慶應義塾大学落語研究会
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(慶應落研から転送)
慶應義塾大学落語研究会(けいおうぎじゅくだいがくらくごけんきゅうかい)は、慶應義塾大学の文化団体連盟(文連)に所属する公認団体の一つで、いわゆる落研(おちけん)のうちの一つである。略称は慶應落研(けいおうおちけん)。関東落研連合(関落連)に所属している[1]。
活動
[編集]慶應寄席
[編集]三田祭において開催される部員による興行。慶應落研の中で最も重要なイベントであるとされる。三田祭期間中は終日興行しており、2年生はここにおいて昼・夜主任を務めるのが通例となっている。また、4年生はこれをもって引退となる。
慶應落語会
[編集]学生に落語を普及することを目的として始められた落語会。慶應寄席とは異なり、本職の落語家を招聘して興行する。類似の会には早稲田大学落語研究会による「わせだ寄席」[1]が存在する。
沿革
[編集]慶應義塾大学落語研究会『寄席がき 創刊号』(1956年7月10日)より
- 1954年(昭和29年)6月1日
- 「日本の古典大衆芸能の普及」を設立趣旨として創部。
- 当時は実演などは行わず、本職の落語家を招いての落語会が主な活動であった[3]。
- 同年6月26日
- 関東全大学落語連盟(全落連)結成準備会に参加。他の参加校は早稲田・東大・國學院大・法政[4]。
- 同年11月13日
紆余曲折を経て現在に至る。
著名なOB
[編集]落語家
[編集]- 立川談慶(立川流真打)
芸能人
[編集]アナウンサー
[編集]実業家
[編集]落語
[編集]慶應義塾と落語
[編集]高座
[編集]人物
[編集]- 川上音二郎[7]
- 浮世亭○○(うきよていまるまる)の名前で「オッペケペー節」を発表し好評を博す。
- 散歩中の福沢諭吉の眼に留まって慶應義塾の学僕となるが、寄席通いが崇って15歳で義塾から追放された。数々の職業を経て上方落語家になった。
- 立川らく朝
- 柳亭楽ちん
- 前座
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 関落連加盟校 関東落研連合公式HP
- ^ 年間行事 慶應義塾大学落語研究会公式HP
- ^ 1956年(昭和31年)11月1日『毎日新聞』夕刊。毎索を使用。
- ^ 法政大学落語研究会 沿革史 - 法政落研ホームページ
- ^ 尾崎弘之『「俺のイタリアン」を生んだ男 「異能の起業家」坂本孝の経営哲学』(2014年5月6日)第2部より
- ^ 慶應義塾幼稚舎『慶應義塾幼稚舎史録』(1965年10月10日) p.51
- ^ 新人物往来社『歴史読本』第52巻 第1号(2007年) p.232
- ^ プロフィール | 健康落語の立川らく朝