Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Maddestmagician 20161024

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不適切な比喩[編集]

こんなの議論以前の話だと思いますが、多少ははっきり言わないと被依頼者には伝わらないみたいなので、いかに、不適切な比喩であるかということについてここでまとめたいと思います。以下のような不適切な比喩を持ち出された場合、「これはどういう意味ですか?」と聞き返せばいい、という程度であるか、それとも、あまりにも酷すぎてこんな比喩をいちいち持ち出すほうがどうかしている、という程度であるか、などの判断材料となればと思います。--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)[返信]

誤解を糺す試みであると考え、喜んで協力したいと考えます。各節にそれぞれ署名があることから、個別の返答を想定しているものと判断し、個別に返答を致します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
残念ながら、被依頼者の個別の返答により、「被依頼者は不適切な比喩であるという自覚を持っていない」ということが、改めて確認されました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 10:07 (UTC)[返信]

腹切り[編集]

>Alice OPP氏は「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。
  • コメント 不謹慎にもほどがあります。こんなことを言われる身にもなってください。Alice OPPさんだけに責任があるとか、Alice OPPさんが「腹を切」らなければならないほどの過ちを犯したという表現、死者扱いすることなど、なにもかもが二重、三重に不適切です。被依頼者が個人攻撃を行ったことを隠蔽する目的で、美談のように装いながら、結局は、責任逃れを発言しているだけです。この発言については重く受け止め、即刻、撤回と謝罪をするべきです。--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
だけに責任がある」「ほどの過ちを犯した」とは、少なくとも私は言っていませんし、思っても居ません。口の悪い言い方になりますが、はるみエリー氏の「勝手な思い込み」であると考えます。前者も後者も「彼の高潔な責任感が(その些細な過ちを)赦さなかった」に過ぎず、私はAlice OPP氏に議論に戻ってきてもらいたいと考え「是非とも提案者に戻ってきて戴き積極的に議論に参加して戴きたい」と言っています。他にも言いたいことはありますが、長くなるので要点のみ。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
戻ってきてもらいたいのに、「腹切り」という比喩は不適切です。腹切って自害し黄泉の国に旅立った後にどうやって戻って来られるのでしょうか。「腹切り」という行為がどんな行為なのかわかっていますか。腹切りがなんなのか知っていれば、安易に美談話として口にすることなどできないはずです。被依頼者が言いたいことを表現するために、「腹切り」の比喩を持ち出すことは不適切です。不適切な比喩を撤回するつもりも謝罪するつもりもないということに、改めて失望しました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

コメントちょっと停滞しているし、このタイミングで燃料を投じるのはいかがなものかとはわかっているのですが、一応言います。(双方に。自戒もこめて。)

  • 比喩が、人によって解釈にブレが生じるかもしれないというのは、その通りでしょう。だから使うな、という主張は、まあそれなりに理解できるものだとは思います。
  • 全体の文脈のなかで、その比喩がどういう主旨で用いられているかを推し量る、というのもやるべきことでしょう。それは「善意にとる」からくるものであるとも言えるし、もっと常識的に、国語のテストで「作者のこの言葉はどういう考えの現れですか」という四択問題から1つしか無い正解を選び出すような作業にも似ています。つまり、本当は私だったらこう感じるところだけど、学校のテスト的にはこれを選ぶのが正解なんだろうな、っていう、義務教育の国語で教わるような技術です。比喩を敬遠する方は、そういう作業をしなければいけないことが、好きではないんだと思います。(そういうのが好きな人もいます。私とか。文学部だった人とか。)私は逆に、義務教育で教わるような算数の技術が嫌いですし、比喩を読み取る技術を使わないのが悪である、というわけではありません。
  • たとえば「腹切り」について、はるみエリーさんは次のようなニュアンスを受け取ったようだ、と私は読み取りました。
  • 死ぬ。自殺する。死者。黄泉の国に旅だったので、二度と発言することはない。
  • しかし私は、「腹切り」という単語から、むしろ次のようなニュアンスを受け取ります。
  • 潔い。それによって全てが贖われ、お咎め無し。言葉だけの謝罪でなく、身を切る責任のとり方。強制的な斬首と違い、自発的な行為である。立派である。崇高な行為である。
  • 「学校のテスト」の喩えから言うと、はるみエリーさんの解答と、私の解答の、どちらかが正解で、どちらかが誤答だということになります。この観点からは、誤答を導いた方は先生に怒られることになります。しかしそういうことではないのです。なぜならば、学校のテストにおけるこうした問題が得てしてクソだからです。作者がどういう意図で書いたものであろうと、読者は自由に解釈していいのですから。
  • 私の解釈の立場からすると、(たぶん)魔法使いさんと同じで、はるみエリーさんの解釈はずいぶん意地悪な解釈だなあという感想を抱くことになります。しかし、それは私とはるみエリーさんとは感じ方が違うんだなあ、どまりであるべきでしょう。はるみエリーさんが心からそのように感じていて、それを率直に述べたのであれば、それはそれとして尊重しなければなりませんよね。双方が自分の解釈だけを「正解」と定めて争っている格好になってしまっています。相手の解釈もありうるのだということを認め合えばいいと思うんですよね。
  • 魔法使いさんの側では、「そういうつもり言ったのではないが、そういう解釈には考えが至らなかった。私の発言でそういうふうに感情を害されるのは私の意図するところではなかった。私の発言がうまくなかった。ごめんなさい。」で済む話じゃないのかなあと思います。私は、はるみエリーさんに対して「枝葉にこだわりすぎ」という趣旨の批判的なコメントをしましたけれど、魔法使いさんの側には「枝葉でいちいち戦いすぎ」ということはいえるように思います。そのことが「議論のための議論を好んでいる」とみなされることにつながっているようにも思います。
  • 私は、魔法使いさんが建設的な話し合いのためにステップを刻んでいて、そのせいで長くなるのは悪いことじゃない、と擁護しました。建設的な話し合いをしようと思うなら、こういうところでいちいち徹底抗戦するのはよして、折り合うべきかなあとも思います。ここらへんは、少し間があくことで思いが至るというところもありまして、熱が入っているとついカッとなって言い返す、ということは誰しもありうることでしょう。--柒月例祭会話2016年11月15日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
㭍月例祭さんと被依頼者はほとんど同じニュアンスを「腹切り」という用語にもっていて、おそらくお二人だけが肝心なことに気が付かれていないのではと思います。「腹切り」は美談であると思い込んで発言しているのもおかしいですが、それよりも私が重視しているのは、「そう言われたAlice OPPさんがどう思うか考えていますか?」ということです。
>こんなことを言われる身にもなってください。Alice OPPさんだけに責任があるとか、
このはるみエリーの発言を読んでいますか?
世界最狂の魔法使いCray-GさんはAlice OPPさんだけが悪くて、自分はまったく悪くないという立ち位置で発言しています。それを誤魔化すために「潔い」というイメージを持たせた美談のようにして誤魔化しているだけ、という受け取り方をする人がいてもおかしくありません。被依頼者は全く悪くないと思っているのであれば、もう改善の余地なしで最終手段に移行するだけということになると思います。被依頼者が議論に参加するたびに、被依頼者以上に専門知識があるような貴重な利用者が疲弊して引退ぎりぎりに追い込まれたり、引退してしまうような事態を繰り返すべきではありません。全然話が噛み合っていないまま続けてもしょうがないので、この程度にします。-はるみエリー会話2016年11月15日 (火) 16:34 (UTC)[返信]

議論は共同作業[編集]

>議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
  • コメント 結婚式のケーキカットをするカップルに、「結婚式のケーキカットは、Wikipediaの議論と同じような共同作業だよね」と言ったら、相手がどう思うか考えて下さい。結婚式のケーキカットと一緒にしないで、と言われると思いませんか。議論は、コラボレーションタイアップではありません(その二つを共同作業という言葉で表現するのであれば、理解はできます)。高度な議論ともいえるディベートでは、明確に勝った負けたが存在します。そもそも、Wikipediaの議論で共同作業を行う、と聞いたら、ミートパペットかよ、などと突っ込まれると思いませんか。議論は双方が協力しつつ作業するものではありますが、決して共同作業ではありません。また、被依頼者は、議論は共同作業だ、などと言っていますが、実際には、Alice OPPさんに個人攻撃を行い批判しまくった上で全責任を押しつけて亡き者として扱っています。この行為のどこに共同作業の要素があるのでしょうか。被依頼者の行動をみていれば、本当は、議論は共同作業ではない、ということを知っているのに、詭弁を言ってるだけだと感じます。実際の行動を見る限りでは、自分と異なる意見を言う人に罪・全責任をかぶせて亡き者あつかいし、自分と同意見の人だけと共同作業を行うことを「議論」であると認識しているとしか理解できませんでした。--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
先ず、コラボレーションタイアップも共同作業だと考えています。ディベートは議論ではなく討論であると考えています。「ミートパペットかよ、などと突っ込まれる」とは思いませんし、これまで議論は共同作業であるとの考えのもとに行動をしてきましたがミートパペット扱いされた覚えは(荒唐無稽として気にならなかった可能性はありますが)ありません。そして共同作業の一環として、こうして返答しているつもりです。他にも言いたいことは以下同文。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
議論は共同作業であるという、被依頼者の独自な主張を表現するために、ケーキカットの比喩を持ち出すのは不適切です。不適切な比喩を使ったという自覚をお持ちでないということを理解しました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

「議論は共同作業」を主張するために「百科事典は共同作業」という正論を持ち出された件について[編集]

>議論が共同作業ではないと考えているのであれば、この際それでも文句を言いませんから、もう少し方針やガイドラインを重視して戴けないものでしょうか。つまり「努力が求められている」のだということをご理解戴きたいのです。私独りがどれだけ努力をしても合意の可能性は無いままです。
>◆現状、私は最後に引用した二つにある「他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「共同作業を行う上で必要な技能の欠如」を指摘されているところです。
>これは言い換えると、「他の利用者はるみエリー氏やぽてから氏と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「(はるみエリー氏やぽてから氏と)共同作業を行う上で必要な技能はるみエリー氏やぽてから氏が立脚する観点への理解の欠如」を指摘されているわけです。
>で、「欠如を指摘されている」ことは理解出来ました。が、それを「異論は認めない」とばかりに「欠如を指摘」することを繰り返されるだけでは、「如何なる」欠如があるのかを私は理解出来ないままです。このままでは、既に述べた「永遠の水掛け論」にしかならず、互いに(どころか第三者まで巻き込んで)消耗し続ける以外の未来はありません。

今度は、百科事典づくりは共同作業であるという正論を悪用し、「議論が共同作業である」という主張を続けていますが、これもまた不適切な比喩です。「百科事典づくりが共同作業である」という話を持ち出しても、「議論は共同作業である」とか「ケーキカットの比喩が不適切ではない」という被依頼者が主張したいことを証明することはできません。議論と関係がなくても、「百科事典づくりは共同作業」という正論を入れ込めば、その正論には反論がなく共感を呼びます。そして、これだけ長文ではぐらかせば、途中から読んだ方などは、被依頼者は「百科事典が共同作業である」という正論も言っているから、初めから正常な思考にそった話をしていたのではないかということを思う人も出るかも知れません。しかし、そもそも、「百科事典づくり=議論」であるという前提がなければ、被依頼者の主張は成り立たず、そんなことは書いてありません。百歩譲って、被依頼者が「議論は共同作業」の話ではなく、「百科事典づくりは共同作業」だと話していたとしても、企業のコラボレーションに例えるくらいであればまだわかりますが、結婚式のケーキカットを比喩に出すのは不適切です。見ず知らずの人と協力し合うことと、これから家族になる相手との結婚式でのケーキカットを同列に並べるなど、奇抜すぎて万人が同じ意味で受け取ることは不可能です。このような不適切な比喩を被依頼者が立て続けに持ち出されるせいで水掛け論が発生し、相手が疲弊せざるをえないという悪循環に陥り、被依頼者はまるで初めから「百科事典は共同作業である」という正論を言っていたかのように見えていた、というのが、これまでの実態ではないでしょうか。はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 10:59 (UTC)ノートへ移動--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

