内田一夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内田 一夫
名前
カタカナ ウチダ カズオ
ラテン文字 UCHIDA Kazuo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1962-04-18) 1962年4月18日(62歳)
出身地 静岡県清水市
身長 165cm
体重 61kg
監督歴
2010 ヴァンフォーレ甲府  
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

内田 一夫(うちだ かずお、1962年4月18日 - )は、日本の元サッカー選手で、サッカー指導者。

来歴[編集]

全国有数のサッカーの街である清水市(現・静岡市清水区)に生まれ育ち、高校は清水東高校に進学。この世代の清水東は全盛期が始まった頃であり、一学年上に大木武望月一頼、一学年下に反町康治沢入重雄望月達也などのちにJリーグの選手や監督として活躍する人物がいた。内田本人も3年次に高校総体で優勝、選手権大会で準優勝、さらに国民体育大会では静岡県選抜チームに選ばれ優勝を経験。大学は駒澤大学へ進み、一学年下の佐久間悟とプレーした。社会人では清水市役所に勤務する傍ら、地元サッカークラブクラブでプレー。また、東京大学の研究生として浅見俊雄の下でフィジカルトレーニングの指導を2年間受けている。

1994年からジェフユナイテッド市原の育成部コーチに就任。ジェフではヨーロッパ出身の監督が続いており、また下部組織のコーチがトップチームのアシスタントをしていたことからゲルト・エンゲルスズデンコ・ベルデニックイビチャ・オシムなどといった経験豊かな監督の指導を肌で体験している。コーチ最終年となる2003年S級ライセンスを取得。

2004年からはベガルタ仙台の強化・育成部に移り、ユース監督などを歴任する傍ら日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチを兼任し、サニックス杯国際ユースサッカー大会ではU-17日本代表監督として指揮をとっていた。

2008年のシーズンオフに仙台を退団。大学時代の後輩・佐久間がGMに就任したヴァンフォーレ甲府のコーチ兼サテライト監督に就任し、安間貴義監督をサポートした。翌年、安間監督に代わり同チームの監督となり、チームをJ1昇格に導くも、この年限りで退任した。

2011年8月に、日本サッカー協会からの派遣という形でグアム代表監督(1ヶ月間の暫定監督)に就任。2012年から清水エスパルスのコーチに就任した。2015シーズン終了後に清水を退団[1]中国乙級リーグ(中国3部)の寧夏山嶼海中国語版蘇州東武中国語版でそれぞれ監督を務めた。2019年よりヴァンフォーレ甲府のヘッドコーチに就任[2]

2021年、ヴァンフォーレ甲府U-18監督に就任[3]

所属クラブ[編集]

現役時代[編集]

指導者時代[編集]

出典[編集]

  1. ^ 内田一夫 サテライト監督退任のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2016年1月4日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/31893/2018年12月30日閲覧 
  2. ^ 内田 一夫 氏 トップチームヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2018年12月17日http://www.ventforet.jp/news/press_release/5170842018年12月30日閲覧 
  3. ^ 内田 一夫 トップチームコーチ、ヴァンフォーレ甲府U-18監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2021年1月9日https://www.ventforet.jp/news/press_release/5206112021年1月10日閲覧 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]