第3装甲軍
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| 第3装甲軍 | |
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東部戦線で作戦行動中の所属部隊
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| 創設 | 1942年1月1日 |
| 廃止 | 1945年5月8日 |
| 所属政体 | |
| 所属組織 | ドイツ国防軍陸軍 |
| 部隊編制単位 | 軍 |
| 担当地域 | 東部戦線 |
| 主な戦歴 | 独ソ戦 |
第3装甲軍(独3.Panzerarmee)は第二次世界大戦中のドイツ陸軍の装甲部隊である。
目次 |
[編集] 歴史
第3装甲軍の前身、第3装甲集団は1940年11月16日に編成され、1942年1月1日に第3装甲軍と改称された。第3装甲軍は編成後、1942年から1942年後半にかけて中央軍集団に所属してモスクワの戦いに参加した。ソビエト赤軍の反撃が開始されると、第3装甲軍は包囲されつつあったため、包囲を突破するために激戦を交わした。第3装甲軍はリトアニア、クールラントを経由して撤退、1944年後半にはメーメル(現在のクライペダ)で戦った。
1945年2月、ヴァイクセル軍集団が編成されると、第3装甲軍はその所属となった。1945年3月10日、第3装甲軍がゼーロウ高地に布陣していたとき、ハッソ・フォン・マントイフェル装甲大将が司令官に任命され、オーデル川を防衛することとなったが、ソビエト赤軍の西ポメラニア、ベルリンへの進撃を防衛した。第3装甲軍はベルリンの戦いの間、ソビエト第2白ロシア方面軍(司令官コンスタンチン・ロコソフスキー)の直撃を受けた。4月25日、ソビエト第2白ロシア方面軍はシュテッティン橋頭堡南部で第3装甲軍の防衛線を突破、ランドウ湿地を横切った。
その後、マントイフェルはソビエト赤軍に降伏することを回避するために1945年5月3日、メクレンブルクへ撤退、連合国軍へ降伏することに成功した。
[編集] 司令官
- 1942年1月1日 – 1944年8月15日:ゲオルク=ハンス・ラインハルト上級大将
- 1944年8月15日 – 1945年3月9日:エアハルト・ラウス上級大将
- 1945年3月9日 – 1945年5月8日:ハッソ・フォン・マントイフェル装甲大将
[編集] 戦闘序列
第3装甲集団
- 1941年6月27日
-
- 第57軍団
- 第12装甲師団
- 第19装甲師団
- 第18歩兵師団
- 第39軍団
- 第7装甲師団
- 第20装甲師団
- 第20自動車化歩兵師団
- 第14自動車化歩兵師団
- 第57軍団
- 1941年10月
-
- 第39軍団
- 第7装甲師団
- 第20装甲師団
- 第20自動車化歩兵師団
- 第14自動車化歩兵師団
- 第39軍団
-
- 第57軍団
- 第12装甲師団
- 第19装甲師団
- 第18歩兵師団
- 第57軍団
-
- 第5軍団
- 第5歩兵師団
- 第35歩兵師団
- 第5軍団
-
- 第6軍団
- 第6歩兵師団
- 第26歩兵師団
- 第6軍団
-
- 第41軍団
- 第1装甲師団
- 第36歩兵師団
- 第41軍団
-
- 第56軍団
- 第6装甲師団
- 第7装甲師団
- 第56軍団
第3装甲軍
- 1942年1月2日
-
- 39軍団
- 第2装甲師団
- 第1装甲師団
- 第36自動車化歩兵師団
- 39軍団
-
- 第56軍団
- 第14自動車化歩兵師団+第900教導旅団
- 第7装甲師団
- 第56軍団
- 1942年4月22日
-
- 第59軍団
- 第330歩兵師団
- 第328歩兵師団(1/3)
- 第205歩兵師団
- 第83歩兵師団(2/3)
- 第218歩兵師団(1/3)
- 第59軍団
-
- 軍直属
- 第83歩兵師団(1/3)
- 第218歩兵師団
- 軍直属
[編集] 文献
- Wendel, Marcus. Axis history 3. Panzer-Armee
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