質問 素朴な質問です。ウィキペディアでの「議論」とは、百科事典を作るための手段ではないのですか?「百科事典づくり」と関係のない議論は「目的外」と思いますが、いかがでしょうか?--aki42006会話2016年11月7日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
コメント 上記発言で、ぽてから氏もまとめて批判しているのはなぜでしょう。はるみエリー氏を批判するついでに、依頼者もまとめて批判しちゃって、コメント依頼者がおかしいというふうに持って行きたいからでしょうね。よく読むといい加減なコメントです。議論は「結婚式のケーキカットと同じような共同作業か」という点については、明確に異なると思います。aki42006氏のおっしゃるような意味では、被依頼者が実際にとっている行動は、「百科事典づくり」と関係のない「目的外」の議論という域に達している可能性もあります。また、たしかに百科事典づくりの話を持ち出したからといって、「ケーキカットの比喩が不適切ではない」という被依頼者が主張したいことを証明することはできません。(はるみエリー氏発言より)ということになります。ここで議論されているのは、「議論と百科事典づくりの関係」ではなく、被依頼者がケーキカットを比喩に持ち出すことがどうか、ということについてです。被依頼者の作戦に惑わされないように注意したほうが良さそう。--106.154.93.185 2016年11月7日 (月) 13:03 (UTC)[返信]
  • コメント はるみエリーについての質問であると解釈しお答えします。百科事典づくりは共同作業であるということを否定する発言を過去に行ったことはなく、はるみエリーがまるで、百科事典づくりが共同作業であるという方針やガイドラインを否定しているかのように、いきなり長文で言い出された被依頼者の主張は、間違った前提に成り立ち、論理が破綻しています。議論における協力体制は必要不可欠ですが、荒らしの意見を排除しなければならない場合もあり、議論については100%共同作業を行うことはできません。辞書にも、議論は共同作業である、とは書かれていません。コラボレーションなどは、共同作業と矛盾しない概念であると思います。百科事典づくりの理念として「共同作業」ではあることを肯定していますが、荒らしと共同で議論を行うことはできないので、百科事典づくりに関係する全てのものが共同作業であるとは言えません。また、百科事典作りが共同作業であるという方針を持ち出したところで、結婚式のケーキカットの比喩が適切であるということを証明できません。
>議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
という比喩については不適切な比喩であると思います。「結婚式のケーキカット」は初めての共同作業として一度しか行いませんが、議論における協力体勢は継続します。たった一度儀式的に行うケーキカットと同じであると主張する被依頼者のほうが、議論について正しく理解していないと思います。(被依頼者の不適切な比喩についての話を続けることで、本来議論すべき重要事項がぼやけることを心配しています。このあたりでよいでしょうか。)--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
返信 (はるみエリー氏宛) ちょっとしたお願いなのですが、下記に引用するガイドラインに従って戴けると、もう少し読み易くなって助かるのですが。
投稿をスレッド化する:インデントを深くして、スレッド型掲示板のように誰に対するコメントか明示するとよいでしょう。一般的にはコロン(:)を使った箇条書きのマークアップが応用されていますが、削除依頼などではアステリスクを使ったマークアップがよく用いられています。 — Wikipedia:ノートページのガイドライン#レイアウト
◆さて、議論とは裏を返せば、互いに合意点を探り合う作業でもあるので、それに従い先ずははるみエリー氏の主張の中から私が同意する点を列挙します。
方針やガイドラインでは、議論は共同作業であるとは書いてありません
はい、「議論は共同作業である」とは書いていません。
議論に協力は不可欠です
はい、不可欠です。「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないもの」が存在し得るとは「私は」思っていません。はるみエリー氏はそれが「存在し得る」と考えていて且つ「その一つが議論である」と主張しているものと「私は」認識しました。
辞書的に、百科事典づくりと議論は同等の意味をもたず
はい、互いに独立した概念であり同等ではあり得ません。百科事典の作成に際し必ずしも議論を要するわけではありませんし、議論を行なえば百科事典が作られていくわけでもありません。
また、議論は共同作業ではありません
いいえ、上記三点に私が同意するにも関わらず、私は未だに「議論は共同作業である」と認識していて、変化する兆しがありません。
此処までで一つ、明確な論点=相違点が見付かりました。それは「議論に協力は不可欠です」の後に書いた「「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないもの」が存在し得るとは「私は」思っていません。はるみエリー氏はそれが「存在し得る」と考えていて且つ「その一つが議論である」と主張しているものと「私は」認識しました」があります。
  • はるみエリー氏は「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないもの」が存在し得る、と主張している。
  • はるみエリー氏は「その一つが議論である」と主張している。
この私の認識は正しいでしょうか? であれば正しい旨の返信を戴きたいと考えます。
或いは私が何かを誤解しているようであれば、その旨と説明を戴ければ、誤解が解けて私がはるみエリー氏の言う内容を理解し合意が形成される結末へと向かう助けになるものと考えます。
もしも説明が難しいようであれば、私の主張である「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないものは存在しない」が如何に誤った考えかを説明して戴くでも、何かの助けになるかもわかりません。何の助けにもならない可能性もありますが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月8日 (火) 03:09 (UTC)[返信]
  • コメント 上記における被依頼者の論理はストローマンと呼ばれる一種の詭弁ないしは誤謬であると言えます。
相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたる誤謬であり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁である。(以上、ストローマンより引用)--Husa会話2016年11月8日 (火) 19:00 (UTC)[返信]
コメント はるみエリーは、被依頼者の発言を正確に引用して議論をしていますが、被依頼者は議論の際に他人の発言を正確に引用することを避け、まさに、Husaさんが指摘されているストローマンの戦法をつかわれています。はるみエリーの発言をきちんと読まれていないことも判明したので、過去の発言を引用します。
>しかし、そもそも、「百科事典づくり=議論」であるという前提がなければ、被依頼者の主張は成り立たず、そんなことは書いてありません。百歩譲って、被依頼者が「議論は共同作業」の話ではなく、「百科事典づくりは共同作業」だと話していたとしても、企業のコラボレーションに例えるくらいであればまだわかりますが、結婚式のケーキカットを比喩に出すのは不適切です。見ず知らずの人と協力し合うことと、これから家族になる相手との結婚式でのケーキカットを同列に並べるなど、奇抜すぎて万人が同じ意味で受け取ることは不可能です。このような不適切な比喩を被依頼者が立て続けに持ち出されるせいで水掛け論が発生し、相手が疲弊せざるをえないという悪循環に陥り、被依頼者はまるで初めから「百科事典は共同作業である」という正論を言っていたかのように見えていた、というのが、これまでの実態ではないでしょうか。
>議論における協力体制は必要不可欠ですが、荒らしの意見を排除しなければならない場合もあり、議論については100%共同作業を行うことはできません。
なお、ソックパペットや荒らしと共同作業を行った場合は、ソックパペットや荒らしに餌を与えることにもつながり、ウィキペディアに甚大な被害が広まることがあります。被依頼者が利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録に行った対応のせいで、ウィキペディアに被害が広まったと考えています。--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 04:06 (UTC)[返信]
被依頼者は議論の際に他人の発言を正確に引用することを避け
被依頼者こと私が「はるみエリー氏の発言を不正確に引用した」との主張ですね。「どの発言」を「どう不正確に引用した」ことで「どのように歪めた」乃至は「どのように誇大」に解釈してから反論したのか、の指摘が無ければ、藁人形論法を用いていると無根拠に主張しているだけになってしまいます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 05:33 (UTC)[返信]
はるみエリーの発言を正確に引用すればいいだけです。まったくご自身の問題を自覚されていないのは、第三者によるコメントをきちんと理解されていないからではないでしょうか。他人の発言を咀嚼する前に慌てて感情的に長文投稿をされるなどの行動を連発されているように見えます。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 09:16 (UTC)[返信]
正確に引用しています。正確に引用していないと主張しているのははるみエリー氏です。立証責任ははるみエリー氏にあると考えます。
単に「はるみエリー氏が書いた元の発言」と「私が不正確に引用した発言」とを並べ立てれば、第三者にも曖昧さ無く判明し、この「詭弁を用いているか居ないか」の論争は直ちに結論が出ます。
ですが「はるみエリー氏が」わざわざその「直ちに結論を出すこと」を拒否しています。その所為で、私のみならず「はるみエリー氏自身が」本来なら不要な発言を行ない「消耗」しています。
速やかに結論を出し消耗を避ける為に、私がはるみエリー氏の「どの発言」を「どう不正確に引用した」上で「どのように歪めた」乃至は「どのように誇大」に解釈してから反論したのか、の指摘をお願い致します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 10:01 (UTC)[返信]
この議論を継続することに大きな意味は感じていませんが、被依頼者には強いこだわりがあるようですので、他記事の編集時間を減らしてこの議論を継続することにします。まずは、被依頼者が「正確に引用しています」と主張されている引用箇所をお示し下さい。順序としてはそこが出発点となるはずです。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 10:11 (UTC)[返信]
繰り返します。立証責任はるみエリー氏にあると考えます。
伝わらないようなので「例え」を出したいところなのですが、「センスが無いんだから例えは控えろ」と言われているところなので、これでも「立証責任を果たす気は無い」と言われるまでは「例え」を出すことを控えておきます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 10:58 (UTC)[返信]
責任の押しつけはやめてください。繰り返します。まずは、「正確に引用しています。」と主張されている「正確な引用」をご提示ください。それに基づいて、それが正確な引用であるか検証したいと思います。ご協力お願いします。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 11:24 (UTC)[返信]
「例え」を出します。誤解が起こり難いように複数出すと良いのではないかと助言を受けたので、いくつか出します。
  • 「借金を返せ!」 「俺はお前から金なんて借りてないぞ?」 「俺から金を借りてないという証拠を出せ! 順序としてはそこが出発点となるはずです。それに基づいて、金を借りていないか検証したいと思います。」
  • 「お前んトコの食堂で飯を食ったら食中毒になったぞ治療費を払え!」 「何の証拠があってそんなことを言うんだ!」 「お前んトコの食堂で飯を食っても食中毒にならない証拠を出せ! 順序としてはそこが出発点となるはずです。それに基づいて、食中毒になっていないか検証したいと思います。」
  • 「窃盗の罪で逮捕する!」 「俺は窃盗なんてしていない!」 「窃盗をしていないという証拠を出せ! 順序としてはそこが出発点となるはずです。それに基づいて、窃盗してないか検証したいと思います。」
  • 「正確に引用していないぞ!」 「俺は正確に引用しているぞ?」 「正確に引用しているという証拠を出せ! 順序としてはそこが出発点となるはずです。それに基づいて、正確に引用しているか検証したいと思います。」
三つ挙げてみました。四つ目は、現状を「例え」の書式に合わせて書いたものです。四つとも、最初の一言への評価は変わらないと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 11:44 (UTC)[返信]
お願いですからたとえ話はお控えください。簡潔に直截的な表現をご利用ください。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
これで伝わらないとなると、かなり大幅に「ドレスコード」を破らなければならなくなります。困りました。相互理解困難として、調査投票でも宜しいのですが。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 12:58 (UTC)[返信]

(インデント戻し)この議論の内容について「はるみエリーに立証責任がある」と勘違いしているコメントが見られるので、「立証責任は被依頼者にある」ことをわかりやすく説明します。被依頼者がストローマンの手法を使っていると考える理由は、被依頼者による、はるみエリーの主張を「正確に引用しています」という発言とは裏腹に、はるみエリーの主張を正確に引用していないため、です。被依頼者は「はるみエリーの主張を引用していない」ことの証明を要求されていますが、それは悪魔の証明です。一般論として、否定するものには立証責任はありませんから、被依頼者による「はるみエリーに立証責任がある」という主張は誤りです(どこにも正確な引用がない、という、ないものを証明するのは不可能)。そのため、この議論においては、被依頼者が「正確に引用している」ことを立証する責任を負っています(立証と言っても、ほら、ここで引用していますよ、と言えばそれで終わりです)。現在は、被依頼者により「正確に引用しています」と主張されている箇所の提示→はるみエリーにより、「正確な引用」であるかの検証、という順番により、被依頼者に立証責任を果たしてもらった後に反論する、というごく常識的な提案をしていますが、被依頼者が立証責任を放棄し、はるみエリーに立証責任があるという誤った主張を繰り返されている段階で止まっています。この議論において、被依頼者が主張する通りである(はるみエリーに立証責任がある)という誤認コメントが見られますが、それは悪魔の証明であるということを思い出してもらえると幸いです。なお、このような瑣末な議論を積極的に行いたいとは考えていません。被依頼者がどうしても、ということなので、こちらも労力を費やしているのですが、被依頼者が悪魔の証明をはるみエリーに求め続けるために、議論が噛み合わないままとなっています。ここまでの議論を順序立てて説明すると、被依頼者はストローマンの手法を使ったことの否定に失敗し、被依頼者ははるみエリーの主張を引用した、という主張を肯定できないまま、立証責任を放棄し、立証責任を負わないはるみエリーに対して、悪魔の証明を要求している、ということになります。ここで議論が終了すれば、被依頼者による「はるみエリーの主張を正確に引用した」、「はるみエリーに立証責任がある」という主張は間違っていたというままになります。おそらく、被依頼者は悪魔の証明という概念を失念しているかもしくは知らないと思われます。上記と同じ事を他の議論で行った場合、無理な要求を議論の場で持ち出し、相手が無理であると告げた時点で自身が正しかったからだと誤認し、正常な議論にならなくなるという可能性が今後も考えられると思います。--はるみエリー会話2016年11月12日 (土) 19:02 (UTC)[返信]

被依頼者による「正確に引用しています」という主張に関する検証[編集]

以下の順序で検証を行いたいと思います。ご協力お願いします。

  1. 被依頼者により「正確に引用しています」と主張されている箇所の提示
  2. はるみエリーにより、「正確な引用」であるかの検証
  3. 第三者による講評を含む議論--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

コメントここのやりとりは(双方とも)さすがにちょっとどうかなと思うのですが・・・。はるみエリーさんの主張を換言すると、「不正確に引用されている場所がある」ということになります。そしてはるみエリーさんはそのことに気づいている。その場所を端的に示せば済むのでは?--柒月例祭会話2016年11月13日 (日) 14:48 (UTC)[返信]

  • (追記)しかし「正確に引用」していたとしても、それは「一部のみを取り上げて誇大に解釈」したストローマン戦法だ、と言うのであれば、結局は「引用が正確かどうか」よりも、「意図を正しく汲み取っているか」が問われるわけでしょう?そして「自分はそういうつもりで言ったのではない」と主張してしまえば、常に「意図を正しく汲みとっていない」と言えちゃうわけですから。さすがにこのやりとりは不毛じゃないでしょうか?--柒月例祭会話2016年11月13日 (日) 15:01 (UTC)[返信]
コメント
>はるみエリーさんの主張を換言すると、「不正確に引用されている場所がある」ということになります。
柒月例祭氏による上記発言は、正確ではありません。それは、被依頼者による解釈であり、はるみエリー氏はそう発言していません。
また、柒月例祭氏による意見の表現についてですが、まるで事実ともとれる断定型が使用されています(柒月例祭氏により、やめようという提案がなされていますが[1]、ご自身が厳密に守っておられません)。
上記議論は膠着していますが、以下の通り、主張に食い違いが発生しています。
  • はるみエリー氏「被依頼者は議論の際に他人の発言を正確に引用することを避け」ている
  • 被依頼者「被依頼者こと私が「はるみエリー氏の発言を不正確に引用した」との主張ですね」「正確に引用しています」
はるみエリー氏は、つまりは自身の発言の引用が避けられていると主張しており、さらに、被依頼者による正確な引用とされる箇所がカギ括弧等で明らかにされていません。このような状況で、はるみエリー氏が該当箇所を提示することは困難であると考えます。なお、引用部分を明らかとしない引用を被依頼者が行っていたとすれば、著作憲法上問題のある引用方法であるといえますし、正確な発言の引用がなかった場合は「正確に引用しています」という主張が間違っていたことになると考えます。
>被依頼者の不適切な比喩についての話を続けることで、本来議論すべき重要事項がぼやけることを心配しています。このあたりでよいでしょうか。(はるみエリー氏)
>これで伝わらないとなると、かなり大幅に「ドレスコード」を破らなければならなくなります。困りました。(被依頼者)
上記の発言から、はるみエリー氏はこのような議論を継続することを望んでいるわけではなく、被依頼者がはるみエリー氏を説得したいと希望しているために議論が継続していると考えます。
>「例え」を出します。誤解が起こり難いように複数出すと良いのではないかと助言を受けたので、いくつか出します。(被依頼者)
また、上記発言に見られる「誤解が起こりがたいように複数出すと良い」という助言は間違っていたと考えます。むしろ、比喩はやめてほしいという要望が多数派を占めていると考えます。--Husa会話2016年11月13日 (日) 15:58 (UTC)[返信]

