下田原城

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下田原城
沖縄県
築城主 不明
築城年 不明
遺構 城壁
指定文化財 国の史跡
位置 北緯24度4分8.6秒 東経123度46分41.1秒 / 北緯24.069056度 東経123.778083度 / 24.069056; 123.778083

下田原城(しもたばるじょう)は、八重山諸島波照間島沖縄県八重山郡竹富町)にあるグスク)。2003年平成15年)3月25日に国の史跡に指定されている。

概要[編集]

八重山諸島では、農耕社会の発達等を背景に12世紀末頃に支配者層が現れ、1500年に波照間島出身のオヤケアカハチが起こしたオヤケアカハチの乱によって琉球王国の支配下に置かれるまでの間、各地に群雄が割拠した。

波照間島には、この時代のものと推定される城跡等の遺跡が点在している。島北部の大泊浜に近い標高約25メートルの崖上に位置する下田原城跡もそのひとつである。下田原城は、15世紀から16世紀にかけての中国の青磁器片が出土していることから、この時期にはすでに築城されていたものと考えられているが、築城の正確な年代や、だれによって築かれたのかは不明である。

下田原城の規模は東西150メートル、南北100メートルに及び、崖上に野積みの珊瑚性石灰岩で造られた城壁に囲まれ、8つの郭状遺構が形成されている。また、遠見台、石室、井戸などの跡も残っている。

下田原城跡は、琉球王国の統一の歴史を示す重要な遺跡で、戦災等の被害を受けていないため状態も良好であるとして、2003年3月25日に竹富町で初めての国の史跡に指定されている。

現在は、ぶりぶち公園という公園になっているが、整備は進んでいない。「ぶりぶち」は「城跡」または「はじまり」を指す波照間の方言であるといわれる。

下田原貝塚[編集]

下田原城跡の海岸寄りには、下田原貝塚及び大泊浜貝塚がある。下田原貝塚は紀元前1800年頃の先島石器時代の遺跡と推定されている。この貝塚から出土した石器土器等に、台湾やインドネシア、オセアニア、メラネシア文化との関連が確認されることから、先島石器時代は南方系文化であったと考えられている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]