれとこ | 1976年 3月31日 |
脚注
- ^ この艇は現在、海上自衛隊第1術科学校敷地内にある教育参考館前に展示されている。