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'''ロツキータイガー'''は[[日本]]の[[競走馬]]。[[南関東公営競馬]]で活躍し、[[1985年]]には[[地方競馬]]所属馬ながら第5回[[ジャパンカップ]]でも2着になっ。当時の地方競馬では[[競走馬#競走馬|名]]の[[促音]]表記がまだ認められていなかったが、すでに認められていた[[中央競馬]]では「ロ'''ッ'''キータイガー」と表記されていた
'''ロツキータイガー'''({{lang|en|Rocky Tiger}}<ref name="馬情報_JBIS" />)は[[日本]]の[[競走馬]]。[[南関東公営競馬]]の重賞を6勝たほか、第5回[[ジャパンカップ]]でも2着に入着し<ref name="振り返る名馬" />


== 概要 ==
== 略歴 ==
[[馬齢]]は旧年齢を用いる。
文中の馬齢は表記を用いている。
=== デビューから4歳まで ===
1983年9月に、[[船橋競馬場]]の3歳新馬戦でデビュー。初出走時の馬体重は430kg<ref name="振り返る名馬" />しかなく、初勝利も3戦目で、結局3歳時は5戦してこの1勝のみという平凡なスタート<ref name="振り返る名馬" />となったが、4歳の春に[[桑島孝春]]が初めて手綱をとった雲取賞([[大井競馬場]])で直線一気の差し切り勝ちを決め、一変する<ref name="振り返る名馬" />。この年の南関東4歳世代には[[キングハイセイコー]]や[[ステートジャガー]]など強力なライバルがおり、これらのライバル馬とハイレベルな争いを繰り返した<ref name="振り返る名馬" />。春は[[羽田盃]]3着・[[東京ダービー (競馬)|東京ダービー]]2着とキングハイセイコーに敗れたものの、秋の[[東京王冠賞]]では三冠を狙ったキングハイセイコーに2馬身半の差を付けて優勝した<ref name="okansho">『優駿』1985年1月号、日本中央競馬会、158頁</ref>。この勝利をもって世代チャンピオンを確定させた<ref name="振り返る名馬" />との見方もあるが、このときキングハイセイコーは、主戦からテン乗りの騎手への急遽乗り替わりやスタートで出遅れるなどの不利があり、また距離が長かったとも指摘されている<ref name="okansho"/>。吉川彰彦によれば、前記2頭のライバルにもそれぞれ個性や力量はあったが、本馬は決め手やインパクトで前記2頭のライバルを上回っていたと評している<ref name="振り返る名馬" />。桑島は全25戦中16戦でロツキータイガーに騎乗した。


=== 5歳から引退まで ===
[[船橋競馬場]]でデビュー。3歳時は5戦1勝。4歳3戦目の雲取賞([[重賞|準重賞]]・[[大井競馬場]])を勝ち[[三冠 (競馬)#南関東三冠|南関東三冠]]路線に名乗りを挙げるも、この年の三冠[[競馬の競走|競走]]は[[キングハイセイコー]]、[[ステートジャガー]]が強力で、春はキングハイセイコーが二冠を達成。ロツキータイガーは[[羽田盃]]3着、[[東京ダービー (競馬)|東京ダービー]]2着であった。その年の秋はいちょう賞(準重賞・大井)を勝ち三冠最終戦の[[東京王冠賞]]へ向かい、三冠を目指したキングハイセイコーを逆転し優勝した。4歳時は7戦4勝。
明けて5歳になっても勢いは衰えず、[[報知グランプリカップ]]・[[金盃]]・[[ダイオライト記念]]・[[帝王賞]]を優勝。前年秋の「いちょう賞」から数えて通算6連勝(重賞は5連勝)を記録した。