人類数千年の歴史、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提[編集]

>人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提[2]Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家
  • コメント このような意味不明な表現を用いて、シャム・パンナさん達を批判している点については不適切だと思います。「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い大前提」とはなんですか。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」などと、方丈記の一節でも唱え、諸行無常を語る以外に方法はないと思います。また、共産主義は、私有財産の否定による完全平等の実現を目指して暴力革命を肯定する世界です。気長に人材を育成すればいい、などという世界とは相反し、相応しくない人は殺してしまえ、社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する、というのが共産主義です。共産主義国家が現存する世界において、「共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などというものは存在しません。よって、このような意味不明な比喩を持ち出すことは、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について無知であるか、もしくは、議論の攪乱を目的としているとしか判断できません。--はるみエリー会話) 2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 08:50 (UTC)[返信]
これは要点が複数あり、単純な返答は難しいと考えます。少し嫌味な言い方に感じられるかも知れません。
  • 共産主義国家が現存する世界」と発言なされていらっしゃいます。具体的に「現存する共産主義国家」を挙げられるのであれば、是非とも社会主義国一覧の前文にある「自称社会主義国の大半は~~「社会主義」の共通の定義を共有し、共産主義への途上にある社会主義国家と位置付けている。この理由から西側諸国からは一般に「共産主義国家」と呼ばれている(この名称が自称されることはない)」に加筆し、ウィキペディアをより良い百科事典にすることにご協力を戴ければと考えます。私は「社会主義国家はいくらもあるが、共産主義国家は現存していない」と認識しています。
  • 共産主義は~~暴力革命を肯定」と言っていますが、民主主義の先鞭として代表されるフランス革命は「暴力革命ではなかった」との認識なのでしょうか。私の認識では、絶対王政を始めとする封建制貴族制の元で民主主義が暴力革命を肯定したのと全く同じに、資本制の元で共産主義が暴力革命を肯定しているに過ぎないと考えています。イコール、「現実に暴力革命(=社会秩序の暴力的転覆)以外に達成の見込みが無い」と判断したからそう言っているだけで、「社会秩序の暴力的転覆」が共産主義や社会主義の主体ではない、という意味です。民主主義の達成を妨害する貴族制に固執する)貴族等を「相応しくない人は殺してしまえ」と処刑マリー・アントワネットが有名ですね)したフランス革命ではありますが、「相応しくない人は殺してしまえ」が民主主義の主体ではないのと同じことだと認識しています。つまり、それ等の間には、我々自身が被害者側ではない(=貴族処刑)か被害者側である(資本制打倒)かの違いしか無いという意味です。
  • 「大前提が何か」に関しては既にへのいち氏が解説して下さっている通りなので、それに対する質問が無い限り触れません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
共産革命について無知であることを改めて確認しました。暴力革命は、マルクス・レーニン主義によって提唱された概念です。フランス革命は「いっさいの社会秩序の暴力的転覆」を目的としてはいません。クーデターは、暴力革命であるというわけではありません。また、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い大前提」については説明がありませんでした。よって、被依頼者の無知に帰因する不適切な比喩であったことを確認しました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

タイムスタンプのバグ[編集]

はるみエリー様へ。タイムスタンプでお困りのようですが、もし宜しければ、Wikipedia:バグの報告に御報告されてはいかがでしょうか?そういう私もブラウザ限定バグ(数十回に1回程度の頻度で本文中の記述が重複して付加される、プレビューではわからない)に悩んでおり、Wikipedia:バグの報告はウォッチしています。以上、御存知であればすみません。(そういう自分はタイムスタンプ大丈夫だろうか?)--JapaneseA会話2016年11月11日 (金) 08:14 (UTC)[返信]

ありがとうございます。投票の際にタイムスタンプがずれても無効票と扱われなかったので、それ以外は今はあまり気にしていません。ブラウザ限定バグは深刻そうですね。--はるみエリー会話2016年11月11日 (金) 09:04 (UTC)[返信]

関連した議論について[編集]

関連した議論(その1)[編集]

金融の専門家氏(とそのソックパペット、ミートパペット)に一番問題があったのは論を待たないと思いますが、ジャム・パンナ様に問題が全くなく世界最狂の魔法使いCray-G様ばかりに問題があったような論調は正しいのでしょうか。

ヘッジファンドダイレクトや高岡壮一郎については、2016年3月にも編集合戦があり、

という2陣営で無期限ブロックや多重アカウントの疑いがありました。当該記事での争点は

  • 宣伝的な記述を記載するかどうか

に加え、無出典の否定的な書き込みを除去するのは当然ですが

  • 信頼性に疑義のある週刊東洋経済やビジネスジャーナル、FACTAの記事を掲載するかどうか

もあったはずで、宣伝的な記述だけが問題だった訳ではありません。ジャム・パンナ様は宣伝的な記述を除去するだけでなく、ひとまず信頼性に乏しい情報源に基づく否定的な記述も除去するかコメントアウトしておき、議論を進めるべきではなかったのでしょうか……。

また、ヘッジファンドダイレクト#不思議な創業の定義を中心としたType casketos様とのやり取りを拝見すると、中立的な立場を逸脱していると見られても仕方がない状況だったと考えられます。「ヤフオクの話ふつうに残ってますね(笑)」という発言もあり、いろいろな報道のある会社とはいえ、記事の主題に対して敬意を失い過ぎのように見受けられました。少なくとも、Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家で金融の専門家氏から「アンチ・ユーザ」と言われてしまう隙を与えてしまっていたのは否めません。

また、Wikipedia:井戸端/subj/経営者の「メディア掲載」に関する記述は即時除去するべきなのか?に関連して他の経営者記事で取材リストなどを除去しておられ、これ自体は井戸端の議論を踏まえると仕方ないと思いますが、一般的に考えて特筆性が十分な人物の記事に対してTemplate:複数の問題特筆性を疑問視するなど拙速な編集も見受けられ、個人的には悲しく残念でした……(>_<")。

上記の問題で世界最狂の魔法使いCray-G様の一連の問題が免罪される訳ではありませんが、ジャム・パンナ様を消耗させたという件について、バイアスがかかり過ぎてはいないかと感じた次第です……m(_ _)m。--Assemblykinematics会話2016年11月11日 (金) 19:52 (UTC)[返信]

