間島特設隊

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間島特設隊(かんとうとくせつたい、朝鮮語간도 특설대/Gando Teugseoldae)は、かつて満州国に存在した朝鮮人部隊

概要[編集]

間島特設隊とは、満州国軍に存在した部隊。それまでの国境監視隊を解体して、そこの下士官を基幹要員として1938年(昭和13年)12月に創設された。おもに間島地域で徴募された朝鮮人兵士により組織され、士官は満州国軍新京軍官学校で教育を受けた朝鮮人士官が配属された。所属は満州国軍であったが、部隊の建設や教育、また作戦への投入はすべて日本軍の支配下にあった。兵力は当初、歩兵中隊1個と機迫中隊1個であったが、のちに歩兵は2個中隊に増強され大隊規模となった。機迫中隊は重火器中隊で、重機関銃迫撃砲を装備して歩兵の支援に当たる。歩兵分隊も優秀なチェコ製軽機関銃(ZB26)を装備するなど、当時の日本軍に勝る火力を持つエリート部隊であった。植民地軍の性格を持つ部隊であったが、日本軍の対ソ攻勢計画の一翼を担う任務を与えられていた。これは同年に起こった張鼓峰事件の戦訓を取り入れたもので、対ソ戦の際には単独でソ連領内に浸透し、破壊工作などの特殊作戦に従事する予定であった。対ソ戦は実現しないまま、部隊は間島地域でのゲリラ討伐戦に投入された。

1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)まで、日本の野副討伐隊の討伐作戦に参加し、その働きぶりは日本軍からも高く評価された。昭和19年には戦局が悪化した華北戦線に投入され、日本軍の一翼として八路軍系の中国軍と戦った。部隊は第二次世界大戦終結にともない解体されたが、この部隊出身の士官は、初期の大韓民国陸軍で重要な地位を占めた。連隊長クラスや将軍にまで昇進したものも多く、大韓民国建国後の反乱鎮圧や共産系ゲリラ討伐に活躍し、後の朝鮮戦争でも戦った。

脚注[編集]


参考文献[編集]

関連項目[編集]