西田靖

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西田靖
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
生年月日 (1961-10-28) 1961年10月28日(62歳)
身長 161cm
体重 54kg
血液型 B型
選手情報
所属 東京支部
登録番号 3072
登録期 51期
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1982年11月12日
SG優勝 2
GI/PGI優勝 7
通算優勝 67
通算勝率 6.57
通算勝利 2501
主要獲得タイトル
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西田 靖(にしだ やすし、1961年10月28日[1][2] - )は、神奈川県出身[3]競艇選手。登録第3072号。身長163cm。血液型B型。51期。東京支部所属。

来歴[編集]

1961年10月28日静岡県静岡市岩本町に生まれ。東京都練馬区大泉学園町で育つ[2]東京都立光丘高等学校中退後、美容師見習いをはじめとしてさまざまな職を転々とした後[4]、新聞の募集広告を見たのがきっかけで競艇選手を志し、2度目の受験で本栖研修所に合格した[5]

選手特徴[編集]

デビュー当時はセンター、アウトからの自在戦を得意としていた。地元水面である平和島江戸川の悪条件でも果敢なまくりを披露していた。

持ちペラ制度時代はプロペラグループ「湘南ジェット」に所属。エンジン整備・プロペラ作りの名手としても知られ、レースではピットアウトから待機行動開始までに他艇を大きく引き離すピット離れでインコースを奪う「スーパーピット離れ」(後述)で旋風を巻き起こした[4]。プロペラ制度変更後も積極的なコース取りを行うイン屋のスタイルを貫いている。

エピソード[編集]

  • 「スーパーピット離れ」はあるレースで1コースを取ろうとしたところ、別の選手に後ろからコースを取られてしまい、「頭にきて絶対(インコースを)取り切ってやるという思いでプロペラを調整したら成功した」ことで生まれた[4]
  • カーレースが好きで、競艇選手になったのも「賞金でカーレースに参戦したかったから」と話す。1990年代には競艇マクールをスポンサーとしてレースに出場し、富士スピードウェイで行われたJAF公認レースで優勝した経験もある[4]。好きなF1レーサーはジャンカルロ・フィジケラ
  • 趣味は海釣りで、釣りをするために海の近くに住んでおり[4]、レースに出場しない時は釣りに出ている。
  • 熱狂的な阪神タイガースのファンである[4]
  • 尊敬している人物は加藤峻二
  • 西島義則は2期先輩にあたるが、同い年で誕生日も2日違いということもあり「同級生」意識がある。
  • その風貌から、「艇界のブルース・ウィリス」の異名をとる。
  • 妻は同業の競艇選手だった。職業柄、腰痛などに悩まされ、西田はそれをフォローして、結婚した。

戦績[編集]

  • 出走回数:8861回
  • 1着回数:2501回
  • 優出回数:326回
  • 優勝回数:67回
  • SG優勝回数:2回
  • SG優出回数:17回
  • SG出走回数:633回
  • G1優勝回数:7回
  • G1優出回数:79回
  • G1出走回数:2651回
  • フライング(F)回数:52回
  • 出遅れ(L)回数:4回
  • 通算勝率:6.57
  • 2連対率:46.91
  • 3連対率:60.90
  • 生涯獲得賞金:1,632,447,840円

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P160。
  2. ^ a b 木村1992、25頁。
  3. ^ 蛭子1992、160頁。
  4. ^ a b c d e f ボートレースウィークリー 西田靖選手が登場JLCレジャーチャンネル 2021年7月5日配信
  5. ^ 木村1992、26-27頁。
  6. ^ 2022年12月17日 アビスパ福岡杯 3日目 第7R 結果”. 艇国データバンク. 2022年10月23日閲覧。
  7. ^ 2022年10月19日 第8回太田双葉カントリークラブカップ DS開設9周年記念 初日 第2R 結果”. BOATRACE OFFICIAL. 2022年10月23日閲覧。
  8. ^ 登録第3072号 西田 靖 選手(東京支部)2,500勝達成”. BOATRACE OFFICIAL. 2022年10月23日閲覧。

参考文献[編集]

  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0 
  • 木村幸治『水上の格闘者たち』講談社、1992年。ISBN 978-4-06-204715-9 

外部リンク[編集]