  • コメント世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、金融の専門家さんを説得することにしました。他の利用者は金融の専門家さんをぶん殴って黙らせるのが良いと考えていました。この問題周辺では、既にソックパペットやブロック破りが何度も行われていて、「金融の専門家」というアカウントをブロックしてもすぐに別のアカウントが出現するだけだろうから、アカウントをブロックすることよりも、中の人に問題を理解してもらって態度を変えていただくことが根源的な解決になる、と魔法使いさんが考えたとしたら、その考え方は支持できます。
  • 根源的な解決をするためには、金融の専門家さんとの対話が必要です。しかし金融の専門家さんは既に他の利用者との論争でヒートアップしていたり、一般化して全ての利用者・ウィキペディア全体を敵視するかのように振舞っていました。
  • 金融の専門家さんと対話をするためには、まずは金融の専門家さんとのあいだに信頼関係を築く必要があります。
  • ジャムパンナさんの立場では「金融の専門家さんに問題がある」と考えているのと同じように、金融の専門家さんは「ジャムパンナさんに問題がある」と考えているわけですから、ひとまずは金融の専門家さんの考え方を受け容れた上で(同調してみせるということと、心の底から同意するというのは違います)、建設的な対話の土壌としての信頼関係をつくることは、手順としては必要だったでしょう。もしかすると、信頼関係ができて順を追って対話を継続していくことができたならば、最終的には「ちょっとまてよ、ということは、我々が一番最初に仮定した、ジャムパンナさんが悪いというあの大前提も、揺らぐということもありえるのではないか」というところに行き着くかもしれません。
  • Assemblykinematicsさんは、ジャムパンナさんは一方的に落ち度のない一方的な被害者だと振舞っているがそうではないのではないか、という趣旨のことをおっしゃっていると思います。私はそのこと自体にはふれませんが、対話をする上では金融の専門家さんの立場をいったん認めるというのは、手順として有りだったと考えます。
  • 今回は「金融の専門家さんの立場を認めたせいで増長して余計に問題が大きくなった」という批判を行っている方もいて、その見方そのものを否定はしませんが、着眼点が違っているのだと思います。虫歯を治すためにまずは麻酔薬をするのに、その注射が痛い、治療で歯茎をグリグリやったから腫れた、歯医者に来る前より余計に痛くなったじゃないか!みたいな。目的をお互いに確認しあわないまま、手順や手段だけを取り上げたり、「過程」を「結果」とみなしてそこだけ取り上げたり、そういうことが行われているように見えます。
  • 全てが公開の場で行われますから、「陰で根回しする」みたいなことが不可能(個人的にメールを送るぐらいか)です。ジャムパンナさんに、「私は今から金融の専門家さんを説得するために、ひとまずは彼の主張を受け入れるよ。その過程で一旦あなたを悪者扱いするけれども、べ、別に心の底からあなたを悪だと思っているわけではないですから、勘違いしないでよね」みたいなことを事前に根回しできればよかったのかもしれません。が、ウィキペディアのシステムではそういうことは難しいし、万が一事前の根回しが相手方に発覚したらそれこそヒートアップするし、こういった事前の根回しが成立するためにはジャムパンナさんとの間に一定の信頼関係が前提となるし、まあ難しいです。--柒月例祭会話2016年11月12日 (土) 02:19 (UTC)[返信]
返信 (㭍月例祭氏宛)>他の利用者は金融の専門家さんをぶん殴って黙らせるのが良いと考えていました。」というような荒っぽい前提を発言されることで、さらにジャム・パンナさんに対する間接的な非難となる発言をされるのはお控え頂けませんでしょうか。ジャム・パンナさんは、「ぶん殴って黙らせるのが良いと考えて」いたわけでもなく、それまでも、「ぶん殴って黙らせる」という行為は行っていなかったと考えます。被依頼者と類似のミスをしておられますが、そこで「ぶん殴る」という比喩を使ってぼかすことは、かえって実際の状況をわかりにくくしています。--Husa会話2016年11月12日 (土) 07:31 (UTC)[返信]
Assemblykinematicsさんは「一般的に考えて特筆性が十分な人物の記事」とおっしゃっていますが、この記事は出典がほとんどありませんし、つけられた二つの出典では特筆性の判断はできませんでした。「一般的に考えて特筆性が十分」であるという出典があれば、テンプレートを張ったりしませんでした。十分な出典のある現状の記事につけようとは思いません。ソックパペットがメディア出演歴を列挙したり逆に貶めるようなことを書き込んだ記事はたくさんありました。また、週刊東洋経済やビジネスジャーナル、FACTAのを出典にするかどうかに議論があることは、あの時点では私は知りませんでした。彼らは他の宣伝をしている記事では東洋経済を出典にしており、宣伝に都合がいいかどうかで意見を使い分けているダブルスタンダードがあり、彼らの主張を疑問なく受け入れることは難しい状況でした。わたしの対応が不十分で、完ぺきとは程遠かったことはわかっていますし、能力のない自分がでしゃばったことが問題が大きくなった一因でもあると思っています。できれば早い段階で、対応に慣れた方が加わってもらえたらよかったんですが、完ぺきに対応できず、付け込まれる隙を作ってすみませんでした。
ウィキペディアのシステムで根回し自体がむずかしいのは確かにそうだと思います。(とはいえ、ウィキメールを送りたいと言ってもらえれば、対応はしたと思います)根回し自体がむずかしく、わたしは被依頼者と信頼関係もない、知らない人同士なんだから、ああいう策を取るべきではないし、取られたら巻き込まれた人間は困ります。「同調してみせるということと、心の底から同意するというのは違います」とおっしゃっていますが、それは外からはわかりません。変な策は使わず、ふつうに説得すればよかったんじゃないでしょうか?
またわたしは、「ぶん殴って黙らせる」ということはしておらず、宣伝ができないということを理解して宣伝行為から撤退してほしいと思っていました。他の方たちも、それぞれ真剣に説明を試みていたはずで、暴力的なことはなかったと思います。--ジャム・パンナ会話2016年11月12日 (土) 08:05 (UTC)[返信]
「ぶん殴って黙らせる」という表現が適切でないということはわかりました。すみません。
ただ、ルールを示していきなり説得に入るというのは、こういう場合、むしろ「下策」という考え方があります。私もその道のプロではないので、受け売りになりますけれど、en:Felix Biestekというアメリカの神父がいます。いまでは専門技術職とみなされているカウンセリングの始祖という感じの方です。英語版の記事にも色々書いてありますが、まずは相手に言い分を十二分に言わせてあげて、それに同調してみせてからでないと(Acceptance)、説得は不可能で、そうしないとむしろ悪い結果になる、という考え方です。この考え方は、一応は日本や海外で国家資格となっている「なんちゃらカウンセラー士」とかの職業の基礎になっているという観点で、一定以上の権威が認められている考え方です。で、「同調してみせる」ことは必要だけど、そのときに自分も本気でそれに同意してしまうのはあかんよ、ということになっており、心のなかでは平静を保って客観的に見る必要はあるけれども、表向きは同調してみせるということです。そして、「こうしろ」というのではなく、本人が自発的にそうすることを選ぶようにしないとダメだよ、というものです。私個人は、なるほどと思う手法だと思います。
この考え方では、「いきなり説得する」のは、相手方からすると(ぶん殴るかどうかはともかく)「黙れ」と言われるのに等しく、「自分のほうが正しい」と思っている相手方は、黙るどころか、むしろもっと声を大にする必要があると考えて、それを実行するようになる、ということになります。
まあ、これは普通、密室で1対1で行われる対話の場面での「手法」ですから、それを公開の場であるウィキペディアでやると、その過程で面白くない第三者が出る、というのはその通りで、そのあたりは課題がありますね。--柒月例祭会話2016年11月12日 (土) 08:40 (UTC)[返信]
返信 (㭍月例祭氏宛) 主張のなかに理解が困難な点がいくつかありますので、質問いたします。
>ただ、ルールを示していきなり説得に入るというのは、こういう場合、むしろ「下策」
これは、どなたかの行為が「下策」であったということを指しているのでしょうか。被依頼者による説得は、初めに改善すべき点を示していきなり説得にはいられた[3]ために「下策」であったという意味でしょうか。(「いきなり説得する」ことの否定は、被依頼者が「いきなり説得する」行為について「下策」であったというご主旨で間違いないかの確認です。)
>これは普通、密室で1対1で行われる対話の場面での「手法」ですから、それを公開の場であるウィキペディアでやると、その過程で面白くない第三者が出る、というのはその通り
これは、実際に、金融の専門家との対話で起こったことを指しているのでしょうか。そうであれば、「面白くない第三者」はジャム・パンナさんを指していると理解できます(ジャム・パンナさんを「第三者」とする表現が適切かはさておき、「面白くない」人は他には該当しないため)。しかし、「いきなり説得」を始めずにカウンセリングの手法を使った対話を行った人、というのはどこに存在するのでしょうか。少なくとも被依頼者は「いきなり説得」を始めていますから「下策」を行った一人に該当すると考えます。内容としては、被依頼者による「いきなり説得行為」は「下策」であったが、理想的なカウンセリング行為をウィキペディアで行うと、その課程で「面白くない第三者が出る」ために、それも理想とは言えない。結論としては、ウィキペディアにおける説得行為についての理想型はわからない、というのがご発言の主旨となりますでしょうか。大変申し訳ありませんが、私の理解が不足している点について補足を頂けますと助かります。--Husa会話2016年11月12日 (土) 10:07 (UTC)[返信]
返信 「カウンセリング」の話の詳細に過度に拘る必要はありません。本質/要点だけに着目してください。ここでの要点は、「ジャムパンナさんに問題が全くなく、世界最狂の魔法使いCray-G様ばかりに問題があったような論調は正しいのか」「ジャム・パンナ様を消耗させたという件について、バイアスがかかり過ぎてはいないか」です。
  • 私はたまたま「カウンセリング」という単語を出しましたけれど、それだけを過度に取り上げないでください。相手が聞く気になっていないのにこちらの主張をぶつけるのが「下策」であり、まずは相手が聴く気になるようにすること・そのために何かを共有することが「カウンセリング的な手法」という感じです。世界最狂の魔法使いCray-Gさんがカウンセリングの知識を有しているかどうかは私は知りませんし、また彼がカウンセリングの手法を使うぜ、といって動いたのかも知りません。ポイントは、金融の専門家さんが話を聴く気になっていないのに、批判を続けても望ましい成果は得られ難いかもしれない、だからアプローチを変える必要があった、という点にあります。
  • Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家を見てみましょう。実際のところ、魔法使いさんは、確かに順序としては「あなたには3つの問題がある」といってはじめていますが、そこで指摘した「問題」は、金融の専門家さんがそれまでジャムパンナさんと対立してきた事柄からしばらく遠ざかって、一時的に目先を変えることに成功していたように見えます。
  • 金融の専門家さんは「依頼者が一方的で主観的な主張をする」と主張していたのに、魔法使いさんの指摘に対して「ご見解を頂ければ幸い」「せっかくの機会なので、ここでWikipediaでの議論作法をもっと良く学びたい」と、相手の話を聞く姿勢を見せました。目的は、金融の専門家さんに「話を聞いてもらう」「一歩引いた目線で冷静に考えてもらう」ことにあります。カウンセリングで相手に同調してみせるという手法が使われるのも、そのためです。結果としてその目的が実現できたならば、「同調してみせる」ことよりも先に「あなたには問題が3つある」と言ってみせたっていいのですよ。
  • そして魔法使いさんは、まず「相手の話を聞く姿勢を見せてくれたことに感謝します」と、最初の合意に至ったことを確認し、敬意を払っています。こうした丁寧な手続きを積み重ねることで、ゆっくり話をして理解に至る土壌をつくっているのです。ジャムパンナさんも、魔法使いさんの対話について「丁寧なご説明」「懐の深いフォロー」と評しています。
  • 少なくともこの時点では、金融の専門家さんはこう述べています。[4]
    • 非常に端的で、明確なご教示有難うございます。大変良くわかりました。
    • 今後は言動を改めます。
  • この直後に魔法使いさんが表明しているように、金融の専門家さんのこのコメントを額面通り100%真に受けて、全く問題がない状況になったと考えるのは楽天すぎで、「最初の一歩」ぐらいの評価は妥当でしょう。まあ、ここいらあたりまでは、それなりにうまくいっていた(ようにみえた)のではないでしょうか。
  • しかしながら、こうした対話の真っ最中に(9月13日頃)、ノート:ヘッジファンドでも進展が有り、ジャムパンナさんは「依頼者」として数時間のあいだに盛んに発言をし[5],[6],[7],[8]、不快だと言い、席を立ってしまわれました。この一連の発言の数時間前に、謝罪があり、それを受け入れた、それから半日かそこらの出来事です。それほど深く不快な思いをしたのだ、という見方もあるでしょう。一方で、ちょっと性急すぎる、という感想を持つ方もいるのでは?そこらへんを含めて、「隙」とか「ミス」というぐらいの批判を受けるのは仕方がない立ち振る舞いだったとは思います。ジャムパンナさんのためにいいますが、私がいまさらこんなことをほじくり返すのは、ジャムパンナさんを追撃したいわけではないです。私も、議論の当事者になって立腹したこともあり、そのせい(だけじゃないですが)で1年ぐらい休んだこともあります。後から思えばそれはやっぱり失敗だったと思いますが、その真っ最中にはなかなか難しい。当事者としてはそういう心の動きは理解できるのですが、他の人から見れば、それはやっぱりミスなのです。
  • 要は、ここらへんのジャムパンナさんの言動を見ると、「ジャムパンナさんは、1つも落ち度がないのに一方的な被害を受けた完全な犠牲者だ」とまで見てしまうのはいくらか行き過ぎだろう、という話です。交通事故でいうところの、9対1でも8対2でもいいんですが、10対0ではないんじゃないか、という話です。Assemblykinematicsさんはそこらへんを「隙」と表現なさいました。私の受け取り方では、「隙」という表現は、「ひどく悪質な行為」ではなく、「ちょっとしたミス」というような意味合いをもちます。(Assemblykinematicsさんは、これらの話の前の段階での「ミス」に言及なさっていますけれど、そういう個別具体的な事例を総合して抽象化すると、「ジャムパンナさんにもいくらかミスはあった」「100%純粋な被害者とみるのは少しバイアスがかかりすぎではないか」という話になるのです。)
  • トータルで見れば、金融の専門家さんの側に大きな問題があるという点でコミュニティの見解は一致していますし、(あとからみて)私もそう思います。しかしそれでも、ジャムパンナさんの対応も、文句なしの最高というわけではなかっただろう、という話です。繰り返しますが、自分自身が当事者となってトラブルに巻き込まれた時に、「文句なしの最高」の対応をするのは難しいでしょう。それはしかたがないです。なのでそういう場合には、第三者に任せて自分は何もしない、頭にきたら何もしない、というのが結果的によかったりするのですが、まあそれも難しいですよね。--柒月例祭会話2016年11月13日 (日) 14:41 (UTC)[返信]

返信 (ジャム・パンナ様宛) 出典が足りなくて特筆性の判断ができない、ということであれば、特筆性に関する引数を加えるべきではなかったのではないでしょうか。あの時の編集の要約欄には「(特筆性不明、受賞歴から受賞歴以外のものを削除)」とあり、受賞実績をご覧になっていたはずです。世界グローバルリーダー選出がWikipedia:独立記事作成の目安Wikipedia:特筆性 (人物)を満たさないという見解であれば話は別ですが、世界経済フォーラムには内部リンクも貼られており、そこにはヤンググローバールリーダーの記述もあるため、ある程度の検証はできたのではないかと思った次第です……(> <")。

なお今ではご存知かもしれませんが、週刊東洋経済など信頼性に乏しい文献を出典にするには、存命人物の伝記かそれ以外の記事か、肯定的な記述か否定的な記述か、で判断が分かれます。Wikipedia:存命人物の伝記には、

存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。 これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。

と書かれていますし、ノート:高岡壮一郎こちらの書き込みでは

存命人物に関する記述はWP:BLPに従う限り、「厳密に高い正確性を以て記述されてなければならないこと」から、「記述に関する論争があるのなら、それが合意に至るまで抹消除去されていること(WP:BLPSTYLE)」が必須です。これが理解できない編集者は存命人物の記事に関わってはいけません。

とまで言われています。ある管理者の方の利用者ページには

編集に対する信条として、個人、組織を問わず記述対象にとってネガティブな情報を記述する場合は、客観的に検証可能な情報を充分慎重に判断するべきであり、名誉毀損の可能性がある記述は努めて戒めなければならない、と考えております。

と書かれています。記事「小保方晴子」(履歴]、ノート過去ログ関連する会話ページ)に携わったものとしては、特に気になってしまった次第です……。

また、世界最狂の魔法使いCray-G様は、Wikipedia:善意にとるWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないに縛られて、なかなかうまく動けなかったように見受けられます。加えて想像した以上に金融の専門家氏が始末に負えなかったことも大きいと考えます。何はともあれ、編集活動を再開されたようで喜ばしい限りです。僭越ながら、本件については少しクールダウンされて静観されてみては……と思う次第ですm(_ _)m。--Assemblykinematics会話2016年11月13日 (日) 08:13 (UTC)[返信]

返信 (Assemblykinematics様宛) 要出典範囲がついていたところは、わたしが書いたものではなくて、元々あった宣伝的記述の箇所です。金融の専門家氏か他の靴下か忘れましたが、出典は外部リンクだと言っていたことがあったので、あの人(たち?)は外部リンクが出典のつもりだったのかもしれないですが、外部リンクと出典は別です。すでにない外部リンクが特筆性を担保していたと言われたら、わたしも悪いですが、出典として形式を守ってくれていれば、削除しませんでしたし、ああいう判断はしなかった申し上げるしかないです。Assemblykinematics様がわたしがはるみエリー様のソックパペットだと履歴から疑うほどには、靴下がいじくった記事はたくさんあり、靴下とのやり取りから、普段より注意深く作業できていなかったことは認めます。人間はそれぞれバラバラで、能力的にも体力的にも時間的にも精神的にも、わたしはわたしの精一杯のことしかできず、試行錯誤して学び続けることしかできません。ご指摘の点は今後に生かします。もしこれ以上の私自身に苦言がおありなら、本筋からはずれるのでわたしのノートにお願いできますか?出典については、当時よりは理解は深まってると思います。
世界最狂の魔法使いCray-G様についての見解は人それぞれで、Assemblykinematics様の想像も当たっているかもしれませんね。ご本人の言葉ではないので、何とも言えません。わたしが言った言葉はわたしから見えたもの、わたしが感じたことに過ぎないですし、人間は自分自身の視点から逃れることはできません。ある状況はその時その場にしかなく、ある人がその時感じるものや負担はその人にしかわからず、その状況でそれがベストだったか、これ以上は無理だったか、どれだけがんばっていたか、なにが見えていたか、なにを思っていたか、判断するのは難しいことです。今度同じようなことがあった時は、その時その場に飛び込んで、燃える炎の中で活動してみてください。きっと普段と違うものが見えると思います。わたしは二度とごめんですが(苦笑)今回の件で言いたいことは現時点ではないので、皆さまのご対応を静観するつもりです。どうもありがとうございました。--ジャム・パンナ会話2016年11月13日 (日) 12:51 (UTC)[返信]

