菅原初代

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菅原 初代(すがわら はつよ、1963年昭和38年〉11月14日 - 2023年令和5年〉3月9日)は、日本フードファイタータレント実業家である。岩手県水沢市(現在の奥州市)出身。

経歴[編集]

中学校では数学が得意で学級上位の成績を修め、部活では体操部で活動した。岩手県立水沢高等学校に入り、高校では新聞部で活動し、三島由紀夫太宰治芥川龍之介などの文学全集を読破した[1]

山形県立米沢女子短期大学を卒業後、福島県公務員司書として勤務する[1]1998年に35歳で知人から紹介された男性と結婚し、配偶者の転勤で青森県へ転居する。2002年に長男を出産する[1]

わんこそばの大食い大会で、2006年に「15分で289杯」を食して準優勝し、2007年から2009年に3年連続で優勝した[2]。2006年にフードファイターとして活動を開始する[1]。『元祖!大食い王決定戦』の女王戦で、2008年から3連覇して殿堂入りする[3]ロシアン佐藤は菅原について「試合に対して本当に真剣に取り組んでいるし、信じがたいほどにストイック。完璧なプロフェッショナル。」と語っている[4]

2016年12月に自宅の一角で、自家製天然酵母を使用するパン店「カンパーニュ」を開店し[5]、以後も大食い企画やバラエティー番組に出演するなど精力的に活動した[1]

2022年6月に大腸癌の罹患が判明し、「ステージ4」と診断された。闘病のためパン店を閉店し、趣味で収集していた美術品やアート作品の展示販売を2023年2月に開催した[5]。その後、2023年3月9日深夜に死去したことが、17日に菅原のTwitterアカウントで公表された[1]。59歳没。同年5月4日に放送された『最強大食い王決定戦2023』の最後には菅原の出演映像と「菅原初代さんのご冥福をお祈りします」とのテロップにナレーションが放送された[6]

エステ三宅など、菅原と親しかったフードファイター仲間らによると、生前の菅原は「自身の病気は大食いとは全く関係ないが、関連があるように思われれば大食い界に迷惑がかかる」と気にしており、病気の公表を避けていたという[7][8]

出演番組[編集]

CM出演[編集]

  • 岩手銀行 - のんと共演。行員役ののんが菅原のパン店に来店する内容。CMは実際の店舗にて撮影された。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 【“魔女”菅原初代さん死去】昨年6月にステージ4の大腸がんが見つかり闘病生活をしていた大食い女王の波瀾万丈な半生」『週刊女性PRIME』、2023年3月17日。
  2. ^ 大食いの「魔女」菅原初代さん、わんこそば選手権で「記録更新ならず」」『盛岡経済新聞』、2010年11月14日。2023年3月17日閲覧。
  3. ^ 「『水曜日のダウンタウン』は美味しいんです」“大食い魔女”菅原初代58歳に聞く“TV収録の知られざるウラ側” 一番キツかった企画は?”. Number Web. 文藝春秋 (2022年6月3日). 2023年3月17日閲覧。
  4. ^ 小野田 衛 (2022年2月4日). “大食いレジェンド・ロシアン佐藤が語るライバル「一番衝撃を受けたのは菅原初代さん」”. ENTAME Next. 徳間書店. 2023年3月17日閲覧。
  5. ^ a b “大食い魔女”菅原初代さん 盛岡で自身の美術品コレクションを展示販売 宝物託す理由とは”. TBS NEWS DIG (2023年2月7日). 2023年3月17日閲覧。
  6. ^ 59歳で死去の大食い女王・菅原初代さん テレ東「大食い王決定戦」で追悼”. デイリー (2023年5月4日). 2023年5月4日閲覧。
  7. ^ “大食い女王・菅原初代さん 亡くなる直前まで気遣い、仲間心配も 最も記憶に残る試合も明かす”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年7月27日). https://www.daily.co.jp/gossip/2023/07/27/0016634045.shtml 2023年7月27日閲覧。 
  8. ^ “今年3月に亡くなった〝魔女菅原〟菅原初代さんが病名を伏せていた理由 親しい仲間たちが明かす”. サンスポ (産経新聞社). (2023年7月28日). https://www.sanspo.com/article/20230728-4WLCKM34KRENVMPO2GUO7TYYQY/ 2023年7月29日閲覧。 

外部リンク[編集]