大久保じん之丞

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本来の表記は「大久保諶之丞」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
大久保諶之丞(胸像)

大久保 諶之丞(おおくぼ じんのじょう、1849年嘉永2年) - 1891年明治24年)12月14日)は明治期日本政治家。明治初期に四国新道(現在の国道32号国道33号等の前身)・香川用水瀬戸大橋を提唱したことで知られる。

尽誠学園の創始者大久保彦三郎は実弟。

略歴[編集]

1849年(嘉永2年)8月16日、讃岐国三野郡財田上村戸川(現在の香川県三豊市財田町財田上字戸川)の大地主であった大久保森冶の三男として生まれる。明治5年5月財田村吏員、その後郡吏員等を経て、1888年(明治21年)に愛媛県会議員、翌年、香川県が愛媛県から分離し香川県会議員となる。この間、私財を投じて道路・橋梁を整備、奨学資金の貸付け、病院建設への資金の寄贈等又、讃岐鉄道・北海道移住などを提唱・実行する。1889年(明治22年)5月23日、讃岐鉄道開通式での祝辞で瀬戸大橋の構想を披露している。1891年(明治24年)、議会での演説中に倒れ、12月14日42歳で死去。

業績[編集]

  • 四国新道の建設-自らハンドレベルを持ち測量を行い、私財を投じて完成させた。明治18年に起工、明治23年に讃岐(現在の香川県)の道路延長38382mと阿波(現在の徳島県)の道路延長31,434mが竣工している。
  • 北海道開拓移民-自ら資金を出し、毎年数百人を北海道に移住させた。
  • 多度津港改修

エピソード[編集]

  • 讃岐鉄道開通の祝辞では上記略歴の通り、「塩飽諸島を橋台として架橋連絡せしめば、常に風波の憂なく、南来北向東奔西走瞬時を費さず、それ国利民福これより大なるはなし。」と瀬戸大橋構想を披露した。香川用水の計画を提唱した際に「笑わしゃんすな百早年先は財田の山から川舟出して月の世界へ往来する」という都々逸を歌っている。瀬戸大橋構想は1889年、香川用水構想は1891年。まだ明治維新から20数年しか経っていない時代のことである。

死後[編集]

父祖から受け継いだ財産はほとんどが工事金不足の穴埋めに使われたため、残された家族は三度の食事にも事欠いたという。

大久保の構想した四国新道は、1894年(明治27年)に全道開通。香川用水は1974年昭和49年)に、瀬戸大橋は1988年(昭和63年)に完成している。

参考文献[編集]

  • 財田町誌編纂委員会編 『財田町誌』 財田町、1972年。
  • 道神 大久保諶之丞命 大久保諶之丞翁顕彰会 昭和42年

関連書籍[編集]

  • 梅谷徹哉 『蒼天に架ける』 美巧社、1988年。