その後2戦連続3着の後、当時[[地方競馬]]所属馬に対して1頭の招待枠が設けられていたジャパンカップの出走権を争うべく、第22回[[東京記念]]に出走する<ref name="TCKコラム" />。4歳秋から上昇一途のロツキータイガーと、当時既に5000勝を記録していた[[佐々木竹見]]に乗り替わって5戦3勝2着2回の[[テツノカチドキ]]がジャパンカップの出走権を懸けて激突したこのレースは、後に「名勝負」として語り継がれるレースとなった<ref name="TCKコラム" />。レースは逃げるハードスキーをトムカウントが追いかける展開<ref name="TCK名馬ストーリー" />で、テツノカチドキは中団の好位で先頭をマーク<ref name="TCKコラム" />、ロツキータイガーは後方からレースを進める<ref name="TCK名馬ストーリー" />。向正面から一気にペースが早まりテツノカチドキが動き出すと、第4コーナーを回るころにはロツキータイガーも伸びてくる<ref name="TCK名馬ストーリー" />。最後の直線では残り200mあたりから内ロツキータイガー、外テツノカチドキの2頭が馬体をピタリと併せてのマッチレース<ref name="TCK名馬ストーリー" />となり、壮絶な叩き合いの末に2頭がゴールへなだれ込む<ref name="TCKコラム" />。写真判定の結果アタマ差でロツキータイガーが制し、ジャパンカップの出走権を獲得した<ref name="TCKコラム" />。
[[馬齢|古馬]]となった5歳には[[報知グランプリカップ]](船橋)、[[金盃]](大井)、[[ダイオライト記念]]、[[帝王賞]]と[[重賞]]を4連勝する。その後3着を2回重ね[[東京記念]]へ向かう。東京記念では59[[キログラム]]の[[負担重量]]を科されたが、60.5キログラムを背負った[[テツノカチドキ]]に競り勝って第5回ジャパンカップへの出走権<ref>当時は[[地方競馬]]所属馬に対して1頭の招待枠が設けられていた。</ref>を手にした。


こうして出走した第5回ジャパンカップには、絶対的本命と目されていた[[シンボリルドルフ]]が出走していた<ref name="UMA-JIN" />こともあり、単勝人気は15頭中11番人気の低評価だった。馬券的にはまったく期待されておらず、勝負とは関係ないと思われていたが、陣営や関係者らは真剣にジャパンカップを戦おうとしていた<ref name="UMA-JIN" />。蹄鉄も通常使用しているものではなく芝用の蹄鉄に打ち替えることも関係者間で検討されたが、結局「普段着の競馬で」との意見で合意、通常使用している蹄鉄を使うことになった<ref name="UMA-JIN" />。[[東京競馬場]]で行われた公開追い切りの際はコースに出ず、角馬場でひたすら入念にダクを踏んでいた<ref name="振り返る名馬" />。桑島はこのときのことについて、後に「カリカリするし、環境だけ覚えてくれればいいと思って…」と語っていたとされる<ref name="振り返る名馬" />。
当時の[[地方競馬]]所属馬が出走できる[[中央競馬]]の競走はジャパンカップと[[地方競馬招待競走]]のみであった。どちらも地方競馬では走る機会の少ない[[芝]]コースであり、この年の地方競馬招待競走はテツノカチドキが勝利していたが、ジャパンカップは[[外国馬]]が強力で中央勢でも歯が立たなかった時代である。前年([[第4回ジャパンカップ|第4回]])に[[カツラギエース]]が人気薄ながら日本勢として初めて勝利したものの、地方馬は2年前([[第3回ジャパンカップ|第3回]])にダーリンググラスが初出走し10着という結果で、ロツキータイガーも15頭立ての[[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝]]11番[[人気]]に過ぎなかった。しかし雨の中行われたレースで、当時の中央最強馬[[シンボリルドルフ]]が早めに抜け出し勝負を決め、2着争いが注目されるなかを[[脚質#追い込み|追い込んで来た]]のはロツキータイガーであった。


