河村光庸

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かわむら みつのぶ

河村 光庸
生誕 (1949-08-12) 1949年8月12日
日本の旗 日本東京
死没 (2022-06-11) 2022年6月11日(72歳没)
出身校 慶應義塾大学経済学部中退
職業 映画プロデューサー
受賞かぞくのくに』で藤本賞特別賞[1]
新聞記者』で新藤兼人賞プロデューサー賞・藤本賞
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河村 光庸(かわむら みつのぶ[1]1949年8月12日[1] - 2022年6月11日)は、日本映画プロデューサー[1]東京出身。

略歴[編集]

1970年に慶應義塾大学経済学部中退。1989年にカワムラオフィス設立、代表取締役。1994年に青山出版社設立[1]、代表取締役就任、映画『トレインスポッティング』の原作となった同名ベストセラー小説の邦訳本などを刊行し、成功を収める。1998年、株式会社アーティストハウスを設立[2]。数々のヒット書籍を手掛ける[1]

一方で、映画出資にも参画し始め、後に映画配給会社アーティストフィルムを設立し[1]会長に就任。ダーレン・アロノフスキーリン・ラムジーなどの若い映像作家を日本へ紹介。『ブレアウィッチプロジェクト』(99)、『きみに読む物語』(04)、『オペラ座の怪人』(04)、『皇帝ペンギン』(05)などの日本配給に関わる。オキサイド・パン監督作『テッセラクト』(03)などの製作総指揮を担当。

2008年に映画配給会社スターサンズを設立[1]、代表取締役に就任。イ・チュンニョル監督のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』(08)を買付・配給し成功する。

ヤン・イクチュン監督作『息もできない』(08)は国内でも数々の映画賞を受賞、ミニシアター作品として異例のロングラン上映となり、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得。

石岡正人監督作『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(10)でプロデューサーを、『51(ウーイー)世界で一番小さく生まれたパンダ』(12)で製作を担当している。

エグゼクティブプロデューサーを務めた『かぞくのくに』(11)では藤本賞特別賞を受賞し[1]、また、同作品は第55回ブルーリボン賞(作品賞、主演女優賞、助演男優賞)受賞、第86回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン第一位を獲得。

以降も、『エル・ブリの秘密世界一予約のとれないレストラン』(11)、『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(12)、『ある過去の行方』(14)、『ニューヨーク眺めのいい部屋売ります』(16)などを買付・配給。寺山修司原作、菅田将暉×ヤン・イクチュンW主演『あゝ、荒野』(16)は報知映画賞(作品賞、主演男優賞)、日刊スポーツ映画大賞(作品賞、主演男優賞)、毎日映画コンクール(日本映画優秀賞、男優主演賞)、ブルーリボン賞(作品賞、助演男優賞)、日本アカデミー賞(最優秀主演男優賞)を受賞するなど、各賞を総なめにした。

その後は、吉田恵輔監督『愛しのアイリーン』(18)[1]藤井道人監督『新聞記者』をプロデュース。『新聞記者』のプロデュースで2019年度新藤兼人賞プロデューサー賞及び藤本賞を受賞[3][4]

2022年6月11日、心不全で死去[5]

フィルモグラフィ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 河村光庸(かわむら・みつのぶ) 映画プロデューサー”. 論座. 朝日新聞社. 2019年7月6日閲覧。
  2. ^ 映画プロデューサー河村光庸さん急死「新聞記者」「宮本から君へ」横浜流星の主演作が遺作に”. 日刊スポーツ (2022年6月13日). 2022年6月13日閲覧。
  3. ^ “「新藤兼人賞」金賞に村上浩康監督、プロデューサー賞は「新聞記者」河村光庸氏”. 映画.com. (2020年2月13日). https://eiga.com/news/20191206/17/ 2020年2月13日閲覧。 
  4. ^ 藤本賞(第31回~第40回) -映画演劇文化協会”. www.eibunkyo.jp. 2021年1月10日閲覧。
  5. ^ "スターサンズ代表・河村光庸さん死去 享年72". 映画.com. カカクコム. 13 June 2022. 2022年6月13日閲覧
  6. ^ "横浜流星、藤井道人監督と5度目のタッグ! ダークサイドに堕ちた青年役で新境地に挑む「ヴィレッジ」2023年公開". 映画.com. カカクコム. 19 May 2022. 2022年5月19日閲覧

外部リンク[編集]