清水大敬

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清水 大敬(しみず たいけい、本名:清水昇、1948年 - )は日本AV監督AV男優明治大学文学部演劇学科出身。

[編集] 来歴・人物

かつては清水 のぼる名義で活躍していた俳優であり、『大空のサムライ』(1976年)、『悪魔の手毬歌』(1977年)などに脇役で出演。1980年公開の黒澤明監督の映画『影武者』では約1万5000人のオーディションをくぐり原昌胤役に抜擢された。しかし乗馬訓練中に落馬し骨折。体を痛めつつも撮影に臨んだ無理がたたり、その後遺症で入退院を繰り返す。本人によると『影武者』のおかげで仕事がどんどん入り役者としてこれからというときだったのに、事故の後遺症で全て水の泡になり、精神的にも相当落ち込んだとのこと。その後『瀬戸内少年野球団』(1983年)などの映画に出演したが次第に仕事が少なくなり、俳優業も自ら立ち上げたミュージカル劇団の運営も伸び悩み、資金に悩んでいた折に知人からピンク映画の仕事を紹介され、このままくすぶっていても仕方がないと一念発起し1980年代後半に現在の名義に改名しAV男優に転向した。

本人はAV男優に転向した理由として他に「入退院を繰り返したことで蓄えを食いつぶし生活が困窮していたこと」「家族にこれ以上迷惑はかけられないし一家の主として家族を養っていかなければならないと思ったこと」を挙げている。実際AVの中でも態度の悪いAV女優に対して「お前は小遣い稼ぎの軽いアルバイトかも知れないが、俺は養わなければならない家族がいるんだ」と説教を始めることもしばしばあった。1991年には「コーヒーはおかわりできるが、人生はおかわりできないんだぞ」と、不良少女に説教する学校の先生役でミスタードーナツのCMにも出演した。なお素の清水は武骨ながら温厚な性格で、「妻子と一緒に過ごすのが一番の楽しみ」と語る愛妻家で子煩悩な家庭人でもある。そのため後に「男優として売れていても世間からは白眼視されるばかりでいい事はあまりなかった」とも語っている。

AV男優に転身してからは、不器用でモテるタイプではない自らの資質を開き直って前面に出し、腹が出たメガネ姿の中年男性の容貌とサディスティックなカラミで注目される存在になる。得意技は女優に自分の唾液を飲ませる「タン壷キス」、女優の上にまたがり激しいピストン運動、最後は女優に口を開けさせ口内発射を行い精液を飲ませる。その上言葉でなぶりとことん精神的に追い詰めるねちっこい演出を得意としていた。

上記のようなプレイ以外にも、女優を本気で殴ったり蹴ったりする(撮影後も謝ったりするなどのフォローを一切行わず、女優が怪我しても制作側に責任をなすり付ける)ため、観る側も清水に拒絶反応を示す者は少なくない。佐伯琴美とのからみではSM道具で叩かれるふりをしていたが、逆切れし水ぶくれができるほどムチで容赦なくおもいっきり叩いた。これがきっかけで佐伯琴美は引退したという説もある。こうした様々な演出は本人によるとAVの中で本人もたびたびネタにしているが、短小の上早漏気味であるためカラミそのものは結構しょぼくそれをごまかすためだったという。また若い頃から女性には縁がなく、初体験が24歳(書籍のインタビューによる)と共演するほとんどの女優より遅かったコンプレックスの裏返しでもあった。

暴虐の限りを尽くした美雪沙織とのカラミは伝説的となっているが、本人によると美雪の物覚えが極端に悪く(曰く本当に頭が悪い)、段取りが全く覚えられない上に指示したことも全く出来ないのでああせざるを得なかったとのこと。前述の清水とのカラミがきっかけで佐伯琴美は引退したといわれているが、これに関しても本人は撮影中は特にトラブルになるようなこともなく引退したのは他の理由ではないかとコメントしている。態度の悪い女優の時は徹底的にいじめるということは本人も認めており、実際に引退や休業に追い込まれた女優もいる。「サラリーマンが何ヶ月も汗水垂らして稼ぐ程の額をたった1本でもらえるのだから、そのぐらいの事をされても当然」と本人はよく語っていた。

最近はAV監督業をメインに活動中。

[編集] テレビドラマ

[編集] オリジナルビデオ・監督作品

  • 『骨までいぢめて 森下いくみ サングラスの女』(V&R 1992年)