ジャパンカップのレース本番も、桑島は普段どおりの競馬を徹底した<ref name="UMA-JIN" />。シンボリルドルフが直線で力強く抜け出し後続馬を引き離していく中、後方からただ1頭猛然と追い込んできたのがロツキータイガーだった<ref name="UMA-JIN" />。結果1馬身3/4及ばなかった<ref name="振り返る名馬" />が、地方競馬所属馬ではジャパンカップでの最高着順<ref group="注">ジャパンカップで2着を記録した地方競馬所属馬は、ロツキータイガーと[[コスモバルク]](2004年)のみ。</ref>となる2着となった<ref name="TCKコラム" />。
<!-- しかしロツキータイガーが飛び抜けた地方の最強馬というわけでもなく、テツノカチドキは前述のように中央でも勝っていたし、ステートジャガーは中央に移籍して活躍、さらには地方競馬を渡り歩き南関東でも活躍した[[カウンテスアツプ]]などライバルに恵まれ、中央との交流は少なかったものの格差は小さい時代であった(芝が現在よりも重かったことや、[[リーディングサイアー|リーディング]]上位の種牡馬を父に持つ馬が、地方でも走っていたことなどが要因として考えられる)。 -->ジャパンカップのあとは暮れの[[東京大賞典]]に出走し[[スズユウ]]の2着に敗れた。この年9戦5勝。翌年の6歳時は4戦して未勝利に終わり引退。翌年より[[種牡馬]]となったが活躍馬を出せず[[1996年]]に種牡馬も引退した。[[2007年]][[4月2日]]に[[老衰]]のため死亡した。

{{-}}
ジャパンカップ後は[[東京大賞典]]に出走したが[[スズユウ]]の2着に敗れ、この年は9戦5勝で終えた。明けて6歳時は4戦未勝利に終わり、1987年1月21日に登録を抹消<ref name="出走履歴_NAR" />し引退。
== 血統表 ==

==== 競走成績 ====
出典:[http://www.nikkankeiba.co.jp/chuo/meiba/20/20sam2.html ロッキータイガー 全成績] - 日刊競馬新聞社、2015年2月15日閲覧

{| style="border-collapse:collapse; font-size:90%; text-align:center; white-space:nowrap;"
| colspan="2"|年月日||[[競馬場]]||競走名||距離||[[馬場状態|馬場]]||[[騎手]]||[[負担重量|重量]]||[[投票券_(公営競技)#単勝式|単勝]]<br />人気||着順||タイム||タイム差(秒)<br />または着差||1着馬<br />(2着馬)
|-
|1983.||9.21||船橋||3歳新馬||ダート900m||重||古市修二||53||2番人気||2着||0:56.9||0.3||トサネバー
|-
|||10.27||船橋||3歳90万下||ダート900m||不良||古市修二||53||5番人気||3着||0:56.0||1.3||ワイドイーグル
|-
|||11.11||大井||3歳102万下||ダート1200m||重||古市修二||53||2番人気||'''1着'''||1:14.6||0.8||(ハクツホープ)
|-
|||11.30||船橋||馬場改修記念||ダート1500m||良||古市修二||53||5番人気||5着||1:36.6||2.0||ワイドイーグル
|-
|||12.27||船橋||3歳特別||ダート1600m||良||古市修二||54||2番人気||2着||1:43.5||0.3||ワイドイーグル
|-
|1984.||1.28||船橋||新春千葉盃||ダート1600m||良||古市修二||54||2番人気||'''1着'''||1:41.2||1.3||(グランドオスカー)
|-
|||2.22||船橋||若潮盃||ダート1600m||良||古市修二||55||2番人気||2着||1:40.4||クビ||ワイドイーグル
|-
|||3.26||大井||雲取賞||ダート1700m||良||桑島孝春||54||2番人気||'''1着'''||1:49.3||0.2||(アローロマネスク)
|-
|||5.1||大井||羽田盃||ダート2000m||良||川島正行||57||3番人気||3着||2:07.7||0.8||キングハイセイコー
|-
|||6.6||大井||東京ダービー||ダート2400m||良||川島正行||57||4番人気||2着||2:34.8||0.3||キングハイセイコー
|-
|||10.26||大井||いちょう賞||ダート1800m||良||桑島孝春||57||2番人気||'''1着'''||1:54.4||0.2||(ハードスキー)
|-
|||11.13||大井||東京王冠賞||ダート2600m||良||桑島孝春||57||2番人気||'''1着'''||2:48.4||0.5||(キングハイセイコー)
|-
|1985.||1.23||船橋||報知グランプリカップ||ダート1800m||良||桑島孝春||54||2番人気||'''1着'''||1:52.7||0.4||(トムカウント)
|-
|||2.7||大井||金盃||ダート2000m||良||桑島孝春||56||1番人気||'''1着'''||2:06.3||0.3||(グローリイセンプー)
|-
|||3.21||船橋||ダイオライト記念||ダート2400m||不良||桑島孝春||57||1番人気||'''1着'''||2:30.9||アタマ||(カウンテスアツプ)
|-
|||4.18||大井||帝王賞||ダート2800m||重||桑島孝春||57||1番人気||'''1着'''||3:00.2||0.3||(カウンテスアツプ)
|-
|||7.3||川崎||報知オールスターカップ||ダート2000m||重||桑島孝春||57||1番人気||3着||2:06.7||0.6||カウンテスアツプ
|-
|||9.25||船橋||NTV盃||ダート2000m||稍重||桑島孝春||59||1番人気||3着||2:05.5||0.2||ブランドオスカー
|-
|||10.31||大井||東京記念||ダート2400m||稍重||桑島孝春||59||1番人気||'''1着'''||2:33.9||アタマ||(テツノカチドキ)
|-
|||11.24||JRA東京||ジャパンカップ(GI)||芝2400m||重||桑島孝春||57||11番人気||2着||2:29.1||0.3||シンボリルドルフ
|-
|||12.28||大井||東京大賞典||ダート3000m||良||桑島孝春||56||2番人気||2着||3:14.6||0.3||スズユウ
|-
|1986.||1.30||船橋||報知グランプリカップ||ダート1800m||良||桑島孝春||60.5||1番人気||6着||1:53.8||1.4||タケミアンサー
|-
|||3.4||大井||金盃||ダート2000m||良||桑島孝春||60.5||3番人気||3着||2:07.1||0.4||カウンテスアツプ
|-
|||4.9||大井||帝王賞||ダート2000m||良||桑島孝春||56||2番人気||8着||2:07.8||1.9||トムカウント
|-
|||8.1||大井||関東盃||ダート1600m||良||桑島孝春||60||3番人気||7着||1:42.2||1.5||ガルダン
|}

