釈迦族

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釈迦族(しゃかぞく、釋迦族)は、仏教の開祖ガウタマ・シッダールタの属していた種族(部族、国家)。なお、釈迦族とは、様々な民族に経典を翻訳して伝える際に、注釈を加えてわかり易く説法する世襲制の祭司族または書記族の意味。この名は、サンスクリット語शाक्य śakya(シャーキャ)、パーリ語で sākiya(サキヤ)の音写である。

釈迦族はアーリヤ系日種(サンスクリット:Suurya-vaMza スーリャ・ヴァムサ)に属し、甘庶王(かんしょおう、オッカーカ)系といわれるも、非アーリヤ系の民族とする説もある。

アーリア系は狩猟民族で麦を食していたといわれるが、釈迦の実父である浄飯王(じょうぼんおう、スッドーダナ)や、その弟ともいわれる白飯王(シュクロダナ)、斛飯王(こくぼんのう、ドロトダナ)、甘露飯王(かんろぼんおう、アムリトダナ)など、「飯」の名がつくことや、幼少時の釈迦が農耕祭の時に田畑にいた虫を小鳥がついばんだのを見たとする説話などから、釈迦族は農耕民族だとする説が有力視されている。

仏教文献等によると釈迦族は釈迦晩年の時期、隣国コーサラ国毘瑠璃王(びるり、ヴィドゥーダバ)の大軍に攻められ滅亡したとされる。

異説も有り、インドのウッタル・プラデーシュ州南部には釈迦族を自称する一族が現在も住んでいる。 滅亡したのではなく、生き残った四人の王族がヒンドゥー教に改宗して釈迦族は存続したとされている。

また、釈迦族は自尊心が非常に強い民族だったといわれる。釈迦が成道後、カピラ城に帰った際にクシャトリアである諸王子を差し置いてシュードラ出身の優波離が先ず弟子となった後に、諸王子が仏教の教団の伝統に基づき、阿難など諸王子達が優波離に礼拝して末席に連なったことから、釈迦仏が「よくぞシャカ族の高慢な心を打ち破った」と讃嘆しているほか、シャカ族が毘瑠璃王によって滅ぼされたのも、もとを正せば、この自尊心の強さによる高慢心が原因だったといわれる。

一説によると、シャカ族で生き残った4人の男子は、それぞれ他の国へ行って、みなその国の王になったと伝えられている。

[編集] 系譜

釈迦族の家系は経典によって差異があるが、『佛本行集経』賢劫王種品・第三などによると、

衆許大転輪王 - 27世- 大須弥(Mahqsumeru)小轉輪王 - 18世 - 真生王 - 31世 - 茅草王 - 甘庶王(オッカーカ) - 別成王 - 拘盧王 - 瞿拘盧王子 - 獅子頬王

と続いている。この獅子頬王に四男一女(浄飯王・白飯王・斛飯王・甘露飯王・甘露味女)がいたとされる。

『起生経』では次のとおり。

甘庶種王(不善長) - 足瞿 - 天城 - 牛城 - 広車 - 別車 - 堅車 - 住車 - 十車 - 百車 - 九(十)車 - 雑(色)車 - 智車 - 広弓 - 多弓 - 兼弓 - 住弓 - 十弓 - 百弓 - 九(十)弓 - 雑(色)弓 - 智弓 - 獅子頬 - 浄飯