好感情の時代

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好感情の時代Era of Good Feelings)とは、19世紀前半のアメリカ合衆国において政党対立がほとんど見られなかった一時期をさした表現。とりわけ、5代大統領ジェームズ・モンローの時代にあたる。「好感情」、「いい気持ち」というのはあくまで支配層である白人主体の表現であって、これはインディアン黒人の血で贖われた犠牲を無視した上に成立したものである。

概要[編集]

ボストンの新聞「コロンビアン・センティネル(Columbian Sentinel)が1817年に用いた表現がその起源とされる。 3代大統領トーマス・ジェファソン(1800年当選)以来、合衆国では民主共和党の大統領が連続していた。4代大統領ジェームズ・マディスンの時代に勃発した、インディアンイギリス、合衆国の領土争奪戦争である「米英戦争」は、アメリカ白人にナショナリズムを高揚させるとともに、親英的姿勢の強い連邦党の趨勢をさらに弱めさせた。こうした状況下で、ジェームズ・モンロー(リパブリカン党)が圧倒的支持(対立候補に対して約6倍の大統領選挙人の支持を得た)のもとに5代大統領に就任し、事実上政党対立は消滅した。2期目の選挙では、1人を除いた全ての選挙人から支持をえて再選を果たした。しかし、肥大化した民主共和党に内部対立が生じ、国民共和党(後のホイッグ党)と民主党への分裂へと至り、「好感情の時代」は終わりを迎えた。

1776年に独立宣言したアメリカ合衆国の、1812年当時の入植状況は緩慢に進行していた。白人人口の3分の2以上が大西洋の海岸線に沿ってそ50マイル以内に住んでいた。人口の中心は、ボルチモアの18マイル以内にあり、アレゲニー山脈を横断する道路は2つだけしかなく、50万人以上の入植者が、当時は「遠い西部」とされたケンタッキー州テネシー州オハイオ州ペンシルベニア州にいるだけだった。イリノイ州インディアナ州ミシガン州ウィスコンシン州一帯は、キカプー族マイアミ族ワイアンドット族などのインディアン部族の領土だった。アラバマ州ミシシッピ州ジョージア州一帯はチェロキー族チカソー族チョクトー族クリーク族の領土だった。

オハイオ州の植民地化は、1812年の「米英戦争」からではなく、1803年から目的化されていた。トーマス・ジェファーソンは1803年に「白人入植者がミシシッピ川の東側を完全占領するまで千年かかるだろう」と推定している。

米英戦争の集結は、原住者であるインディアンの民族浄化を進め、インディアンを追いだした後のインディアナ州、イリノイ州、オハイオ州北部、ジョージア州、ノースカロライナ州アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州、テネシー州に白人入植者を殺到させた。1818年、1817年、1816年、1812年にルイジアナ州、イリノイ州、ミシシッピ川、インディアナ州、1819年にアラバマ州と、合衆国議会は矢継ぎ早に5つの州の連合を認めた。

南東部に殺到した白人入植者たちは、インディアンを追いだした後の広大な土地を合衆国からただ同然の安値で購入した。合衆国は大西洋沿岸部やバハマ諸島のインディアンを奴隷として購入し、またアフリカ西海岸から黒人奴隷も導入して白人入植者に供給し、ミシシッピ川以東の肥沃な土地に一大プランテーションを経営し始めた。

合衆国は西部への植民地拡大のために、全国の道路や運河を拡張させる計画を立てた。 1808年、トーマス・ジェファーソンの財務長官アルバート・ギャラティンは、、運河や道路の建設のために2千万ドルの計画を立案している。 ジョン・カルフーンは1816年、この計画を国費で購う国家事業と位置付けて、議会でこう呼びかけた。「さあ諸君、道路や運河の完璧なシステムで共和国を結び付けよう。我々は宇宙を征服するのだ。」カルフーンの法案は可決されたが、ジェームズ・マディソンは憲法上の理由でこの法案に拒否権を発動した。しかし合衆国は国内産業の育成のため保護貿易主義を採った。また領土拡大のために公共土地政策を進めたが、これはつまり、植民地拡大のためならインディアンの土地所有は無効化できる、というものである。

1815年には地中海でのアメリカの商船に対するバーバリー海賊の襲撃を終わらせた。 17年に米国はアルジェの支配者に敬意を支払っていた。 1815には、スティーブン・ディケーターバーバリ戦争に勝利したのである。1818年、英国はミネソタ州北の米国とカナダの間の国境協定に合意し、カナダ東部の海域のアメリカの漁業権を付与した、オレゴン州地域の共同占領に同意した。

米英戦争後に合衆国が直面した重要な外交問題は、崩壊を始めたスペインの新世界帝国だった。 スペインの「新世界」植民地の多くは、「ナポレオン戦争」での欧州の混乱を利用して独立戦争を始めていた。中米でのこれらの革命は、米国白人の強い共感を呼んだが、多くのアメリカ白人は、スペインの「新世界」植民地でヨーロッパの列強が君主秩序を回復するかもしれないことを恐れていた。

最大の火種はスペインの支配下にあったフロリダ州だった。 海賊、黒人逃亡奴隷、およびインディアンはこの地を拠点に、ジョージア州の入植地を襲撃していた。 合衆国は1817年12月に、フロリダのセミノール・インディアンを黙らせるためにはアンドリュー・ジャクソン将軍を送り込んだ。 ジャクソンは、セミノール族インディアンを女・子供を問わず皆殺しにし、村を破壊し、スペイン総督を打ち倒した。 彼はまた、セミノール人に味方したイギリス人二人を裁判にかけ処刑した。

ジャクソンの行為は合衆国議会で騒動になり、スペインはジャクソンの処罰を要求した。 結局アダムズ大統領は、フロリダ州への襲撃は、「正当な行為であった」と宣言した。 スペインは1819年の「アダムズ=オニス条約」で米国にフロリダ州を譲った。 その見返りに、米国はスペインに500万ドルを損害賠償することで合意した。

以後、ジェームズ・モンローは「モンロー主義」を唱え、これは西半球でアメリカ覇権の象徴となった。外交ではイギリスやカナダに一目置かせ、地中海での覇権を手にし、スペインを黙らせてフロリダを手に入れた。インディアンを皆殺しにすることで広大な植民地領土を手に入れ、アフリカから連行した黒人奴隷労働させてプランテーションを経営させ、自国の経済は発展した。こうして「いい気持ち」の時代はアメリカ合衆国の外交の中で最も成功した期間となったのである。

参考文献[編集]

  • 『Digital history』(“The Era of Good Feelings”、Conquering Space、Period: 1810s)
  • 『American Holocaust: The Conquest of the New World』(David E. Stannard、Oxford Univ Pr1992年)

関連項目[編集]