=== 引退後 ===
引退後は[[種牡馬]]となり、タカノアイなど追い込みの個性派や道悪巧者を数頭輩出<ref name="振り返る名馬" />したが、目立った活躍馬は出せず1996年に種牡馬も引退。2007年4月2日に[[老衰]]のため死亡。

==== 主な産駒 ====
* タカノアイ(1988年産、トゥインクルレディー賞2着)<ref name="種牡馬情報_JBIS" />
* ロッキーキャロル(1988年産、サガ・クイーン賞2着)<ref name="種牡馬情報_JBIS" />
* ブシュウサカキ(1990年産、しもつけオークス3着)<ref name="種牡馬情報_JBIS" />

==== 血統表 ====
{{競走馬血統表
{{競走馬血統表
|name = ロツキータイガー
|name = ロツキータイガー
64行目: 136行目:
}}
}}


父ミルジョージは米国で4戦2勝<ref name="父馬情報_JBIS" />。現役時はこれといった競走成績を残せなかったが、種牡馬として輸入された日本で確固たる地位を築いた。産駒は中央・地方、芝・ダートを問わず活躍し、中央競馬では[[オサイチジョージ]](第31回[[宝塚記念]])や[[エイシンサニー]](第51回[[優駿牝馬]])・[[リンデンリリー]](第16回[[エリザベス女王杯]])といったGI優勝馬などを含め、1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍馬を次々に輩出。地方競馬でものちに中央へ移籍し[[天皇賞#天皇賞(春)|天皇賞(春)]]を勝った[[イナリワン]]のほか、[[ロジータ]]や[[ミルコウジ]]などの活躍馬を送り出し、地方競馬のリーディングサイアーも5度獲得(1985年<ref name="種牡馬ランキング1985_JBIS" />・1987年<ref name="種牡馬ランキング1987_JBIS" />・1988年<ref name="種牡馬ランキング1988_JBIS" />・1989年<ref name="種牡馬ランキング1989_JBIS" />・1995年<ref name="種牡馬ランキング1995_JBIS" />)。2007年には顕著な種牡馬成績が評価され、NARグランプリ特別表彰馬に選出されている<ref name="NARグランプリ2007" />。
== 脚注 ==