コメント ジャム・パンナ氏にはWikipediaの方針・ガイドラインを逸脱するほど大きな問題はなかったと考えております。したがって、コメント依頼において議論する必要性は把握しておりません。それに対し、金融の専門家氏の編集内容は複数の方針に反しており、さらに「アンチ・ユーザ」と呼ぶのはWikipedia:個人攻撃はしないに反する行為であるため金融の専門家氏に問題があると考えます。ジャム・パンナ氏の発言、JapaneseA氏の発言、はるみエリー氏の発言に加え、Type casketos 氏による発言[9]により、(柒月例祭氏の言葉をお借りしますと)被依頼者による「ルールを示していきなり説得に入る」行為、または「ジャムパンナさんと対立してきた事柄からしばらく遠ざかって、一時的に目先を変える」行為等については、コミュニティを消耗させる行為であったと判断しています。ジャム・パンナ氏だけではなくType casketos 氏も被依頼者の行為により多大な消耗を負い、Type casketos 氏がWikipediaを引退されてしまう結果となってしまわれたことは非常に残念でなりません[10]。Type casketos 氏は、JapaneseA氏の対処[11]、Assemblykinematics氏の対処[12]、はるみエリー氏の対処[13]、ジャム・パンナ氏への対処[14]については問題どころか感謝を伝えています。ただ一人、被依頼者にだけは「>(私を含む)他者の見解を軽視・無視し、到底成功する見込みがない(と私には思われる)作戦を独断で計画・実行し(→ 私は時間を浪費する羽目になった)、失敗した時点で問題の責任を取ろうとしなかった被依頼者に対し、私は深く失望しております。」と発言しておられます[15]。したがって、被依頼者以外の議論に参加された方の議論姿勢については大きな問題は把握できず、このコメント依頼を利用して議論する必要はないと考えます。被依頼者の行為が発端となり、コミュニティの消耗が発生していることが関係各位の証言で疑いの余地はないと考えられる状況となっているにもかかわらず、被依頼者の説得手法に賛意を示すことはできませんし、今後も被依頼者のような説得方法をWikipediaで行うことには強く反対いたします。現在は、被依頼者が今後も議論に介入し続けるつもりなのかどうか、等について、被依頼者の言及を待っている段階と捉えております。--Husa会話2016年11月14日 (月) 07:39 (UTC)[返信]

たとえ話の長所・短所[編集]

本コメント依頼の表ページで、金出武雄先生の見解について紹介させていただきましたが、少し補足しておきたいと思います。

  • 金出武雄『素人のように考え、玄人として実行する ―問題解決のメタ技術―』、PHP研究所、2006年4月。ISBN 4-569-6247-X。

の「33. たとえと例は違う」、196-200頁(2004年2月2日発行第1版第4刷)。には、

「たとえ」は問題解決の過程で、それなりに役に立つことがある。問題そのものや、解法を何かにたとえることで、元の世界での思考が進まない時に、たとえの世界で成り立つことが元の世界では成り立つのだろうかと、飛躍して考えることができるからである。

とその意義を示しながらも、

  • たとえの世界で成り立つことが、元の世界でも本当かどうかは元の世界の論理で証明する必要がある。
  • たとえの世界での事実を使って自分の考えの正しさを説得しようとするのは間違いである。

と戒めています。また、

「人のように」と、人間をたとえに使った時にこの間違いをよく犯す。われわれはそういう論法に注意しなければならない。「人はすばらしい」という思い込みを利用しているからである。

という例を指摘しています。

やはり提示した「たとえ」に対してイメージするものが人によって違うため、必ずしも意図したようなことを考えてもらえるとは限りません。また、現実世界で自分も気を付けないといけないと思っているのですが、「たとえ」の雰囲気に発言者自身も流されてしまい、いわゆる「言語明瞭、意味不明瞭」な発言になってしまうことがあります。

世界最狂の魔法使いCray-G様に限らず有益かと思い、紹介させていただいた次第です……m(_ _)m。なお、前述の本は文庫版に加え、

という改題版も出ているようです。--Assemblykinematics会話2016年11月12日 (土) 01:45 (UTC)[返信]

  • コメント「比喩はやめてくれ」と主張している人がいることは認めます。その理由が「冗長になるから嫌だ」という感覚はある程度わかります。
  • しかし、「たとえ」は、「喩え」ではなく「例え」であり、「比喩」というよりは「具体例」「実例」とみるべき場合もあります。
  • 普通は「カモシカのような足」と言ったら「毛むくじゃらだね」という趣旨では用いませんが、受け手が「毛むくじゃらだ」という意味で言われた、と受け取ってしまったら、その比喩の使用は失敗です。「美しい」の意味で言ったのに、「カモシカの脚って美しくないよね」と言われたら、やっぱり失敗です。Assemblykinematicsさんの指摘はこういう場合でしょう。
  • しかしここで上げた「カモシカのような足」の話は、「具体例」です。「比喩と例示は違う」という抽象的・一般的な表現では意味が通じにくかったり、「そもそも『例示』の定義とはなんぞや」みたいに抽象的な概念に関する共通理解がない場合には、余計に話がややこしくなったりしますので、具体例を出しちゃったほうが話が早いというのもあります。もしも具体例が不必要だと言ってしまうならば、上でのAssemblykinematicsさんの「人のように」の引用部分そのものが不必要で不適切だということになりますよね。「たとえの世界で成り立つことが、元の世界でも本当かどうかは元の世界の論理で証明する必要がある。」だけで済ませてしまえばいいのですが、それだとちょっと意味が通じにくいぞというわけで「人のように」の「例」を出しているわけで。
  • 現実の諸問題は、常に個別具体的な事例として出現します。それらを一般化して抽象的な議論を行うことも可能ですが、一般論と具体例を比較すると、一般論からはみ出してしまう特殊事例、例外事項、みたいなものは常にあります。社会学なんかのあらゆる領域で、まずはこの「ほにゃらら社会学」の対象となる「ほにゃらら」について定義しようと思うが、その定義については諸々の学説が有り・・・みたいに、一般化して話そうと思うと出だしで躓いて先へ進めない、みたいなことは往々にして起きます。そこを問題にしたい場合にはそれでもいいのですが、個別具体的な事例に直面している場合には、定義論からやりはじめるのは勘弁ということもあります。
  • 議論の当事者のあいだで、「細かいことは置いといて、大雑把な一般論だけに絞って話をしようぜ」というルールが共有化されている場合には、抽象的な議論でどんどん話を進めることも可能でしょう。しかし「『議論』とはディベートのことだから勝ち負けだ」という人と「『議論』は共同作業だから勝ち負けじゃない」というような、抽象的な言葉のやりとりの中での一単語の解釈を巡っていちいちモメるような場合には、具体例で話しちゃったほうが早いということもあります。--柒月例祭会話2016年11月12日 (土) 02:19 (UTC)[返信]
返信 (㭍月例祭氏宛) 比喩をやめてほしいというコメントが多数見られる中で、主な理由を「冗長になるから嫌だ」と感覚的に主張している人は、どなたであるとお考えでしょうか。私の理解では、やめてほしいという理由は、感覚的な主張というわけではないと考えております。
>やはり提示した「たとえ」に対してイメージするものが人によって違うため、必ずしも意図したようなことを考えてもらえるとは限りません。また、現実世界で自分も気を付けないといけないと思っているのですが、「たとえ」の雰囲気に発言者自身も流されてしまい、いわゆる「言語明瞭、意味不明瞭」な発言になってしまうことがあります。
上記のAssemblykinematics氏による指摘を㭍月例祭氏は見落としておられませんでしょうか。--Husa会話2016年11月12日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
コメント 㭍月例祭様、Husa様、いろいろコメントいただき、ありがとうございます。
最初に「「たとえ」は問題解決の過程で、それなりに役に立つことがある。」を挙げさせていただいたように、たとえを全否定しているわけではありません。論争相手が2-3人で、その背景や人柄が分かっている場合、その人らの常識としてたとえた対象の認識が一致している場合は、効果的に働くと思います。
また、「人のように」の部分を挙げるのは自分も躊躇したのですが、そのあとの自分の文章「やはり提示した「たとえ」に対してイメージするものが人によって違うため、必ずしも意図したようなことを考えてもらえるとは限りません。」を補強するために「思い込みを利用しているからである。」の文を提示しておきたかったということがあります。
あと上で金出先生の文章を引用させていただいた意図として、利用者ページによると被依頼者はプログラマーとのことでしたので、その道の権威の見解であれば興味を持っていただき、改善に向けた発言や行動に向かってくれるのではないかと期待したからです。権威主義的と不快感を示す方もいらっしゃるかもしれませんが、世界最狂のCray-G様の琴線に響いてくれたら……と願う次第ですm(_ _)m。--Assemblykinematics会話2016年11月13日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
返信 そうですね。Assemblykinematicsさんがおっしゃっていることと、私が申していることと、本質的にはそう変わらないと思いますよ。単に、順序が違うだけです。
  • 「比喩」を使っても、各人の知見や経験が異なるために、その比喩に用いられた概念から受け取る印象に齟齬が生じて、かえって不必要な誤解を招く。そういうことはあるでしょう。
  • しかし抽象的な議論でもそれは同じことです。現に、このページのうえのほうで、「議論」という言葉の解釈を巡って行き違いが生じていますよね。抽象的な言葉を使っての議論の場合でも、言葉の定義や解釈を共有していなければ、その行き違いが顕在化しないまま話が進み、話が噛み合わないということが生じます。
  • なので、「具体例」を示すのです。具体例をみせることで、抽象的な言葉をどういう意味で用いているのか、お互いに確認するのです。あれ?ふたりとも「赤でいいよね」って言ったけれど、あなたが言ってるのそれ朱色じゃん、いやいや、あなたこそそれは緋色でしょ。ということが、具体例を確認しあうことで発見できるのです。
  • いずれにせよ、建設的な議論で必要なのは、この事柄についてはこれでいいですか、いいですよ、とお互いに確認しながら進めることです。お互いの承認をしないままに、こうだ、だからこうだ、ということはこうだ!と言っても、そもそも出発点から認識が共有できてなければ、一人だけ先へ進んでいるようで、もう一方は最初のところから全く進んでいないということが起きます。
  • そして、「比喩」にせよ「具体例」にせよ、使うことで余計にややこしくなる場合というのは、相手方が議論の本質に専心しない場合です。比喩や具体例は、あくまでも抽象議論の本質を具象化しただけにすぎません。それらの例から本質を見抜いて話を進める必要があるのに、その比喩や具体例の枝葉だけを切り取って、ここがおかしい!この人こんなこといいました!と針小棒大に騒ぎ立てるような振る舞いをする方がいるとしたら、どんどん議論があさっての方角に行ってしまいます。--柒月例祭会話2016年11月13日 (日) 13:17 (UTC)[返信]
返信 (㭍月例祭氏宛)
>「比喩」にせよ「具体例」にせよ、使うことで余計にややこしくなる場合というのは、相手方が議論の本質に専心しない場合です
上記の柒月例祭氏の見解については、はっきりと異論をお伝えします。「比喩」や「具体例」を使うことで余計にややこしくなるのは「相手方が議論の本質に専心しない場合」であるとは言えません。人によって解釈に行き違いが生じるとか難解であるとかいう比喩をわざわざ持ち出す側に問題が存在する、と考えています。その場合、相手側が不適切であるとか理解できないとか指摘するのは、議論の本質に専心していないためであるとは限りません。人によって解釈が分かれる比喩を放置することにより、確実に議論があさっての方角に向かう可能性もあるため、話題にせざるをえない場合もあると考えます。その場合、不適切だと指摘した相手側についても、「そこまで不適切ではない」とか「たしかに不適切だ」などと意見が分かれる可能性が考えられますが、それはまさに、持ち出した比喩が上手ではなかったということを示していると考えます。わかりやすく誇張した表現を使いますと、比喩や具体例を出してややこしくなった場合は、相手側は一方的に比喩の解釈を迫られて、議論の本質に専心できなくさせられた被害者と考えるほうが妥当な場合も存在すると考えます。
議論姿勢についてですが、柒月例祭氏は、「「これは誰々の見解である」と主体的に記述するようにお願いします。」と提案されているにもかかわらず、「「比喩」にせよ「具体例」にせよ、使うことで余計にややこしくなる場合というのは、相手方が議論の本質に専心しない場合です」と、自分自身の意見をまるで事実であるとも読めるように宣言されています。自分自身の意見の語尾が断定型になってしまうことはよくあることですが、たいてい読めば意見だとわかるので、私は普段はそこまで表現方法に細かくこだわるほうではありません。しかし、柒月例祭氏は自ら表現方法の提案をし[16]、自らその提案を破ったと受け取れる発言をされています[17]。他利用者に対し「議論姿勢をこのように改めてほしい」という要望発言をされる場合には、まず最低限自分だけは遵守されるべきではありませんでしょうか。また、他者からの指摘を改善するという姿勢を初めに示されてから、次ぎに控えめに要望をするという順序が望ましいと考えます。
このコメント依頼において、比喩や長文等をやめてほしいというコメントが複数見られる理由について、被依頼者と柒月例祭氏は、まだ理解されておられないと考えております。--Husa会話2016年11月13日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
返信 わざと意地悪な揚げ足取りをするのですが、Husaさんのおっしゃる
  • 「確実に・・・向かう可能性もあるため、・・・場合もある」
  • 「妥当な場合も存在する」
こうした言い回しは、「確実に向かわない可能性もある」「妥当じゃない場合もある」ことを暗にお認めになっています。1つの事柄/発言について、双方で解釈が異なる場合がある。それはそうですよね。私の見方では、そういう解釈のズレを確認しあうために「具体例」を出すのです。抽象論では意見が一致したようにみえて、具体例では意見が合わないことが確認できれば、具体例を例示する意義はあります。--柒月例祭会話2016年11月13日 (日) 14:57 (UTC)[返信]

