ATS・D5

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ATS・D5
カテゴリー F1
コンストラクター ATS
デザイナー ハーベ・ギルピン
ティム・ワドロップ
先代 ATS・HGS1
後継 ATS・D6
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
エンジン フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90°V8, NA,
トランスミッション ヒューランド FGA 400 5速
重量 585 kg (1,290 lb)
燃料 シェル
タイヤ エイヴォン, ミシュラン
主要成績
チーム チームATS
ドライバー 9. ドイツの旗 マンフレッド・ヴィンケルホック
10. チリの旗 エリセオ・サラザール
初戦 1981年ベルギーグランプリ
出走優勝ポールFラップ
27000
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ATS・D5は、ATSチームが1982年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはハーベ・ギルピンとティム・ワドロップ。最高成績は5位。

開発の歴史[編集]

ヤン・ラマースセオドールを従えて走るエリセオ・サラザール1982年オランダGP。サラザールは13位でレースを終えた。

1980年、ジョー・ラミレスがチームのマネージャーに就任し、マルク・スレールヤン・ラマースを起用する。そのシーズン序盤は、新車の開発の遅れから前年使用したD3を投入した。新車D4投入後も成績は向上せず、その年はポイントを得ることができなかった。

1981年も開発費用の不足から序盤はD4で戦わざるを得ず、チームはスウェーデン人ドライバーのスリム・ボルグッドを起用した。新車のHGS1は第5戦ベルギーから投入され、ボルグッドはイギリスで6位入賞、1ポイントを獲得した[1]

1982年シーズン、チームはHGS1を改良したD5を投入した。ドライバーはボルグッドに代わってマンフレッド・ヴィンケルホックが加入、縮小していた体制も2台体制に戻り、エリセオ・サラザールがセカンドドライバーとして起用された。ドライバーに対する低報酬や、サンマリノでの重量オーバーによる失格などにもかかわらず、両名とも前年より優れたパフォーマンスを発揮した。ヴィンケルホックはブラジルで5位に入賞、サラザールもサンマリノで5位に入賞した。D5は相変わらず信頼性に欠け、獲得したのは2度の入賞による4ポイントのみであった。チームはコンストラクターズランキングで12位となり、ドライバーの両名は23位、24位となった。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1982年 チームATS フォード-コスワース DFV
V8 NA
M


A

RSA
南アフリカの旗
BRA
ブラジルの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
SMR
サンマリノの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
NED
オランダの旗
GBR
イギリスの旗
FRA
フランスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
SUI
スイスの旗
ITA
イタリアの旗
CPL
アメリカ合衆国の旗
4 12位
9 ドイツの旗 ヴィンケルホック 10 5 Ret DSQ Ret Ret Ret DNQ 12 DNQ 11 Ret Ret Ret DNQ NC
10 チリの旗 サラザール 9 Ret Ret 5 Ret Ret Ret Ret 13 DNQ Ret Ret DNQ 14 9 DNQ

参照[編集]

  1. ^ F1全史 1981-1986 もっとパワーを!ターボ化と政争の渦の中で ニューズ出版

外部リンク[編集]