{{Reflist}}
母ロッキーハーバは地方競馬で11戦3勝<ref name="母馬情報_JBIS" />。

== 注釈 ==
{{reflist|group=注}}

== 出典 ==
{{Reflist
|refs=
<ref name="馬情報_JBIS">[http://www.jbis.or.jp/horse/0000139503/ 馬情報(ロツキータイガー)] - JBISサーチ、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="馬情報_NAR">[http://www2.keiba.go.jp/KeibaWeb/DataRoom/RaceHorseInfo?k_lineageLoginCode=30027408882&k_activeCode=1 馬登録情報(ロツキータイガー)] - 地方競馬全国協会、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="振り返る名馬">[http://www.nikkankeiba.co.jp/chuo/meiba/20/20.html 日刊競馬で振り返る名馬(第5回ジャパンカップ:ロツキータイガー)] - 日刊競馬新聞社、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="TCKコラム">[http://www.tokyocitykeiba.com/data/column/column_vol27/ TCKコラム(不屈の闘志、尽きることのない挑戦 テツノカチドキ:第22回東京記念編)] - 特別区競馬組合、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="UMA-JIN">[http://uma-jin.net/sp/column/columnDetail.do?charaId=27&pcId=1165 【名馬列伝】“皇帝”ルドルフが海外馬をねじ伏せた/85年ジャパンC] - Uma-Jin.net、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="出走履歴_NAR">[http://www2.keiba.go.jp/KeibaWeb/DataRoom/HorseMarkInfo?k_lineageLoginCode=30027408882&k_activeCode=2 出走履歴(ロツキータイガー)] - 地方競馬全国協会、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="種牡馬情報_JBIS">[http://www.jbis.or.jp/horse/0000139503/sire/record/ 種牡馬情報:種牡馬成績(ロツキータイガー)] - JBISサーチ、2015年2月15日閲覧</ref>
<ref name="種牡馬ランキング1985_JBIS">[http://www.jbis.or.jp/ranking/result/?rid=1&y1=1985&y2=2013&y_f=2015&y_t=2015&y3=2015&cource=0&kei=1&kbn=3&baba=1&dist_f=&dist_t=&keyword=&items=20&x=53&y=16 年度別サイアーランキング(1985年度・サラ・地方)] - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧</ref>
<ref name="種牡馬ランキング1987_JBIS">[http://www.jbis.or.jp/ranking/result/?rid=1&y1=1987&y2=2013&y_f=2015&y_t=2015&y3=2015&cource=0&kei=1&kbn=3&baba=1&dist_f=&dist_t=&keyword=&items=20&x=53&y=7 年度別サイアーランキング(1987年度・サラ・地方)] - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧</ref>
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<ref name="NARグランプリ2007">[http://www.keiba.go.jp/guide/grandprix/winner-years_2007.html NARグランプリ2007(受賞者・受賞馬一覧)] - 地方競馬全国協会、2015年2月16日閲覧</ref>
<ref name="父馬情報_JBIS">[http://www.jbis.or.jp/horse/0000333608/ 馬情報(ミルジョージ)] - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧</ref>
<ref name="母馬情報_JBIS">[http://www.jbis.or.jp/horse/0000067919/ 馬情報(ロツキーハーバ)] - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧</ref>
<ref name="TCK名馬ストーリー">[http://www.tokyocitykeiba.com/data/story/story_vol14/ 重賞名馬ストーリー(Vol.14 世界を懸けた名勝負 テツノカチドキ-東京記念-)] - 特別区競馬組合、2015年2月16日閲覧</ref>
}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2015年2月20日 (金) 10:08時点における版

ロツキータイガー
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 黒鹿毛[1]
生誕 1981年5月12日[1][2]
死没 2007年4月2日
ミルジョージ[1][2]
ロツキーハーバ[1][2]
母の父 シーカー[1][2]
生国 日本の旗 日本
北海道新冠郡新冠町
生産者 松浦牧場[1][2]
馬主 児玉孝[1][2]
調教師 泉孝(船橋)[2][注 1]
競走成績
生涯成績 25戦10勝[1]
地方競馬24戦10勝、中央競馬1戦0勝)
獲得賞金 2億54万5000円[1]
テンプレートを表示