  • やめましょう。「・・・場合もある」という表現からは、Husaさんも、ときには「比喩」「例示」が効果的になりうる、ということはお認めになるわけですよね?効果的なこともあれば、邪魔なこともある。私としても、「比喩」「例示」は絶対必要だ、一切問題ない、と主張するわけでもありません。いずれにせよ、コメント依頼のメインテーマからそれてここで「比喩とは」「例示とは」と長々やるのが一番邪魔だとは思います。ここでのこの話は、私からはこれぐらいにしておきます。--柒月例祭会話2016年11月13日 (日) 15:19 (UTC)[返信]
コメントを書き終えていましたが、やめましょうというご提案を受け、そのコメントを掲載することをこちらもやめることにします。一点だけ述べますと、比喩と具体例は明確に異なる概念であると考えていますが、柒月例祭氏は多少、比喩と具体例を同じであるかのように扱われているため議論に食い違いが起きていると考えます。一般的に具体例を挙げることは推奨されていますが、このコメント依頼では比喩をやめてほしいというコメントが多数派であると考えています。その二つを同じように扱われますと、議論に混乱が生じる恐れがあります。--Husa会話2016年11月13日 (日) 16:07 (UTC)[返信]
既に打ち切りになってて野暮は承知で1つこのやり取りの私見を述べたいと思うのですが、
「比喩をやめてほしいというコメントが多数派である」と言うのが1つの前提となってますが、そもそも今回の論争のある主テーマの1つでもある「比喩」という言葉の意味合いが広すぎるように思います。計算機科学者の新書を持ち出すまでもなく、それこそアリストテレスからこっち、弁論や議論における比喩の用い方、妥当性なんていくらでも論じられているわけですが、こういうのはあくまで「例証における比喩」のことを指します。ところが明らかに今回の議論は、そういった観点における「比喩」のみではないです。例えばこのページの方で、ちょうど批難の急先鋒であるはるみエリー氏が3つ挙げられてますが、
まず「腹切り」。これは一般に「慣用表現」と呼ばれるものです。ここで死者扱いするのは不適当などという批難は一般には言いがかりとか、論点ずらしと言います。「犬死に」という言葉を使ったら動物愛護家が不謹慎だと言ってるようなもんです。
次の「結婚式のケーキカット」。これは一般に議論における比喩の妥当性として論じられる類型の比喩です。
最後の「人類数千年の歴史~」。これは比喩ではありますが、「例証の比喩」ではなくて、単なる文書表現における誇張法の類です。「人生はドラマだ」って文言に、ドラマの定義を真面目に論じると馬鹿馬鹿しいように、ここで共産主義の定義を真面目に論じる必要など端からないです。
3つ上がってる内に一般に(それこそ古代から)議論において問題として論じられる比喩が1つしか無いというのは、今回において「比喩」というものを論じる上でまず認識しておいた方がいいです。「腹切り」は論外として、「人類数千年の歴史~」は「例証の比喩」の観点で論じられないものとしても、大言壮語という問題があり、Husa氏は切り捨てられましたがこれを指して「冗長になるから嫌だ」と言ってる人がいると考えるのは妥当かと存じます。㭍月例祭氏は、表で「腹切り」と「共産主義」について述べてるので意識せず、そっちに軸足があるのだと思うし、Husa氏は「例証の比喩」のことしか言ってないから、当然噛み合わない。
いずれにしても、修辞技法、弁論術は長い歴史がありますし、一口に比喩と言っても色々ありますので、たかが新書(たとえ京都大の権威ある教授としても)の1、2文で0か1みたいな議論はして欲しくないなと思って、野暮と思いつつコメントいたします。--EULE会話2016年11月15日 (火) 14:47 (UTC)[返信]

多重アカウント使用もしくは荒らしの疑い[編集]

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんと利用者:CCRotus会話 / 投稿記録 / 記録(IP:111.87.58.182会話 / 投稿記録)さんについて、Wikipedia:多重アカウント#副アカウントの不適切な使用(多重アカウント使用が禁止される行為)の疑い、もしくは荒らしによる議論攪乱の疑いを感じます。最も大きな理由は、利用者:CCRotus会話 / 投稿記録 / 記録さんが利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録さん本人が書かれるような稚拙な日本語を使用されていることと、世界最狂の魔法使いCray-Gさんしかすぐにわからないような古い議論の内容を、あえて話題に出されてることなどです。

利用者:CCRotus会話 / 投稿記録 / 記録(IP:111.87.58.182会話 / 投稿記録)さんの稚拙な文章を見て、利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さん以外にここまで読解が難解な日本語を書かれる人はいないだろう、多重アカウントかなと思ったりもしますが、議論攪乱目的の愉快犯荒らしによる世界最狂の魔法使いCray-Gさんの模倣である可能性も捨てきれません。言ってる内容からしても滅茶苦茶な内容も含まれてますし荒らしや目的外利用者の疑いもあるため、利用者:CCRotus会話 / 投稿記録 / 記録(IP:111.87.58.182会話 / 投稿記録)さんの存在を考慮すべきではないでしょう。--ぽてから会話2016年11月21日 (月) 16:37 (UTC)[返信]

CCRotusさんの主張について[編集]

しかし、それは被依頼者が誤った行動を取った結果ではなく、これまでのWikipedia日本語版での「マズい言動や行動をしている利用者に対する対処方法」が稚拙であるがために起こる違和感です。どこだったか忘れましたが、被依頼者と誰かの会話の中で「Wikipedia日本語版での議論においては、わざわざ相手を怒り狂わせることを言っておいてコメント依頼だのブロック依頼だのを連発する」という議論手法への問題意識の表明がありました。私はこの意見は非常に的を射てると思っていますが、事実、金融の専門家氏との対話においても同様の手法が取られようとしていました。この手法はWikipediaの理念と一致していませんが、Wikipedia日本語版ではよく見られる光景です。その状況に対して、被依頼者が何とか「相手との合意を取るためにやろうとした行動」としては、あのやり取りは決して悪いものではなかったと思います。(もちろん上記の金融の専門家氏以外への配慮という課題はあったにせよ)--111.87.58.182 2016年11月18日 (金) 04:42 (UTC)

非常に稚拙な文章でしっかり理解するためには、いったいこの日本語が何を指しているのかという通訳・さらなる詳細な説明を必要とするレベルでしょう。ひとことで言うと、世界最狂の魔法使いCray-Gさんと同じくらいの稚拙さを有する日本語レベルだと思いました。なにやら、被依頼者が悪いのではなく、Wikipedia日本語版の対処方法が悪いんだ、と言ってるようにも聞こえます。しかし、Wikipedia日本語版が対処してくれることなどありえないので、なんのことかよくわかりません。なにか、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの昔の議論の話を持ち出されているので、過去の議論を探しましたが見つかりません。あたかも世界最狂の魔法使いCray-Gさん本人がCCRotusさんとなって同一人物が言っているようにも見えますが、過去の議論の話が虚偽の可能性もありますし、決め手には欠けます。CCRotusさんが世界最狂の魔法使いCray-Gさんの多重アカウントに見えるという見かけを利用し、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの多重アカウントのふりをした愉快犯荒らしの可能性も否定できず、結局は、本人であるか荒らしであるか断定するのは困難だと思います。議論攪乱の可能性が捨てきれないので、CCRotusさんによるコメントは考慮せずに議論を進めたほうが良いでしょう。

被依頼者はよく「会話に要するコストが高い」と言われることのある利用者ですが、それについても「訳の分からん主張をしている相手」と合意を取るには、ある程度の長文、例え、その相手特有の言い回しが必要となるのは当然ですし、コストにしても被依頼者よりも、その相手である「訳の分からん主張をしている相手」のほうがよほどコストが高いのです。--111.87.58.182 2016年11月18日 (金) 04:42 (UTC)

上記についても矛盾しています。金融の専門家はたんに宣伝したいだけという意図が明確で「訳の分からん主張をしている」わけでもありません。ジャム・パンナさんも訳の分からん主張をされていません。被依頼者以上に訳の分からない、というか読解が難解な日本語の方はまれであり、現実にありえない話をしている上、日本語が稚拙なのでますますなにを言っておられるのか、よくわかりません。(被依頼者が相手をした「訳の分からん主張をしている相手」という人が、なんの話なのかわかりません)

依頼者のコメントの中で「被依頼者だけではなく相手側にも問題がある」となったりして、逆に、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの問題の本質が隠れてしまう」とコメントがありますが、問題の本質はむしろ逆側にあり、隠れているのは「ここは被依頼者のコメント依頼なのだから相手の行動は大きく扱わないという通例によって触れられることの少ない逆側の問題点である」るという意見もあるというのはハッキリ表明しておきますし、相手側の問題はこのコメント依頼の中で重要な問題であるという点は指摘しておきます。--111.87.58.182 2016年11月18日 (金) 04:42 (UTC)

きちんとノートでジャム・パンナさんに問題点があったかどうかも議論がされていますから、上記にある「ここは被依頼者のコメント依頼なのだから相手の行動は大きく扱わないという通例」等については虚偽です。

いやはや。そこに「自演乙」と書き込む辺りが、Cray-Gさんの性癖ですねぇ(笑)私はそういうの大好きですが、そういうとこですよそういうとこ!!--CCRotus会話) 2016年11月19日 (土) 06:39 (UTC)

上記発言からは、昔から世界最狂の魔法使いCray-Gさんと議論を交わしている人であるように感じましたが、探しても111.87.58.182さんに該当する人は見つかりません。これは、本人が言ってるか、もしくは本人が言ってると思わせる議論攪乱荒らしである可能性が考えられるんじゃないでしょうか。

返信 (111.87.58.182氏宛) 自演乙 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)

(上記引用に関連して)世界最狂の魔法使いCray-Gさんによる「自演乙」というおふざけについても、こんなおふざけは除去し、もっと読む人が理解出来るようにまともな推敲に全力を尽くされてはとは思いますけど。コメントしている我々をバカにされてるのでしょうか?とも言いたくなりますが、こうやって、相手を疲弊させることが目的なんでしょうかね、と思われかねませんよね。

対話もまともに行わず、論点もまともに分析できず、Wikipediaの理念も方針も理解せず、個々の主張とコミュニティの総意の区別も出来ない状態で「被依頼者には大きな問題があった」とする結論を導き出そうとする対話姿勢には断固抗議しておきます。--CCRotus会話) 2016年11月19日 (土) 06:39 (UTC)

結論はこう言いたいようですが、被依頼者以外のこのコメント依頼参加者の中に「Wikipediaの理念も方針も理解せず」という人はいないので、CCRotusさんが主張する対話姿勢はこのコメント依頼では発生していません。しいていえば、金融の専門家さんだけが、「Wikipediaの理念も方針も理解せず」という人だったと言えるでしょう。なので、しっかり読んだとしても、CCRotusさんが抗議する相手が存在せず、存在しない対話姿勢に関するCCRotusさんの抗議を考慮する必要はないということになります。

いきなりこのコメント依頼のみに出てこられて言ってることも滅茶苦茶だったりして世界最狂の魔法使いCray-Gさんの擁護を始める以外の活動はなし、ということであれば、目的外利用者と思われる場合もあるでしょう。過去の議論の話も全く見つからないのでいろいろ虚偽の可能性もあります。また、議論攪乱が目的であった場合、滅茶苦茶なことを言ってるこの人物と対話を始めることで荒らしが目的を達成するという事が起こり得ると言えるでしょう。ちなみに、こういう目的外利用者がすでに出現してますし、CCRotusさんが何者かなどを追求するようなこともせず、考慮しないで議論を継続することが望ましいでしょう。--ぽてから会話2016年11月21日 (月) 16:37 (UTC)[返信]

