九三式繋留気球

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九三式繋留気球(きゅうさんしきけいりゅうききゅう)は、大日本帝国陸軍偵察用繋留気球

概要[編集]

一型繋留気球を代替するものとして、フランスより招聘されたコルモン技師による指導を受けつつ1927年昭和2年)に開発が開始された2人乗りの偵察気球。翌1928年(昭和3年)7月には国産材料を用いて試作された1号機と2号機が完成し、実用実験を経て1933年(昭和8年)に制式採用された。日中戦争時などに実戦で使用されている[1]

気嚢は可変容積式を採用しており、空気房は持たない。また、形状を後尾に方向舵嚢と安定舵嚢を備えた魚形とすることで、風に対する自機の方向を一定に保つことが可能だった。吊籠は製で、眼鏡(双眼鏡)、航空写真機、気象観測具といった偵察用装備に加えて、有線電話や通信筒といった地上との連絡手段も備えている。うち、有線電話の電話線は繋留索と並行する形で設けられている[1]

なお、九三式偵察気球とも呼ばれる他、制式化前は試製繋留気球九二式繋留気球とも仮称された[1]

諸元[編集]

出典『日本陸軍試作機大鑑』 139頁。

  • 気嚢全容積:1,000 m3
  • 最大高度:1,500 m(乗員1名時)、1,000 m(乗員2名時)
  • 繋留索全長:1,600 m
  • 乗員:2名

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本陸軍試作機大鑑』 139頁。

参考文献[編集]

  • 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、139頁。ISBN 978-4-87357-233-8 

関連項目[編集]

  • 九一式繋留気球 - 同時期に日本陸軍が試作・運用した偵察気球。開発経緯などが九三式と酷似しているが、両者の関連性は不明。