ロツキータイガーRocky Tiger[1])は日本競走馬南関東公営競馬の重賞を6勝したほか、第5回ジャパンカップでも2着に入着した[3]

略歴

文中の馬齢は、旧表記を用いている。

デビューから4歳まで

1983年9月に、船橋競馬場の3歳新馬戦でデビュー。初出走時の馬体重は430kg[3]しかなく、初勝利も3戦目で、結局3歳時は5戦してこの1勝のみという平凡なスタート[3]となったが、4歳の春に桑島孝春が初めて手綱をとった雲取賞(大井競馬場)で直線一気の差し切り勝ちを決め、一変する[3]。この年の南関東4歳世代にはキングハイセイコーステートジャガーなど強力なライバルがおり、これらのライバル馬とハイレベルな争いを繰り返した[3]。春は羽田盃3着・東京ダービー2着とキングハイセイコーに敗れたものの、秋の東京王冠賞では三冠を狙ったキングハイセイコーに2馬身半の差を付けて優勝した[4]。この勝利をもって世代チャンピオンを確定させた[3]との見方もあるが、このときキングハイセイコーは、主戦からテン乗りの騎手への急遽乗り替わりやスタートで出遅れるなどの不利があり、また距離が長かったとも指摘されている[4]。吉川彰彦によれば、前記2頭のライバルにもそれぞれ個性や力量はあったが、本馬は決め手やインパクトで前記2頭のライバルを上回っていたと評している[3]。桑島は全25戦中16戦でロツキータイガーに騎乗した。

5歳から引退まで

明けて5歳になっても勢いは衰えず、報知グランプリカップ金盃ダイオライト記念帝王賞を優勝。前年秋の「いちょう賞」から数えて通算6連勝(重賞は5連勝)を記録した。

その後2戦連続3着の後、当時地方競馬所属馬に対して1頭の招待枠が設けられていたジャパンカップの出走権を争うべく、第22回東京記念に出走する[5]。4歳秋から上昇一途のロツキータイガーと、当時既に5000勝を記録していた佐々木竹見に乗り替わって5戦3勝2着2回のテツノカチドキがジャパンカップの出走権を懸けて激突したこのレースは、後に「名勝負」として語り継がれるレースとなった[5]。レースは逃げるハードスキーをトムカウントが追いかける展開[6]で、テツノカチドキは中団の好位で先頭をマーク[5]、ロツキータイガーは後方からレースを進める[6]。向正面から一気にペースが早まりテツノカチドキが動き出すと、第4コーナーを回るころにはロツキータイガーも伸びてくる[6]。最後の直線では残り200mあたりから内ロツキータイガー、外テツノカチドキの2頭が馬体をピタリと併せてのマッチレース[6]となり、壮絶な叩き合いの末に2頭がゴールへなだれ込む[5]。写真判定の結果アタマ差でロツキータイガーが制し、ジャパンカップの出走権を獲得した[5]

こうして出走した第5回ジャパンカップには、絶対的本命と目されていたシンボリルドルフが出走していた[7]こともあり、単勝人気は15頭中11番人気の低評価だった。馬券的にはまったく期待されておらず、勝負とは関係ないと思われていたが、陣営や関係者らは真剣にジャパンカップを戦おうとしていた[7]。蹄鉄も通常使用しているものではなく芝用の蹄鉄に打ち替えることも関係者間で検討されたが、結局「普段着の競馬で」との意見で合意、通常使用している蹄鉄を使うことになった[7]東京競馬場で行われた公開追い切りの際はコースに出ず、角馬場でひたすら入念にダクを踏んでいた[3]。桑島はこのときのことについて、後に「カリカリするし、環境だけ覚えてくれればいいと思って…」と語っていたとされる[3]

ジャパンカップのレース本番も、桑島は普段どおりの競馬を徹底した[7]。シンボリルドルフが直線で力強く抜け出し後続馬を引き離していく中、後方からただ1頭猛然と追い込んできたのがロツキータイガーだった[7]。結果1馬身3/4及ばなかった[3]が、地方競馬所属馬ではジャパンカップでの最高着順[注 2]となる2着となった[5]