コメント 単刀直入に申し上げますが、このような発言をして大丈夫なんでしょうか? 一般的に、多重アカウント(または荒らし)の疑いをかけるというのはかなり失礼なことで、かなりの慎重さを要するはずです。ぽてからさんだって、段階を踏まずにいきなり、あなたに多重アカウントの疑いがあります、と言われたら失礼だと思いますよね。わたしが慎重さを欠いていると思うのは「世界最狂の魔法使いCray-Gさんと同じくらいの稚拙さを有する日本語レベルだと思いました」という発言です。稚拙、と連呼していることも問題があると考えます。また、仮にそのような疑いがあるとすれば、まずMaddestmagicianさんやCCRotusさんの会話ページに質問に行くなり、あるいは、確信に強い疑いがあるならば、Wikipedia:管理者伝言板へ報告するべきでしょう。それが踏むべき手順というものではないですか? 少なくとも、疑いの初手として、ここにこのような文言を書くことには、大いに疑問があります。解決を導くものではないからです。--Aoioui. 2016年11月21日 (月) 19:47 (UTC)ぽてからさんから要請があり、また訂正しても文意が変わらないため、「日本語レベルだ」を「日本語レベルだと思いました」に訂正しました。--Aoioui. 2016年11月22日 (火) 04:17 (UTC)[返信]
一般的に、疑いがあっても断定は滅茶苦茶難しいものですが、これではグレーだと疑いをかけられても仕方ない状況だと判断します。疑いの詳細についてはすでに述べてます。「世界最狂の魔法使いCray-Gさんと同じくらいの稚拙さを有する日本語レベルだと思いました」と感想を述べていることを、勝手に「思いました」を取って揚げ足を取りされるような発言はお控えください。CCRotusさんの書いてるコメントが意味がわからなく「稚拙」だと思った理由も書いてあります。なお、世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントを「稚拙」と表現したことについて、大丈夫もなにも、本当に稚拙なのだからしかたありません。納得されないということであれば、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの稚拙な文章を以下に引用して、日本語として?文法上?意味が理解出来ないことを説明するまでですが、そこまでしろということですかね? むしろ、もっと推敲してから投稿するように世界最狂の魔法使いCray-Gさんに言うべきであって、稚拙だとありのままの感想を言った人を責めるほうが間違ってますよ。正しい日本語でないために意味がわからないものはどうしたってわかりません! わからないほうが悪いわけではなく推敲してない人の責任でしょう。世界最狂の魔法使いCray-Gさんは自分が忙しいようなことを言ってますが、こっちだってみんなそれぞれ忙しいのに、簡潔でわかりやすくする努力が見えないじゃないですか。長文はやめたほうがいいと散々言われているのに、「自演乙」とかよく意味のわからないおふざけをわざわざ書かれるような行動を取られていることも、一体なんのつもりなんでしょうかね。長文に日本語として滅茶苦茶なことを紛れ込ませて読む人を疲れさせて遊んでいるのか、と思う人もいるかもしれませんよ、「自演乙」とかなんとか書いてるようでは。「自演乙」を削るとか少しでも短くしようという努力もされないようでは、できるだけ短くしてほしいと言われてることをまったく聞いていないし改善しようとしていないと判断せざるをえませんね。結局、改善しようとしているのではなく、自分の言い分を思いついたまま全部思考過程を書いて自分がこう思っているというのをわからせようとしているだけであり、そういうのを「言い訳」と言いますよね。一生懸命「言い訳」を書いて自分が悪くないよ、と相手にわからせようと努力していることを、「改善」と表現されてるみたいですが、全然改善になってません。ジャム・パンナさんを悪く言ったことの謝罪もないですしね。あんな日本語として意味を理解できない、推敲もちゃんとしていない文章をのせるなんて、読む人を疲弊させるためなんじゃないかと思われてもしかたないでしょう。とくに私宛の返信はまったく意味がわかりませんでした。私は今おちょくられてるんですよ。真面目にここまで議論に参加してきた人ではなくおちょくってる世界最狂の魔法使いCray-Gさんに苦言を呈してください。なお、これ以上の二者の追求をするようなことはするつもりはありませんが、世界最狂の魔法使いCray-GさんとCCRotusさんで、「自演乙」などと言い合ってふざけて遊んでいるような状況で、CCRotusさんは虚偽を書いてますし、CCRotusさんの発言を考慮する必要が無いと思ったことは関連あると思ったのでここに書きました。世界最狂の魔法使いCray-Gさんに関連があると決めつけてはいないので審議の考慮にいれるつもりはありませんし、考慮すべきだとかは言ってません。CCRotusさんは問題があったとしても、真面目にコメントされてれば疑われる要素は減ったわけですし状況は変わっていたはずですがね。--ぽてから会話2016年11月21日 (月) 21:49 (UTC)[返信]
納得されないということであれば、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの稚拙な文章を以下に引用して、日本語として?文法上?意味が理解出来ないことを説明するまでですが、そこまでしろということですかね?
常識的に考えて、普通は「そこまで」した方が改善に寄与し易いだろうと判断すると思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 00:58 (UTC)[返信]
目を疑いました。常識的に考えて、「自分のせいでご迷惑をおかけし申し訳ございません」というのが普通です。常識的に考えて、相手を疲弊させるために説明が足りないと言いがかりを付けている、と思われかねません。
>「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」
常識的に考えて、なにをどう間違えてこんなことを書かれたのか理解出来る人はいません。日本語の文法的に大間違いです。被依頼者の「常識」は「非常識」なので、「常識的に考えて」などという言葉を使われることもなんの冗談なのかと思われかねません。表現力が常識的な人であれば言われなくても直せるほどの間違いだらけなので、言われる前に直すべきです。常識的に考えて、ジャム・パンナさんを悪く言ったことの謝罪もしないという時点で、改善していないと思えます。被依頼者が自力で文章を直せないということであれば、もう、通常のコミュニケーションをされるのは無理だと思います。--はるみエリー会話2016年11月22日 (火) 01:16 (UTC)[返信]
「自分のせいでご迷惑をおかけし申し訳ございません」というのが普通
どうしてそんなに上から目線なんですか?
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 01:40 (UTC)[返信]
>「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」
こんな意味不明なことを書いて読ませようとするなんて、迷惑をかけましたね。被依頼者のために、これだけ長々とコメント依頼をしています。さらに、被依頼者がきちんとした日本語を書いていないせいで、多くの人に迷惑がかかっています。私なんていつの間にか悪者扱いされて迷惑をかけられています。常識的に考えて、こういうときは「自分のせいでご迷惑をおかけし申し訳ございません」というのが普通です。常識がある人はそう思うと思います。常識がない人はそう思わないのかもしれませんね。わかりませんが。--はるみエリー会話2016年11月22日 (火) 01:48 (UTC)[返信]
常識がない人はそう思わないのかもしれませんね
出会い頭の軽微な過失ならともかく、「延々と不当な言い掛かりを付けて迷惑を掛けた上に一方的に色々と要求してくる相手の言うなりになって謝る」ような常識があるとは知りませんでした。ですがはるみエリー氏の常識ではそうなのかも知れません。
残念ですが当方は全うな日本語を書いているので、常識がある人は「何故に『きちんとした日本語を書いていない』と主張しているのだろうか」と不思議に思っていて、同時に「『きちんとした日本語を書いていない』との主張は何等かの個人的な利益を得る為に行なわれている不当な言い掛かりなのではないか」と疑っているだろう、と考えています。
常識であるか否かは、残念ながら議論では解決が出来ません。はるみエリー氏が希望するなら、Wikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票に移行して調査投票を行なう方法もあると思います。或いは(あまり分断させたくないのですが)投票の前段階として、合意形成の為のコメント依頼を行なう方法もあると考えます。
但し私の方から見ると、投票にせよその前のコメント依頼にせよ、はるみエリー氏等を「有足魚氏の言うところの)やり込め」る為のものになりますので、はるみエリー氏等はこれに強硬に反対しなければならないし強硬に反対するだろうと予想しています。即ち、「自分達の主張が不当な言い掛かりであることを明らかにする」ことに反対するだろう、と「私は」考えています。
金融の専門家氏にも言いましたが、常識はその帰属集団によって異なるものです。常識を振りかざせば、合意形成への道は覚束なくなるものです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 03:09 (UTC)[返信]
CCRotusさんのおっしゃった「『Wikipedia日本語版での議論においては、わざわざ相手を怒り狂わせることを言っておいてコメント依頼だのブロック依頼だのを連発する』という議論手法への問題意識の表明」、ぽてからさんのおっしゃる「過去の議論」の件ですが、[18] [19] ここらの被依頼者と利用者:いすかさんとの対話でしょうね。参考までに。--121.87.82.187 2016年11月22日 (火) 12:03 (UTC)[返信]
「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」

これについて、「全うな日本語を書いている」、「『きちんとした日本語を書いていない』との主張は何等かの個人的な利益を得る為に行なわれている不当な言い掛かりなのではないか」と疑っているだろう」(これも若干、日本語がおかしいですが)、と思っていることは理解しました。

「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」

しかし、これは、きちんとした日本語ではありません。しかし、それを指摘する人を「不当な言いがかり」だと主張されることは、まったく悪くない人に濡れ衣を着せるにも等しい不当な言いがかりであり、日本語版におけるコミュニケーションは不可能ということになります。--はるみエリー会話2016年11月22日 (火) 03:30 (UTC)[返信]

何処がどう「きちんとしていない」のかを説明しているなら、或いは説明するならば「不当な言い掛かり」だなどとは言いません。説明があれば、その誤解を解く為の対話を行なうなり、それにより私が理解すれば今後の改善に資することになるなり、事態が変化します。説明がなければお互いに「何を言っているんだこの人」と思ったまま、事態は変化しません。事態が変化しないということは改善もしないということです。改善しないということはつまりはるみエリー氏は改善に資する行動を執っていないわけですから、「改善すべし」との発言と行動とが合っていません。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 04:15 (UTC)[返信]

引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。 という言葉、そんなにおかしい言葉ですかね? 引っ掛かりを覚えるかも知れないと予測を行った箇所が3点ほどあります。という意味ですよね。 文脈みてもわかるのではと感じますが。 真摯に対話しているマジシャンさんに対して失礼ですよね。ブロックありき、結論有りきで対話行っているから、 ケチつけることができそうと感じた部分に噛み付いているんだと思います。 依頼者のぽてからさんと同様、すこし落ち着かれることを提案したいと思います。 明らかに「けんか腰」で相手にブロックを迫っていますよ。あなたたちは。 --202.214.125.205 2016年11月22日 (火) 04:55 (UTC)[返信]

結論だけ話すと相手の態度が硬化してしまいます。結論に問題があると互いに主張していることは互いにわかっているわけですから、途中の何処に問題があってこんなことになっているのかを「協力して」明らかにしないと事態が改善しません。相手の態度を硬化させると「協力」が得られないので、つまり「共同作業」に差し障りが出てしまいます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 05:23 (UTC)[返信]
あー、あなたたち、という言葉は、「ぽてから」氏「はるみエリー」氏の両名に向けた言葉でした。もしも誤って伝わっていたらごめんなさい。私は、いすかさんとの対話のときからのマジシャンさんの言動を見ておりました。結果、改善に向かっていることも理解しているつもりです。問題点を正しく理解するために対話を重視しているマジシャンさんの言葉とは違い、問題点から結論=ブロックするぞ、さあ粗探しだ!な態度の両名に、もう少し落ち着いて、マジシャンさんのよいところを伸ばす手助けをしていただきたく。と思いIPユーザですが発言させていただきました。疲弊だー疲弊だー、と騒ぎたてて、本人も疲弊しました。。。ではちょっとですね。マジシャンさんの対応に間違いがゼロではない、とも感じますが、それは結果論であって、今から難癖つけるのはお門違いと考えております。いずれ、アカウントを取ってきれいな編集をする側に回りたいと考えておりますが、まだまだWIKIPEDIAのルールを勉強中につき、IPにて発言することをご容赦ください。--202.214.125.205 2016年11月22日 (火) 05:47 (UTC)[返信]
インデント修正しました。誤って伝わっているわけではありません。方法論の問題です。
はるみエリー氏は誠意ある方です。その証拠を私は得ています。なので、きちんと話せば伝わると「私は」思っています。ですが態度を硬化させてしまっては、伝わる話も伝わらなくなってしまいます。
既にそうした事例があるように、実績の無いアカウントやIPの状態で私の論陣として参加されると自演を疑われ、その疑念は態度を硬化させることにつながります。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 05:55 (UTC)[返信]
コメント 横からすみません。「自演乙」と言われて、普通なら怒るか「なぜ?」となるかの2択でしょう。そうされない事に非常に疑問を感じますし、そもそも「自演乙」言う方にも疑問を感じます。一方、この方と同じISPの履歴を多少追ってみましたが、被依頼者とは同一人物であるとは判断できませんでした。まとめると、疑念はかけないが、今回の行動は疑念を抱かれても仕方のない行動、です。それから、ぽてから様にせよ、はるみエリー様にせよ、ブロックありきで議論はされていないと判断します(むしろ、よく我慢できるな、と感心しています)。--JapaneseA会話2016年11月22日 (火) 07:51 (UTC)[返信]
2ちゃんねるでは昔から良くある遣り取りなんですよ。知っていれば絶対に怒りはしませんし、知らなくたって「何が言いたいか」は伝わるのだから普通は怒りはしないでしょう。これで怒るとか疑問に思うとか普通だとは思えません。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 07:59 (UTC)[返信]
コメント ここは2ちゃんねるでも趣味板でもありません。前に申し上げたように、ここは趣味の話をするような「楽しい場」ではありません。慎重な意見が求められる場であり、さらには貴方の発言に慎重さを求めている意見が出ています。--JapaneseA会話2016年11月22日 (火) 08:10 (UTC)[返信]
「自演乙」と言われて、普通なら怒るか「なぜ?」となるかの2択でしょう
と言い出したのはJapaneseA氏です。それに対して2択ではない旨を返信しました。「横からすみません」と割って入ってまで主張した内容が違うと反論されたのですよ。他の話を始める前に先ずは再反論するなり認めるなりしては如何ですか。そうやって話を拡散されると議論が錯綜するのでやめて欲しいです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 08:18 (UTC)[返信]
コメント 反論以前の問題だと言っているのです。「議論錯綜」、それはこれまでの貴方です。これまで貴方を助けようとして、貴方の不適切な点を指摘し、謝罪撤回や改善する機会を提供してきたつもりですが、これじゃもうサジ投げるしかないですね。深く失望しました。--JapaneseA会話2016年11月22日 (火) 08:26 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:コメント依頼#終了に関しての質問でも言いましたが、「自らの望む議論の流れ(結論)」へと進まないからと言って対話拒否に走るのは良くないと思いますよ。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 08:46 (UTC)[返信]
コメント このまま去るつもりでしたが、「私とLTAへのコメント依頼」へコメント頂いたので、このまま去るのは失礼と判断しました。「自演乙」など全く言う必要はないでしょう。そこを指摘されれば、「不適切でした」とコメントしておけば、それで終わりになるのです。理不尽な意見に従う必要はありませんし、100%正しい場合は意見を貫き通しても良いと思いますが、こんな瑣末な話で意地を張る必要はないでしょう。貴方がクレバーな事は疑いようがありませんが、「こういう部分でもクレバーな対応が欲しい」と申し上げておきます。これが本当に最後の「助け船」です。荒らしや目的外利用者はブロックすべきですが、「コミュニティを消耗させる~」でのブロックは嫌いなのです。--JapaneseA会話2016年11月22日 (火) 15:46 (UTC)[返信]
コメント こういう関係のないコメント依頼のノートページでWikipedia:コメント依頼/だぶるすてっちとJapaneseA_20161114を「私とLTAへのコメント依頼」と言い換える、つまりだぶるすてっちさんをLTAだと吹聴して回ることが、適切な行動なのでしょうか(WP:AN/Sではまだそのような判断は出ていませんよね)。こういう「全く言う必要はない」コメントをしながら、ひとの「全く言う必要はない」コメントが指摘できるものでしょうか。わたしのコメントに対して「特にコメントはありません」ということですから、別にコメントはいりませんが、関係ないページでひとりのユーザーをLTA呼ばわりして回るような行動はやめてください。--Aoioui. 2016年11月22日 (火) 16:22 (UTC)[返信]
返信 (JapaneseAさん宛) 『ある一つの発言』に、『普通、こうだと思われる反応』があり、「そうされない」から多重アカウントもしくは荒らしの「疑念を抱かれても仕方のない行動」だと判断して良い……このような考え方は否定します。ひとつの対話において、想定外の反応があることなどいくらでもあるからです。たとえばこのコメント依頼に関連して、ジャム・パンナさんの会話ページにおいてJapaneseAさんは「もし御二方が同一人物であれば、貴方様を今すぐ管理者どころか警視庁に推薦したく思います。[20]」と発言していますが、これはわたしにしてみれば不必要な発言で、警視庁に推薦とはなんだと怒るべきものだと考えていました。しかし、誰も怒っていない。わたしはこの状況を見て、なるほど、温厚な方々なのだな、と思いました。JapaneseAさんが提起された方法に従えば、この方々は普通と思われない行動を取ったのだから、多重アカウントもしくは荒らしの疑いを抱かれても仕方がないということになってしまいます。先にも書きましたが、多重アカウントの疑いというものはもっと慎重にやらないといけません。やりとりに不審な点があったから、という程度でそのような疑いを表明するのは、いけません(WP:ATWV)。--Aoioui. 2016年11月22日 (火) 09:05 (UTC)[返信]
Aoioui様へ。誰も「想定外の反応=多重アカウントや荒らし」とは言っていません。WP:ATWVは私ではなく、私が[21]と発言した相手の方にこそ仰るべきでしょう。--JapaneseA会話2016年11月22日 (火) 09:24 (UTC)[返信]
返信 ええ、断言ではなく、疑念、疑いをかけること、ですよね。「普通なら怒るか「なぜ?」となるかの2択でしょう。そうされない事に非常に疑問を感じ」、「まとめると、疑念はかけないが、今回の行動は疑念を抱かれても仕方のない行動」とおっしゃっているのですよね。この「普通」は誰の普通か、という話なんです。そのために例を上げました。わたしの考える普通とJapaneseAさんの考える普通は違う。このJapaneseAさんの普通に基づき「非常に疑問を感じ」と膨らませ、「今回の行動は疑念を抱かれても仕方のない行動」と「まとめる」ことが問題なんです。
再度申し上げますが、多重アカウントの疑いというものはもっと慎重にやらないといけません。JapaneseAさんもいくらかの荒らしや多重アカウントのユーザーの対応をされたことがあるからご存じだと思います。もし本当に多重アカウントを疑っているのなら、まずは会話ページで質問などするべきでしょう。これはJapaneseAさんの行動を言っているのではありません。はっきり言いますけどぽてからさんの行動に言っているんです。多重アカウントの疑いがあるから「多重アカウント使用もしくは荒らしの疑い」という節をコメント依頼のノートに立ち上げて、それでどうしようというのですか、こういうことは望ましくない、だからわたしは「疑いの初手として、ここにこのような文言を書くことには、大いに疑問があります。解決を導くものではないからです」と結論したのです。
ちなみに「私ではなく、私が[22]と発言した相手の方にこそ仰るべき」とのことですが、これは本当にそうです。しかしその会話ページでは謝罪もあり、問題が既に解決しています。WP:ATWVは、このノートページでの態度について言っています。--Aoioui. 2016年11月22日 (火) 09:59 (UTC)[返信]
「グレーの疑い」について、会話ページやコメント依頼で初めに書くことは、手順通りだと思います。コメント依頼で「違う」となることもありますし、今回のケースはグレーであると思います。むしろ、いきなり管理者伝言板に突っ走ることをすすめるのは、手順を踏み外せと言ってるに等しいと思うので、Aoioui. さんの発言に矛盾があると感じました。第一、当事者の一人が言及するチャンスがこれだけあっても気にされていないみたいなので、関係ない第三者が外野から言うべきこともないと思います。また、「自演乙」は、誰が何を「自演」と言っているのか意味がわかりませんし、ふざけているように感じます。わざわざ「自演乙」と書いてコメントをより長くされるべきではなかったと思います。202.214.125.205さんの「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。 という言葉、そんなにおかしい言葉ですかね? 引っ掛かりを覚えるかも知れないと予測を行った箇所が3点ほどあります。という意味」というコメントについてはよく意味がわかりません。「引っ掛かりを覚えるかも知れない」と書かれてあったとしても、「誰が」「何の」が抜けていて意味が分かりません。また、「想像」と「予測」は違う意味なので、本当にそう書き間違えたと第三者が決めつけるべきではないと思います。もし、202.214.125.205さんの言う通りのことの書き間違えであったとしても、日本語として必要な修飾語が抜けていて意味が分からないままです。202.214.125.205さんの「マジシャンさんの対応に間違いがゼロではない、とも感じますが、それは結果論であって、今から難癖つけるのはお門違いと考えております。いずれ、アカウントを取ってきれいな編集をする側に回りたいと考えておりますが、まだまだWIKIPEDIAのルールを勉強中につき、IPにて発言することをご容赦ください。」という発言も、日本語の書き間違えもされていて「誰が」「何を」も抜けていてよくわかりません。「マジシャンさんの対応に間違いがゼロではない」(金融の専門家のマジシャン的対応?に間違いがゼロではないということ? 「誰が」が抜けていてわかりません。「何の」のマジシャン的対応はなんの例えなのか理解できません)、「今から難癖つけるのはお門違いと考えております。」(今さら、マジシャン=金融の専門家に難癖つけるのは、お門違い? 「誰が」「何の」難癖なのか、主語と修飾語が抜けていて理解できません。お門違いではない理由は言及がないので違う意味なのかもしれません)、「きれいな編集」(IPの編集はどこがきたない編集なのか?)など、必死に何をコメントされているのか理解しようとがんばりましたが、なんのことなのか理解できませんでした。なぜか、被依頼者と被依頼者を擁護する人だけに、「誰が」「何を」が抜けていてどう頑張っても意味がよくわからない日本語を使われる人がいる、とは思います。
>「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。
については日本語の文法という面から間違っているのでなにがなんでも修正を拒まれるほうに問題があります。書き間違いをされているのに絶対に書き直されないのであれば、永遠に意思疎通は無理であり対話拒否をとられていることと実質同じようなことだと思います。
>「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。
このような日本語を記事に書かれることは、記事破壊行為とも取られかねないほどの害が発生するので、ウィキペディアの標準記事空間における執筆でさえもご遠慮いただくことが、ウィキペディアにとって最善、ということになってしまいます。--はるみエリー会話2016年11月22日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
返信 (はるみエリーさん宛)Aoioui. さんの発言に矛盾があると感じました」とのことですので、一点だけ。わたしは「確信に強い疑いがあるならばWikipedia:管理者伝言板へ報告するべきでしょう。[23]」と条件を付けているため、矛盾してはいません。投稿ブロック依頼にもある通り、「明らかな方針違反者に対する投稿ブロックの提案」は幾つかの段階を外すこともありえます。--Aoioui. 2016年11月22日 (火) 13:15 (UTC)[返信]

