イ号一型乙無線誘導弾

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イ号一型乙無線誘導弾は、大日本帝国陸軍が開発、試作した空対地誘導弾である。

性能[編集]

諸元[編集]

※使用単位についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 航空/物理単位を参照

全幅 2.60m
全長 4.09m
全高 0.90m
翼面積 1.95m2
翼面荷重 348.71 kg/m2
自重 550kg
全備重量 680kg
エンジン 特呂一号二型液体ロケット(推力150kg)80秒燃焼
最大速度 不明
航続距離 不明
武装 なし
爆装 300kgタ弾 1発
総生産機数 150機(180機とする資料あり)

構造[編集]

高翼形式に木製の主翼を備えており、胴体は金属製の骨組みにトタン板を張って製造された。胴体の中央部やや前寄りに主翼を配し、胴体後尾に双尾翼式に垂直尾翼と噴射ノズルを備える。動力には特呂一号二型液体ロケットを使用している。このエンジンは燃料に過酸化水素水を使い、触媒として過マンガン酸ソーダ液を用いた。この二種類の薬液を圧搾空気で燃焼室に送り込み、150kgの推力を80秒間発生させた。

運用[編集]

陸軍の構想は無線誘導方式の空対艦ミサイルを企図したものである。イ号一型乙は九九式双発軽爆撃機キ102双発襲撃機への搭載が予定されていた。母機は目標(主として艦船)から10kmから11km離れた地点まで進出し、投下高度700mから1,000mで本誘導弾を投下する。誘導弾は2秒後にエンジンに点火し、ロケット推進によって飛行する。母機は無線誘導のため目標から4,000mの距離まで接近した。イ号一型乙は、イ号一型甲よりも近距離の目標を狙うこととされた。

この投下方式では母機は長時間の誘導と目標へのかなりの接近を余儀なくされる。人間が操縦し、無線誘導弾より射程に優れる桜花を搭載した一式陸上攻撃機の対艦攻撃が十分な戦果をあげられなかったことを考え合わせても、十分な制空権を持たない状況での無線誘導は相当の被害率を出すことが予想された。

歴史[編集]

誘導弾の研究は1930年代から行われており、日本においても小規模に誘導弾の研究が進められていた。第二次世界大戦の戦況の悪化から、誘導弾の実現に向け研究が促進された。

1944年5月下旬、陸軍飛行第5戦隊長高田勝重少佐らの敵艦船への特攻を受け、第一陸軍航空技術研究所の大森丈夫航技少佐と第二陸軍航空技術研究所の小笠満治少佐が100%戦死する体当たり攻撃は技術者の怠慢を意味する不名誉なこととして親子飛行機構想を提案したことでイ号の計画が進められた[1]

誘導弾の開発計画は陸軍を中心とし、まず800kg爆弾と300kg爆弾を搭載するための二種類の誘導弾を実用化することが決定された。この二種類の誘導弾はそれぞれイ号一型甲無線誘導弾、イ号一型乙無線誘導弾と呼称された。開発と試作は甲が三菱、乙が川崎の担当である。本誘導弾にはキ148の試作番号が与えられた。開発の指示は昭和19年7月に行われ、エンジンを三菱が担当し、機体を川崎が担当した。

1944年9月5日、陸海民の科学技術の一体化を図るため、陸海技術運用委員会が設置され、研究の一つにイ号も含まれていた[2]

試作一号機は昭和19年10月に完成し、滑空、動力飛行試験のための機体が30機製造された。昭和19年11月から昭和20年5月まで、水戸市郊外の阿字ヶ浦海岸、および神奈川県の真鶴海岸で投下試験が行われた。昭和20年2月、伊東上空で発射したイ号一型乙が、無線機の故障によって針路を変え、熱海の温泉「玉の井旅館」に墜落の上、女中2人と浴客2人が死傷、旅館も炎上という大被害を発生させた。女風呂に直撃した、とされることから「エロ爆弾」の綽名が付けられた。

最終的にほぼ実用可能の評価が得られていた。昭和20年6月の時点で、川崎の工場では150機を製造していたが、空襲の激化によって工場が破壊され、開発が打ち切られた。

脚注[編集]

  1. ^ 戦史叢書87巻 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 458頁
  2. ^ 戦史叢書87巻 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 457頁

参考文献[編集]

  • 小川利彦『幻の新鋭機』光人社NF文庫、2003年。ISBN 4-7698-2142-5
  • 橋立伝蔵 監修『日本陸軍機キ番号カタログ』文林堂、1997年。

関連項目[編集]