ジャパンカップ後は東京大賞典に出走したがスズユウの2着に敗れ、この年は9戦5勝で終えた。明けて6歳時は4戦未勝利に終わり、1987年1月21日に登録を抹消[8]し引退。

競走成績

出典:ロッキータイガー 全成績 - 日刊競馬新聞社、2015年2月15日閲覧

年月日 競馬場 競走名 距離 馬場 騎手 重量 単勝
人気
着順 タイム タイム差(秒)
または着差
1着馬
(2着馬)
1983. 9.21 船橋 3歳新馬 ダート900m 古市修二 53 2番人気 2着 0:56.9 0.3 トサネバー
10.27 船橋 3歳90万下 ダート900m 不良 古市修二 53 5番人気 3着 0:56.0 1.3 ワイドイーグル
11.11 大井 3歳102万下 ダート1200m 古市修二 53 2番人気 1着 1:14.6 0.8 (ハクツホープ)
11.30 船橋 馬場改修記念 ダート1500m 古市修二 53 5番人気 5着 1:36.6 2.0 ワイドイーグル
12.27 船橋 3歳特別 ダート1600m 古市修二 54 2番人気 2着 1:43.5 0.3 ワイドイーグル
1984. 1.28 船橋 新春千葉盃 ダート1600m 古市修二 54 2番人気 1着 1:41.2 1.3 (グランドオスカー)
2.22 船橋 若潮盃 ダート1600m 古市修二 55 2番人気 2着 1:40.4 クビ ワイドイーグル
3.26 大井 雲取賞 ダート1700m 桑島孝春 54 2番人気 1着 1:49.3 0.2 (アローロマネスク)
5.1 大井 羽田盃 ダート2000m 川島正行 57 3番人気 3着 2:07.7 0.8 キングハイセイコー
6.6 大井 東京ダービー ダート2400m 川島正行 57 4番人気 2着 2:34.8 0.3 キングハイセイコー
10.26 大井 いちょう賞 ダート1800m 桑島孝春 57 2番人気 1着 1:54.4 0.2 (ハードスキー)
11.13 大井 東京王冠賞 ダート2600m 桑島孝春 57 2番人気 1着 2:48.4 0.5 (キングハイセイコー)
1985. 1.23 船橋 報知グランプリカップ ダート1800m 桑島孝春 54 2番人気 1着 1:52.7 0.4 (トムカウント)
2.7 大井 金盃 ダート2000m 桑島孝春 56 1番人気 1着 2:06.3 0.3 (グローリイセンプー)
3.21 船橋 ダイオライト記念 ダート2400m 不良 桑島孝春 57 1番人気 1着 2:30.9 アタマ (カウンテスアツプ)
4.18 大井 帝王賞 ダート2800m 桑島孝春 57 1番人気 1着 3:00.2 0.3 (カウンテスアツプ)
7.3 川崎 報知オールスターカップ ダート2000m 桑島孝春 57 1番人気 3着 2:06.7 0.6 カウンテスアツプ
9.25 船橋 NTV盃 ダート2000m 稍重 桑島孝春 59 1番人気 3着 2:05.5 0.2 ブランドオスカー
10.31 大井 東京記念 ダート2400m 稍重 桑島孝春 59 1番人気 1着 2:33.9 アタマ (テツノカチドキ)
11.24 JRA東京 ジャパンカップ(GI) 芝2400m 桑島孝春 57 11番人気 2着 2:29.1 0.3 シンボリルドルフ
12.28 大井 東京大賞典 ダート3000m 桑島孝春 56 2番人気 2着 3:14.6 0.3 スズユウ
1986. 1.30 船橋 報知グランプリカップ ダート1800m 桑島孝春 60.5 1番人気 6着 1:53.8 1.4 タケミアンサー
3.4 大井 金盃 ダート2000m 桑島孝春 60.5 3番人気 3着 2:07.1 0.4 カウンテスアツプ
4.9 大井 帝王賞 ダート2000m 桑島孝春 56 2番人気 8着 2:07.8 1.9 トムカウント
8.1 大井 関東盃 ダート1600m 桑島孝春 60 3番人気 7着 1:42.2 1.5 ガルダン