はるみエリーさんの発言について[編集]

わたしの判断が場にそぐわないものであった、何か手続きに問題があったということならわかります。はるみエリーさんのおっしゃりたいことの大半はそれでしょう。わたしも「問題がある可能性がある」と判断し、謝罪しました。今後は気をつけます。しかし、わたしは「悪意をもって相手を非難」したわけではない。はるみエリーさんはわたしの行動に誤り・間違い・ミス以外にも「悪意」があるというのでしょう。JapaneseAさんも「「以後、気をつけます。」で終わりにしておくべきだったと思います」とおっしゃる。そうでしょうか? 「悪意をもって相手を非難」したことにしておけば、それで終わりにすればよかったと言うのでしょうか? わたしはそうは思いません。繰り返しますがわたしはミスがあればそれを直し、次に活かそうという気持ちがあります。こういう異論が出るのは確かに納得のできることですし、はるみエリーさんの発言に書いてあることもできるだけ自らの行動に取り入れようとは思います。しかし「悪意をもって相手を非難」したことにはできません。「「以後、気をつけます。」で終わりにしておくべきだった」とも思えません。お二方がどのような気持ちでこのような発言をしているのかは存じ上げませんが、もう一度「悪意」発言について説明を求めます。--Aoioui. 2016年11月29日 (火) 12:46 (UTC)[返信]

  • コメント Aoioui様に悪意があったとまでは判断しませんが、「悪意がある」と判断されても文句は言えない(少なくとも当の御本人は)内容だったと判断します。少なくとも問題を起こした(きつい言い方ですが、あえてこう表現します)貴方がはるみエリー様を批判されるのは、立場を悪くされるだけです。ですので、あえてシロクロつけず、なるべく傷口を広げないように配慮したつもりだったのですが。--JapaneseA会話2016年11月29日 (火) 13:58 (UTC)[返信]
「悪意」発言とはなんでしょうか。Wikipedia:ノートページのガイドラインノートページでの見出しづけの、「見出しで批判しない」、「見出しで特定の利用者に呼びかけない」もご覧下さい。誤り・間違い・ミスに気づかれればそれでいいと思いますし、IPの人を同一人物なのを隠してキャラを演じていると決めつけられた上で苦言を呈したことについては、「判断」が良かったとはいえないと思います。ぽてからさんやJapaneseAさんが疑惑の話をされたときに抗議されていたことや、他の方の発言に随分細かい指摘をされていたので、そこまで他人に求めるならば同じくらい自分の発言にも厳しくされないと、ダブルスタンダードに見えるかもしれません。Aoioui.さんは人に厳しい方なので、ご自分のミスにすぐに気が付かれるだろうと思ってのことですが、逆に相手を批判されるような対応は不適切ではないかと思います。とはいえ、被依頼者のそれに比べればまったくたいしたことはありません。が、なんにせよ、まず、「悪意」発言がなんのことなのか分かりかねますし、見出しによる個人攻撃を受けていると感じています。--はるみエリー会話2016年11月29日 (火) 14:14 (UTC)[返信]
      • 返信 (お二方宛) 節の名前は間違った引用とは思えませんが、本文の内容に適したものにします。ただ呼びかけてはいないつもりですが。これで分かりますでしょうか? 再度繰り返しますが、わたしはわたしのミスを承知していますし、謝罪もし、反省もしています。それを、「悪意をもって相手を非難[24]」したという言葉で結び付けないでいただきたいと、それについて説明を求めていたのです。わたしがおかしいのでしょうか? WP:AOBFによれば、「悪意があると誰かを責めることには意味がありません。」とあります。わたしがミスをしたことと、そのミスに「悪意をもって相手を非難」したという言葉を結びつけて、わたしが「悪意をもって相手を非難」したことにすること、これには雲泥の差があります。JapaneseAさん、このような主張がわたしの「立場を悪くされるだけ」で、「傷口」なのでしょうか。「問題を起こした」、なるほどそうでしょう。わたしはそれに関して再三、認め、改善を誓っています。しかし「「悪意がある」と判断されても文句は言えない」とは到底思えません。文句とは表現しませんがわたしは強く抗議します。はっきり申せば「悪意をもって相手を非難」したとか、「「悪意がある」と判断されても文句は言えない」との表現の撤回を求めます。これはWP:AOBFに基づいた発言です。最後にもう一度書きます。わたしはわたしの行為をミスとして理解しています。しかし、「悪意をもって相手を非難」してもいなければ、「「悪意がある」と判断されても文句は言えない」なと考えながら発言はしていません。--Aoioui. 2016年11月29日 (火) 14:51 (UTC)[返信]
        • 意味がわかりました。ご解説ありがとうございます。
>あなた方は同一人物であり、なにかキャラを演じているのでしょう。このようなことこそ「第三者を攻撃するような攪乱」ですから、やめてください。
という表現は、見方によっては悪意の発言にも見えます。実際はそうではなく表現のミスであったということであればご修正をお願いします。ご修正を確認したらはるみエリーの発言も残す意味がなくなるので修正いたします。なお、その節名であっても見出しによる個人攻撃を受けていると感じます。--はるみエリー会話2016年11月29日 (火) 15:24 (UTC)[返信]

コメント依頼の終了手続きについて[編集]

正直言うと私は知らなかったのですが、Wikipedia:コメント依頼#依頼を終了するときに規定があり、今回はそれに該当するので、本件の「終了」はやむを得ないでしょう。

Husaさんをはじめとして、被依頼者に問題があると考えている方々が納得していないのはわかりますし、合意形成に至ったわけでもない、ということではあると思いますが、しかたがない。

手続き上は、続けるなら新たに依頼をおこすということになります。が、どうでしょう、同じような依頼を繰り返しても、今まで通り並行線をたどるだけのように思います。仮に新たな依頼をするにしても、これまで被依頼者と関わってきた人たち(私も含めて)が、今まで通りの主張を繰り返しても、それはもはや「コメント依頼」の本来の機能を果たしさないでしょう。本当の第三者の意見がじゅうぶんに集まるまで、旧来の関係者はじっと我慢して黙って見守る、というのでないと事態は動かないようには思います。--柒月例祭会話2017年1月7日 (土) 02:58 (UTC)[返信]

大変恐れ入りますが、コメントの主旨がまったく理解できかねます。Wikipedia:コメント依頼#依頼を終了するときの規定通り、リストから本件依頼を取り除くことについてはなんら異論はございません。しかし、一か月間コメントがなければ、コメント依頼を強制終了しなければならない、などとはどこにも書かれておらず、ミランブラジル氏による一方的な「まとめ」については、本来の規定を超えた運用をされていると考えます。また、正直この依頼において、被依頼者に問題がないと考えている方は、被依頼者と柒月例祭氏、それと最近アカウントを取得されるなど実績の不明な利用者くらいではありませんでしょうか。柒月例祭氏などが無理な擁護をおやめになりさえすれば、並行線をたどることにもなかったはずでありましょう。被依頼者の問題は深刻であり、同じような問題を起こされるなど言語道断です。すでに、本当の第三者の意見がじゅうぶんに集まっていますし、指摘を受けなくても、「旧来の関係者はじっと我慢して黙って見守る」という行動をおこしています。このコメント依頼については、終了とする合意が形成されていないにもかかわらず、強制終了しなければならない理由はありません。被依頼者のコメントを気長に待つことを禁じる規定は存在しないと考えます。--Husa会話2017年1月7日 (土) 03:28 (UTC)[返信]
コメント 皆様へ。まず、一般論としての「コメント依頼の終了」に関しては、Husa様に賛同します。ただし、これを覆すには、Wikipedia‐ノート:コメント依頼で合意する必要があるかもしれません。以前に同様の疑問を持ち(被依頼者が依頼者)Wikipedia‐ノート:コメント依頼#終了に関しての質問にて議論を提起しましたが、結論は何も出ませんでした。次に当コメント依頼ですが、私は「被依頼者に問題あり」という認識ですが、今現在繰り返していないのであれば、クローズに反対はしません。--JapaneseA会話2017年1月7日 (土) 12:04 (UTC)[返信]