引退後

引退後は種牡馬となり、タカノアイなど追い込みの個性派や道悪巧者を数頭輩出[3]したが、目立った活躍馬は出せず1996年に種牡馬も引退。2007年4月2日に老衰のため死亡。

主な産駒

  • タカノアイ(1988年産、トゥインクルレディー賞2着)[9]
  • ロッキーキャロル(1988年産、サガ・クイーン賞2着)[9]
  • ブシュウサカキ(1990年産、しもつけオークス3着)[9]

血統表

ロツキータイガー血統ミルリーフ系 / Nasrullah4×5=9.38% Prince Rose5×5=6.25%〈父内〉) (血統表の出典)

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ
Matatina
Grey Sovereign
Zanzara

ロツキーハーバ
1974 鹿毛
*シーカー
Sicar
1964 黒鹿毛
Sicambre Prince Bio
Sif
Arbela Pharis
Arbele
母の母
スズナル
1966 鹿毛
*タリヤートス
Tulyartos
Tulyar
Certosa
クインフオツクス *リンボー
フジフオツクス F-No.3-d


父ミルジョージは米国で4戦2勝[10]。現役時はこれといった競走成績を残せなかったが、種牡馬として輸入された日本で確固たる地位を築いた。産駒は中央・地方、芝・ダートを問わず活躍し、中央競馬ではオサイチジョージ(第31回宝塚記念)やエイシンサニー(第51回優駿牝馬)・リンデンリリー(第16回エリザベス女王杯)といったGI優勝馬などを含め、1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍馬を次々に輩出。地方競馬でものちに中央へ移籍し天皇賞(春)を勝ったイナリワンのほか、ロジータミルコウジなどの活躍馬を送り出し、地方競馬のリーディングサイアーも5度獲得(1985年[11]・1987年[12]・1988年[13]・1989年[14]・1995年[15])。2007年には顕著な種牡馬成績が評価され、NARグランプリ特別表彰馬に選出されている[16]

母ロッキーハーバは地方競馬で11戦3勝[17]

注釈

  1. ^ JBISサーチでは、安達小八(名古屋)と記載されている[1]
  2. ^ ジャパンカップで2着を記録した地方競馬所属馬は、ロツキータイガーとコスモバルク(2004年)のみ。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 馬情報(ロツキータイガー) - JBISサーチ、2015年2月15日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h 馬登録情報(ロツキータイガー) - 地方競馬全国協会、2015年2月15日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i j k 日刊競馬で振り返る名馬(第5回ジャパンカップ:ロツキータイガー) - 日刊競馬新聞社、2015年2月15日閲覧
  4. ^ a b 『優駿』1985年1月号、日本中央競馬会、158頁
  5. ^ a b c d e f TCKコラム(不屈の闘志、尽きることのない挑戦 テツノカチドキ:第22回東京記念編) - 特別区競馬組合、2015年2月15日閲覧
  6. ^ a b c d 重賞名馬ストーリー(Vol.14 世界を懸けた名勝負 テツノカチドキ-東京記念-) - 特別区競馬組合、2015年2月16日閲覧
  7. ^ a b c d e 【名馬列伝】“皇帝”ルドルフが海外馬をねじ伏せた/85年ジャパンC - Uma-Jin.net、2015年2月15日閲覧
  8. ^ 出走履歴(ロツキータイガー) - 地方競馬全国協会、2015年2月15日閲覧
  9. ^ a b c 種牡馬情報:種牡馬成績(ロツキータイガー) - JBISサーチ、2015年2月15日閲覧
  10. ^ 馬情報(ミルジョージ) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧
  11. ^ 年度別サイアーランキング(1985年度・サラ・地方) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧
  12. ^ 年度別サイアーランキング(1987年度・サラ・地方) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧
  13. ^ 年度別サイアーランキング(1988年度・サラ・地方) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧
  14. ^ 年度別サイアーランキング(1989年度・サラ・地方) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧
  15. ^ 年度別サイアーランキング(1995年度・サラ・地方) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧
  16. ^ NARグランプリ2007(受賞者・受賞馬一覧) - 地方競馬全国協会、2015年2月16日閲覧
  17. ^ 馬情報(ロツキーハーバ) - JBISサーチ、2015年2月16日閲覧

外部リンク